黒の時代編 | ナノ


▼ 漆黒の覇者現る、二

「……これは…」

『うおおっしゃあ!成功しました!いやー失敗したらどうしようかと思ったけど、案外上手くいくもんですね!私天才だわ』


私がしたのは巻き戻し。
でもそれは一定範囲の、しかも巻き戻せるのは無機物だけという超限定された技。
そして残念ながら生きている物は出来ない。

先日落としたお気に入りのマグカップを壊してしまってから分かったことである。

まあ、それでも充分だろう。

破壊された棚は新品の様に漆を光らせ、落ちてページまでぐしゃぐしゃになってしまった本も全て元通り。割れてしまった観葉植物の植木鉢も元に戻って土も全て鉢の中に納まった。

でも傷つき、折れてしまった枝や、葉は元には戻っていない。
…また今度買いに行くか。
次は直せるように、造花とかにしようかな。

しっかし棚が破壊する程ぶん殴ったって、あの人本当に苛烈極めてるな。
芥川君に期待している上に、彼が伸びやすい教育方針の為だとは理解してるけど……愛情の裏返しも良いとこだ。


「貴様の…異能は、一体……」

『知りたいデス?』


にやり。
芥川君を振り返って挑発的な笑みを浮かべた。

彼の欲望を駆り立てる。


「……教えろ」

『教えなーい』

「…僕を嘲弄するか」


ぶぅぅんと不気味な音と共に芥川君の黒外套がうねり始める。
けど相当太宰にやられたのか、直ぐに力尽いて羅生門は黒外套へと戻り、芥川君はその場に膝から崩れた。
おまけに苦しそうに咳き込む。

もう何もしてやらないからな、私は。
そんな優しくねェんですよ。
後は自分で勝手に、怪我でも自殺でもなんでもしてろって感じだ。


『だから云ったでしょう?情報は時に最強の武器だと』

「……ぐっ、ごほっ…」

『芥川君は知りたいと思った。私の異能を。でも、今ここで私が嘘を云っても本当を云っても、君にそれを判断することは出来ない。何故なら判断材料を持っていないからです』

「……」

『普通の反応なんですよ?知らないことを知りたいと思うのは。それは知識欲であり、人間の根底にある欲望です。正体を確かめたい。あれを知りたい、これを知りたい。真実を、或いは嘘か誠を見極めるのにとても重要なことデス。私の異能を知りたければ、そうですねえ……君の好きなお菓子の一つや二つ、私に寄越してみなさい』


芥川君は目を見開いた。

瞳孔が開いている所為か、普通に怖い。


「僕が好む菓子だと…?そんなもので、貴様は己の弱点を暴くのか?」

『暴きますよ。他人の価値観は人それぞれデスから。私にとって自分の異能を暴くのは、君の好物を知るのと同等の価値がある、と考えました。これぞ等価交換!私は君の好きなお菓子が判った上に貰えて幸せだし、僕ぴっぴは私の異能を知れて大満足。二人でウィンウィンの関係です』


ダブルピースを作って、にょきにょきと指を動かす。

こういう情報の奪い合い、腹の探り合いを君も学ばねば。

人間は生涯学ぶ生き物。
学び精進することを辞めれば、それこそ獣同然に成り下がるだろう。

眉間に皺を寄せ、芥川君は疑わしいと云わんばかりに視線を向ける。

あっはー。
私そんなに信用ない?


『ま、さっきも云ったけど今日はあんまり刺激物食べない方が良いですよ。早く治りたかったらだけど』

「こんな怪我…掠り傷も同然。直に完治する故、貴様の憂慮など要らぬ」

『…全く若いってのは素晴らしいね。では、私は本職に戻るとします』

「……本職?」

『私、こう見えてあの人の秘書なんデスよ。最もやってるのは片付けとかお茶くみとか、所謂雑用ばっかりだけどね』

「…そうか」

『あ、そうだ。若し芥川君さえよければ、あの人見かけたら部屋戻ってくるように言っておいて。用事があるのでって』

「………承知した」


よろぴくー、と手を振ると無視された。
芥川君はお腹を押さえつつ、挨拶も無しに部屋を出て行く。

ありゃ。親睦を深めるのは少し難しそうだ。
根は恐ろしい程真っ直ぐなんだけどなあ。
ちょっと暴走癖があって、鋭い方向に真っ直ぐなのが玉に瑕だよね、彼。

しかし芥川君が部屋を出たかと思えば、そのすぐ後に太宰が戻ってきた。…自棄に迅速な対応だ。

さては扉の前で凡て聞いていたな!
なんて恐ろしい子!

太宰は部屋に入り、先程の無残な姿になっていた筈の本棚を見て、少し眉を上げ目を丸くさせていた。
その顔が見たかったっ…!!


「これ、如何したの」

『へっへーん!魔女っ娘名前ちゃんにかかればこのくらいお茶の子さいさい、ビビデバビデブー!なのデス!!』

「ちゃ・ん・と・せ・つ・め・い・し・ろ」

『おぶっ。やめにゃはれや』


物凄い勢いで目の前まで来るとむんずっと太宰は私の頬を片手で掴む。
手が大きいため私の顔も簡単に掴まれてしまい、唇が突き出て上手く言葉が発音できない。

まともに会話が儘ならないと悟った太宰は手を離した。
全く、このままじゃいつか私の頬が破けちゃうぜ。


『いつつ…異能ですよ、異能。私の』

「…君、能力者だったの?」

『あれ?寧ろ知らなかったんですか?』


あの太宰が、知らない、だと?

………は?如何いう事だ。

確かに私の口で話したのは森さんだけだけど、この人事異動が行われるのにあたって普通そう云う説明があってからだろう。
あの用紙には太宰のサインだってあった訳だし…。

みんな身内でも秘密主義貫いてんの?
え、これ私が異常な訳?
何も考えずに個人情報を自分からダダ漏れさせちゃってる訳?

見れば太宰も何やら考え込んでいる。
部屋に訪れた気不味い静寂が辛くて声を出した。


『あのー…そう云えば自棄にお早いお戻りで。まさか聞き耳でもたててたんです?うっわ、やらしぃー』

「莫迦。新しい自殺の方法を試していたのだけれど、矢張り中々死ねなくてね。もう片付けも終わってるだろうし、私も仕事があるから自分の部屋に戻ろうと思ったら丁度芥川君と入れ違いになっただけだ」

『ふーん(本当んとこ、如何なんだか)』

「……それより、芥川君を優しく治療したそうじゃないか」


ぎらり。太宰の目は冷たい光を持ち、その顔には綺麗な絶対零度の微笑が張り付けられる。
私には今一太宰がこの目をするタイミングが分からない。

テレレーン!ツクタン、ツクタン。
頭の中に敵が現れた時のBGMが流れ始めた。

目の前にブラックモード、暗黒大魔神太宰治が現れた。レベルはカンストし、云うなればゲームクリア後の特典で出て来る特殊ラスボスである。

コマンドは話し合い、逃げる、戦う、アイテム、の四つ。

さあどうする?


『ええ。貴方に片付けろと云われたので』

「何時からそんな偽善者に成り下がったんだい?冗談でも笑えない」

『偽善じゃなくて私の為です。良い人になって他者からの自分の株を上げようとするのは至極当然でしょう?大体冗談じゃないし、なんなら笑わなくて結構デス』

「………今日は一段と生意気云うねえ、名前?」


は、話し合いは無効だ!
敵は考え込む事もなく、寧ろ此方に不気味な微笑みを深めて歩み寄ってきている。

ここは一先ず逃げるを選択!
距離を確保するために、取り敢えず後ろへと後ずさる。


――――ガタンッ


しかし、二歩下がったところで何かにぶつかった。
振り向くとその後ろには太宰の馬鹿でかい机がどっしり構えられている。

し、しまったぁー!
なんという王道極めたる展開!!

逃げるは無効だ!
くそっ、方向転換!……ダンッ…おっつ。

右に逃げようとすると、既に目の前に迫っていた太宰が行く手をその手で阻んだ。
慌てて逆から逃げようとするも、左側も同じように手を置かれ完全に逃げ場をなくす。

後ろに下がることも、左右に逃げることも、下へしゃがむことも出来ない。
自然と体が密着した。

身長差で太宰に見下ろされるような形になる。


『……う、う腕が、大変、御長いデスね…』

「それはどうも」

『だっ大体!何をそんな怒ってるんですか!?云い付けは守りましたよ私!お片付けした!優等な良い子ちゃんデス!褒められる覚えはあっても、怒られる義理はないっちゃぶる!!』

「嗚呼、善くやってくれたよ名前は。それは褒めてあげよう。……ただ」


ずい、顔が更に近くなる。

冷たい鷲色の瞳が、すぐ目の前に迫る。

太宰が口を開いた。


「私が気に入らないだけだ」


……せっ世間一般で人はそれを、怒ってるって云うんですううう。

私はそう、声を大にして云いたい。

…が、しかし目と鼻の先にはポートマフィアの生ける伝説が……。

致し方ない。ならば、攻撃あるのみ!

喰らえサイコパス包帯ボーイ!
これが日頃の、頬の恨みだ!!


―ペシッ


『………』

「…何の心算?」

『…お肌が、とても綺麗で、つい…』

「……」


ここで罠(トラップ)発動!チキンハートの名前!

恐ろしすぎて手が震えてしまい、両手で太宰の頬を軽く叩くだけに終わってしまった。
勿論効果はない。

寧ろ支えが無くなり、腰が痛い。
私がダメージを食らってどうする。

しかし、こんな時ではあるものの、素晴らしく白くて肌理細やかな肌である。
すっべすべやな、じぶん。何て羨ましい……。

というか、待って。何この状態。
端から見れば太宰は私を机に追い込み、私はそんな太宰の頬を包み込んでいる。

これはちょっと、危ない雰囲気なのでは?

私と太宰が向かい合わせ、と聞くとあんまり意味が分からないけど、上司と秘書が向かい合わせって……なにこれ?
甘く危険なラブロマンス・スキャンダル?

大丈夫なのこれ?
パパラッチとかに撮られたりしないこれ?

内心で慌てていると、何を思ったのか太宰は目を細め、私の手に太宰の手を重ねた。
そしてそっと目を閉じる。

うんわー睫毛長。女の子みたい。しかも小顔。
筋の通った鼻、薄い唇は勿論形も良く、少しひんやりした体温がまるで精巧に創られた陶器人形なんじゃないかと錯覚させる。

若し女の子だったら、相当の美人だったな。
いや、今も充分な美人さんなのだけど。


……いやいや待って、御免。


なにこれ?若しや、まさかのキス待ち?
キス顔してんの、あの太宰が?私に?


………ぶっ!!まっさかあ!それはない!
それだけはあり得ない。


冷静に考えようじゃないか名前。

だってだって泣かした女は数知れず、相手はあの、百戦錬磨の太宰君ですぞ?
歩けば横浜中の女が振り返る、最強の美貌の持ち主、あの太宰治ぞ?

キスの一つや二つ、私のようなちんちくりんとするより技術豊富な魅惑の美女といくらでも出来るだろう。…あれ、自分で云ってて泣けてきた。


「………」

『……あのう、一応聞くね。何してンの?』

「…ねえ。キスしてよ」

『………は?』


何、云ってんの?

…もう一度言おう。


何云ってんの、この人は、本当に。


耳を疑う事ばかりだったけど、今日ほど自分の耳が狂ったと思った日は無い。

今、此奴何て云った?
私の勘違いでなければ、キスしてっつったか?

冗談にしてもクソ過ぎる。
鬼畜と云うか、外道だマジで。

けど目の前の見目麗しい美少年は、理解が追い付かない私になど構わず、持ち前の端正な顔を近づけ甘い空気を作り上げる。

嗚呼、嫌いだ。
君が作り出すその顔、雰囲気、その他全てが嫌いだ。

驚きと怒りで何も云わない私に、太宰は目尻を下げて微笑む。


ねえだから何で、そんな泣きそうな顔をするの。

やめてよ。


私は、まだ


――――――君の闇と向き合うのが怖い。


太宰はまた目を閉じて、今度は角度を付けて顔を近づけて来た。

問答無用で近づいて来るその端正な顔に、私も意を決して目を閉じる。


そして――――――――


「…んがっ!!」

『……っ〜つぁ…』


額に激痛が走り、思わず声にならない叫びが出る。
太宰は残念すぎる声を上げ、後ろへ二回転ぐらいしてから仰向けになって倒れた。

何が起こったか説明するとまあ簡単な話、頭突きなるものをしてやった。
それはもうフルスイングで、思い切り。

お蔭で私も無傷では済まなかったけど、私の誰も受け入れた事のない純粋無垢な唇を守るにはこうする他なかった。
何かを変える為には、何かを捨てなければならない。

許せ……私のおでこっ!!


――――にしても、


湧き起こる感情からわなわなと拳が震える。


「…な、にして………」

『…っざけんじゃねえデスよ!君の、その、身勝手で、自己中心的で、利己主義で、我儘な欲望に、私を巻き込むなっつーの!!』

「………」


まるで大爆発を起こしたかの様に、私の口からはどんどんと言葉が出て来る。


『君が満足させてきた女はきっと数多くいるんでしょう。でもだからと云って、私みたいのにまで手を出さんでも良いでしょうに!そんっなに私の事、嫌いか!?嫌いなんだな!!ああん!?私もお前が大嫌いじゃボケカスゴラァ!!何とか云ってみろやワレ!おおん!?』

「…名前、……」


ふらり、太宰は立ち上がる。
それは正にホラー映画のワンシーンのようだ。

でもその顔は何も、何も無かった。
張り付けていた筈の微笑みも、怒りも、悲しみも、寂しさも、何一つ映していなかった。

ふらふらと危なっかしい足取りで此方に歩み寄る。

まるで、路頭に迷い母親を捜す子供のそれだ。

只ならぬ狂気的な太宰の雰囲気に怯み、身体が強張る。
ま、負けないですぞ!頑張れ女の子!

やがてそのゆっくりとした足取りで目の前に来た太宰は、私の腕を掴みぐいと力強く自分の方へと引いた。
そのまま太宰の胸に収まると、太宰は私の頭と背中に腕を回しぎゅっと抱きしめ、私の首元に顔を埋める。首に中る息が、蓬髪が、くすぐったい。

しかしきっとその気になれば振り払う事も、逃げる事も出来たのに、私はそれをしなかった。
何故だろう。誰か後で判りやすく説明してくれ。


『お、おおう…。なななんだよ、てめごらあ。調子こいてんじゃねえぞごらあ』

「…名前……」

『だっ騙されませんよ!泣き落としなんて、そんな可愛い真似よく』

「……名前…」

『………』

「私を、赦して欲しい…莫迦な私を…」


だからさ、そんな泣きそうな声で謝らないでよ。

縋るような声で、名前を呼ばないでよ。


「…名前……」


まるで私が悪いみたいじゃないか。


『……っ、もう良いです。分かりました』

「…え、ほんと?」

『やっぱ嘘かよクソッタレ。ったく…はい』

「…?」

『手、怪我、秘書、治療、で検索してください』


分かりましたと云ったと同時に、太宰はぱっと顔を上げにこりと笑う。
本当にこの人の雰囲気作りは達人技だ。
分かっていても、振り回される此方の身になって欲しい。

お陰で心臓が荒ぶっている。

はあ…。芥川君も面倒だと思ったけど、この人よりは断然マシだ。
太宰のこれに比べれば、格段に可愛いと思えるのだから不思議である。というか、太宰のはタチが悪いんだよきっと。

そう私が差し伸べた太宰の手には、先程芥川君を殴ったときに出来たのであろう、皮が捲れ血がにじんでいるところがあった。
さっき太宰が私の手に重ねたときに気付いたものである。

…というか、部屋出た後自殺考える前に、まず自分の治療しろよ。…あ、でも死ぬんだから必要ないのか?ん?どうなんだ?

思考のスパイラルに迷い込んでいると、太宰は顔を竦めて手を差し出した。


「じゃあ用事って…」

『無論、貴方に“片付けろ”と云われましたので』

「……ま、今回は私の負けで良しとしよう」

『私に勝とうだなんて百万年早いのだよ太宰君」

「へえ、云うじゃないか。あ、この後アレしようアレ!例の携帯電子盤!」

『…今度は回復薬全部使わないでくださいね』

「この太宰治に任せ給え!」


どんと自分の胸を叩き、太宰は誇らしげに云う。

ほんと調子良いな、此奴。
さっきまでの幽霊みたいな顔が嘘のように今はにこにこと笑っているのが何とも云えない気分にさせられる。

ため息を吐いて、太宰の包帯を巻きなおした。


『正解は四のアイテムだったか…』

「え、何それ?」

『あ、こっちの話デス』


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