▼ 漆黒の覇者現る、一
―――ドガァッ ガシャァンッ ドサドサドサッ
何かが壁にぶつかり、そして何かが大いに破壊され、何かが落ちていく音がした。
…………。
みなさん、こんにちは。
異世界トリッパーこと、苗字名前です。
説明しよう!
ついこの間、私は首領秘書を何故か解任され、今はあの歴代最年少幹部、ポートマフィアの生ける伝説こと太宰治の秘書として働いている。
まあやっていることはあまり前と変わらない。
変わったことは部屋の高さと広さ、渡される書類の多さ、そして最愛のエリス嬢がいないというだけだ。
……嗚呼、でもでもエリス嬢が部屋で遊んでたり、お菓子を食べていないって云うのはかなり堪える。
癒しが太宰の執務室には全く無い。
…今度テディベアでも置こうかな。勿論太宰の机に。どうせ何も置いてないし、馬鹿でかいテディベアの一つや二つ置いたところで太宰には何の支障もない筈。
私はテディベアに癒されるし…うん、その方が絶対に良い。
大体あんな大きくて高級な机を置いておきながら、使っていることと云えばほとんど落書きの為じゃないか。
しかも下手というより、もはや別の境地に至った、ある意味芸術作品と云っても過言ではない…見た人全員を悪夢に誘うそんなものだ。
後はゲーム。それ以外真面にあの机を使っている姿を私は未だ見たことが無い。
つまり何が云いたいかというと、お前も書類整理しろ、ってことである。
そんな私は今自分の職場である、太宰の執務室の前に立って居る。
ドアノブに手を掛けた状態で。
するとどうだろう?
何だか不穏な喧噪が聞こえてきたじゃないか。
そりゃあドアノブを捻る勇気も無くすってものだ。
巻き戻って中で起こっている恐ろしい事態に出くわさない内に入ろうかと思った。でも中の様子が分からない上に、何時から始まって居るのか分からない所為で巻き戻ろうにも巻き戻れない。
…森さんは魅力的な異能だって云ってたけど、私としては使えないなあってのが正直な感想だ。
だって巻き戻るったって、云っちゃえば織田作さんやジイドさんと変わらないわけでしょ?
先を見て、戻って、ただ使える時間幅が違うだけだ。
欲が叶えば更なる欲が生まれるというもので。
異能があったと分かって満足したら、今度はあんな異能、こんな異能が欲しいとどんどん欲深くなっていく。
でも実際もっと、こう、芥川君みたいなしゅばばばっと戦えるすんごい異能が欲しかった。
それで、くっ、ここまでか…!みたいな感じになってみたかった。……あれ?負ける前提?
そんな考えを悶々と頭の片隅に持ちつつ、何時このドアノブを捻って開けようかと考えていると、私が何もせずともドアノブは回転し扉が開かれる。
其処に立って居たのは何とも云えない、眉間に皺を寄せ難しい顔をした太宰だった。
なんでそんな苦しそうな顔、してんのよ。
太宰は私を見ると一瞬ぴくりと眉を動かし、後ろ手に扉を閉めた。
『あー…………ごきげんよう』
「…何それ。でも丁度良かった。名前、部屋片付けといて」
『……あんねー、あたくし君の召使じゃないデスのよ。お分かり?』
「それじゃ頼んだよ」
『………いや。人の話、聞けしい』
太宰は聞かずに只すたすたと黒外套を翻し、長い廊下を歩いて行ってしまった。
…あんちきしょー、自分で色々破壊しておきながら後は全部放り投げかよ。
自分で出したものは自分で片付けましょうって教わらなかったの?
誰だあの人任せ野郎を教育したのはー!
……森さんだったわ。
何処か遣る瀬無い気持ちで改めて扉を開ける。
途端に、嗅ぎ慣れない鉄の香りが鼻腔を掠めた。
『……おうふ』
その悲惨さに思わず一人呟く。
昨日まで綺麗に並んでいた漆塗りの本棚は見事に倒れて、最早棚としては使えないだろう。
勿論その棚に収納されていた本も辺り一面に散乱し、中にはページが破れ読めなくなってしまっている物もある。
観葉植物も倒され、高級だろうカーペットに見るも無残に土が撒き散らされていた。
しかし、問題はそれじゃない。
…あ、いや勿論それも問題だけど。
何より―――――――
破壊された本棚に寄りかかる様にして座り込む、血だらけの漆黒の覇者の姿が一番に目に飛び込んできた。
まあ深手を負っている彼に、今は漆黒の覇者という物騒な肩書は合わなそうだけど。
…これもフラグ回収なのか。
そりゃあ太宰の秘書に代わってからいつかは鉢合わせするだろうと思っていたけど。
まさか、こんな形で出会うことになるなんて…。
まあ普通に出くわしたら、きっと百発百中羅生門で私の心臓刳り貫いて来そうだったから、ある意味手負いの、満身創痍の状態で会えるのは助かったと不謹慎にも思う。
……けど、ねえ?
まさか苛烈極まるあの過酷教育が、ここまでとは。
実際目の前にすると怖気づいてしまうというもの。
恐る恐る部屋に入る。
死んではいないと分かっていても、大きく揺れる肩がちゃんと生きていることを示しているような気がして、思わずほっと胸を撫で下ろした。
扉を閉めると、ガチャンと云う音に反応して少年は此方を睨みつける。
…………え、これ私死ぬでしょ。
気分は宛らライオンの要る檻に放り込まれた哀れな兎ちゃん、と云ったところか。
うさぴょん、死んじゃうであります。
『あー………片付け、ますねー』
思わず合った瞳をしらーっと背けながら云う。
漆黒の覇者基、芥川龍之介はぎろりとした目を向けたまま、私の一挙一動を注視している。
まるで何か巫山戯た真似をしたら即羅生門の贄としてやる、とでも云われているようだ。
静寂が苦しい。
……私は自分の机からある箱を出した。
取っ手の付いたその木箱は消毒液の嫌な香りが染みついている。
思わずはあ、とため息を吐いた。
それはこの木箱の不健康な気配からか、或いはこれから自分の行う愚行からか。……きっと両方だ。
少し重いそれを持ち、苦しそうに息を繰り返す芥川君の側にしゃがんだ。
勿論芥川君は私が持つ木箱を見てから私を殺意の篭る冷たい瞳で睨みつける。
「何のつもりだ…」
『何って、治療ですよちりょー。この救急箱見て分かんない?』
「…そんなもの、僕には要らぬ!」
『要らぬッ…!!じゃあ、ないんデス。あの人が帰ってくる前に此処を片付けないと、私が怒られるのだよ。私、怒られンのやデス。特に、あの人だけには』
「必要ないと云っている!」
バシィッと芥川君は私の手を弾く。
…まあそりゃあ易々治療はさせてくれないか。
万が一があれば時間を巻き戻せばいい、と心の内では保険を掛けてはいるものの……。
さて、どうしよう。
やっぱりここはあの人の名前を出すしかないか。
『あのねえ、今しがた君をフルボッコした人は私に“此処を片付けろ”って云ったんです』
「だから如何した……」
『…ああもうっ!つまり片付けろ、とはここにある全てを元に戻せってことです。私はその中に君の治療も任された、とそう解釈しました。太宰ももっと的確な指示を出せっての。まあ兎に角、ぎゃんぎゃん騒ぐ元気があるのは大変結構でナウでヤングでパワフルなことデスけど、さっさとそのぶん殴られた顔を見せてください』
「何故っ………!」
『あん?』
「何故っ、貴様如きがあの人の事を呼び捨てにしている!!?」
『……』
……あうち。そうか。
つい口が滑ってしまった。
痛むお腹を押さえつつ私を震える瞳で睨みつける芥川君は、まるでぐるるるっと威嚇する手負いの獣のようだ。
にしても、ちょっと面倒だなあ芥川君。
いや分かるよ、君の気持ちは。
云うなれば、好きな人取られそうポジのサブヒロインだもんね芥川君。
太宰親衛隊隊長の君には私の存在はそれこそ目の上の瘤、邪魔で、憎くて仕方がないだろう。
…まあ、君が期待するような関係は微塵も無いけど。
彼はこんなにも貴方へ愛を叫んでいるというのに、全く罪深い男だよ太宰は。
まあ太宰の云わんとする事が分からんでもないけど。
アメとムチの法則とはよく云われるものの、太宰が彼に対するそれはムチ、蹴り、拳、銃。フルコンボだドン。もう一回殴れるドン。パァンチッ!と、云う感じだ。
彼の切望するアメは、向こう四年は得られない。
『………君さ、あの人に認められたいンでしょ?』
「黙れ!貴様に何が分かる!!」
『はあ?何も知らんわ、んなの』
「…!?」
『けどね、私も君が認められて欲しいんデスよ。あの人に。彼を、人間にする為にも』
そう云って笑うと、芥川君は目を見開いた。
まるで何を云っているのかさらさら理解出来ない、と云っているかのようだ。
「…っ、如何いう、ことだ?何を云っている?…人間にする、だと?」
『んー、ま、同じ穴の貉って奴かな。君には早く強くなって欲しい。だから私は自分の為に君を治療する。ここまで理解出来た?おけ?』
「……僕は、そのような施しは…」
『はいはい。僕ぴっぴは強くなるために私に勝手に治療されるのデス』
「ヤツガレ、ピッピ……、っ貴様!僕を愚弄するか!!?」
『だって君の名前知らないもの。あ、ちなみに私のことはご存じで?』
「貴様のような愚物の事など、知りたくもっ…ぐ、ゴホッ…」
暴れる上に大きな声を出す所為で、先程痛めつけられたろうお腹を芥川君は抑えた。
しかし、おやおや?
太宰から私の事聞かされているから、何言われてもやだ!っていう子供みたいな態度だと思ったんだけど…。どうやら思い違いだったようだ。
じゃあ根っからの駄々っ子だな、さては。
太宰の秘書。つまり側近。何もせずとも側にいれる、イコールぶち怒の法則。
…だと思ったんだけどなあ。自意識過剰だったか。
というか、説明しとけよ包帯ぐる巻き男。
殺されたらどうすんよ私。
『情報はある意味、最強の武器ですぞ少年。覚えておき給え。あと、たぶん内臓痛めてるので今日は刺激物食べない方が良いですよ。…そんで君、名前は?』
「五月蠅い、黙れ」
『そ、芥川龍之介君ね。よろしくっと…ハイちょっと沁みますよおー』
「……!?何故っ……っ!!」
『それが私の異能だからだよ。芥川君』
まあ嘘だけどー。元から君のこと知ってるんだけどー。
ここは過去に何度も遡ってやっと聞き出せたってことにしておこう。
良いだろう。嘘も方便というもの。
情報の大切さを知りなさい、という伏線を隠しておくよ芥川君には。
まあ意固地だから多分時が来るまで変わらないだろうし、また云ってしまえばそんな暴走機関車なところが彼の魅力の一つでもある。
「能力者か…貴様……」
『いえーす。と云っても、君が期待するような強者系の異能じゃないデス。残念でしたあ』
「そんなもの…貴様のその軟弱な身体を見れば分かる」
『……それは何より』
…デブ、って云いたい訳じゃないよね?そうだよね?
寧ろ私は君のその棒切れの様な身体が心配だよ。
一日三食五十品目、ちゃんと食べてるのかな?
芥川君が私との会話に意識を取られている間、せっせか私は彼の治療に専念する。
腕や足などの擦り傷は大方、投げられた時に擦れたものだろう。大したことはなさそうだ。
しかし一番酷い怪我をしている、痛々しいにも程があるその顔だけはどうも消毒が沁みそうだった。
思った通り芥川君はその激痛に顔を歪め、言葉を止めた。
けどそこは持ち前の忍耐力なのか、将又意地なのか、顔を背けることはしなかった。
立派な大和魂である。
なんとか私の命がある状態で芥川君の治療は終わり、後はこの部屋を片付けるだけだ。
「…礼は云わぬぞ」
『はいはい。じゃ代わりにちょっと其処退いてください。あー、後ろに立ってくれると助かります』
「……」
愚物の分際でとでも云わんばかりに怒りの込められた視線を向けられたが、渋々芥川君は重い腰を上げ退いた。
ふんふん、素直で宜しい。
…これで出来なかったら、超恥ずかしいけど。
私はぎゅっと銀時計を握りしめた。
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