▼ いつだって唐突に
この前の太宰との夕飯後、あの酒場へ行った。
原作の小説で紹介され、そして時間軸の中で一番最初に三人の男が逢見える、あの酒場。
確か名前をルパンと云ったか。
太宰に引き摺られる様にあの酒場に連れられた時、ああ遂にこの時が来てしまったのかと思った。
所謂、異世界トリップ特典と云う奴なのだろう、と。問答無用で原作に関わる事となる的な。
そしてまた、悲しくも予想通りだった。
織田作、安吾さんと出会い、話を交わす。
…でも何処か、まだ始まっていないと信じたい自分がいて、想像以上の居心地良さに普通に笑い合っちゃって。
太宰の“この世の全ては死ぬまでの暇潰し”、というクソネガティブ発言を受け、嗚呼やはりそうなのだ、と胸が苦しくなった。
止められない歯車はもうすでに、動いている。
暴走機関車の如く、敷かれたレールを真っ直ぐと。
だから写真にも写らなかった。
そこから話がもし変わってしまえば、私はもう何も出来なくなる。
ぎりぎりまで、原作のすれすれを低空飛行して居たい。
そして、最後に織田作を助ける。
歯車を止められずとも、回る方向を変えられないか。
暴走機関車の行先は変更する事は出来ないか。
何が如何いう理由で、私がこの世界に飛ばされたのか分からない。
けれど探偵社時代ではなく、この黒の時代に飛ばされたということに何か理由が欲しかった。
だってそうでないと、私がこの世界に存在する意味がまるでないみたいで、ただ単に私が苦しいからだ。
身勝手だと云われれば、そうかもしれない。
それでも私は、貴方たちの、あの酒場の空気を守りたいのだ。
それまでは出来るだけ、あの三人には関わりたくない。
なるべく、なるべく、ぎりぎりまで私の知っている展開でいて欲しい。
そんな野望を抱く私は今、可愛らしく鼻歌を歌うエリス嬢の髪を結っていた。
『エリス嬢の髪、さらっさらデスね〜羨ましい』
「まあね。名前の髪も嫌いじゃない」
『ぎゃはー!恐悦の至り、デス!!』
今は森さんが会議に行ってしまっているため、私はエリス嬢と二人で絵を描いたり、人形で遊んだりと一緒に楽しんで過ごしている。
しかし、そこは矢張り年頃の女の子。
遊んでいる内に今時のお洒落な服の話になり、今はいつも同じ髪型なのに飽きたということで椅子に座るエリス嬢の髪を梳かし、三つ編みにしたり、編み込みをしたりと私の出来る範囲で可愛くアレンジをしている。
二人できゃっきゃしながら髪を弄っていると、会議から森さんが戻ってきた。
「エリスちゃん!名前ちゃん!ただい」
『…森さん?』
戻ってきた森さんは満面の笑みで黒服のお兄さん達が開けるよりも早く、扉をばーんっと勢いよく開けた。
かと思うと、私達の様子を見て云い切る前に真顔になり、その手に持っていた書類をバサッと床に落としてしまった。
入口に立って居る見張りの黒服も一体どうしたのかと、顔を青くし慌てて森さんを見る。
「……てっ…………」
『「?」』
「てっててて、天使がいるぅー!!!」
あ、重症だこの人。
バァンとエリス嬢を指差して歓喜の涙を流す森さんに、ドン引きする心の中で一人そう思った。
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「可愛い!すっごく可愛いよエリスちゃん!!正に地上に舞い降りた天使のような可憐さだ……!こんな事が出来るなんて名前ちゃんは天才だね!」
『そんな大袈裟ですよ』
現在エリス嬢の髪は私が編み込んだことで、三つ編み部分がヘッドバンドの様になり、着ているのが白いフリルのスカートというのも相まって妖精さんのような可愛らしさがあった。
今はその髪型が一番気に入ったのか、人形遊びを再開している。
まあ森さんが天使だと云うのも分からなくは無い。それほどに破壊的な可愛さなのだから。
何度も云う。
可愛いは正義だ。
森さんとにまにましながらエリス嬢を見ていると、ふとエリス嬢が此方を見て云った。
「リンタロウもその鬱陶しい髪結べば少しはマシになるんじゃない?」
「でも自分じゃ今一分からないしなあ」
そう云いつつ森さんがゆくっりと私に視線を向ける。
目が合った。
わあ。今日も相変わらず美人ですネ。
肩に手を置かれ、微笑まれる。
嫌な予感がした。
「名前ちゃん。私の髪も結ってくれ給え」
『マジですか』
驚きに身体が固まる一方で森さんはちゃっちゃか準備を始めて、椅子に座る。
背中越しに先程のエリス嬢と同じ様に、鼻歌でも聞こえてきそうだ。
や、やるしかないのか…!?
座る森さんの後ろに立つ。
右手には櫛、左手には結紐。
そして相変わらず森さんからは甘い大人な良い香り。
………え、大丈夫これ?
殺されたりしないこれ?
だって私は今、首領の御髪に手を触れようとしてるんだよ?
仮にもポートマフィアの首領。
この首を狙う人間は数多くいるだろう。
全くそんな気は微塵も無いが、こんな無防備に且つ、私なんぞに曝しちゃっていいものなのか。
いいのか?いいんだな。よし。
ドキドキしながら手を伸ばす。
…………いざっ!
『…ふおお』
すっと一束、遠慮がちに手に掬う。
女性の様に艶やかな若干細めの黒髪は、まるで高級なシルク、或いはベルベットのような手触り。
思わず手の甲でその髪を撫でるとその滑らかさに感動し、思わず歓喜の声が漏れた。
森さん、あなた本当に歳いくつなんすか!?
小説では太宰が生ける伝説だとかなんだとか書かれていたけど、私の中でポートマフィアの生ける伝説は間違いなく貴方です。
「遠慮なく触っていいよ。最も中年の髪が嫌でなければだけども」
『いやいや森さん。貴方は間違いなく全中年の希望ですよ』
照れるねえ、と肩を揺らして笑われた。
ちらりと顔を盗み見ると、目を閉じて薄く微笑んでいる。
エリス嬢が天使なら、差し詰め貴方は女神様ですか。…あ、でも森さん男性だ。
やっぱり神か。
いやいや。
だって、あり得ないってこの髪質は。
中年でなくても、其処等辺の女性でもこんな艶やかな髪の毛持ち合わせてないよ。
枝毛など全く知らないのか、毛先までキューティクルが保たれている。
普通にCMで使われてそう……。
しかしそんな髪に、改めて遠慮なく触れて良いと許可を貰ったことで、欲望がごくりと喉を鳴らす。
櫛を一度置き、意を決して畏れ多くも両耳から項にかけて髪を全て掬わせてもらった。
その結果、いつもは長い髪に隠された、陽の光に当てられたことのないだろうと思わせる綺麗な白い項が見える。
その項の、なんと、色気ムンムンな、ことよ。
全国の森鴎外ファンの皆さんっ、ご覧になっていますか!?
たった今私は、森さんの漫画や小説では触れられていない、禁断の部分を目撃しております。
嗚呼、生きてて良かったっ……。
髪を櫛で梳かし一つに一度纏めながら、どんな髪型にしようかなーと熟考する。
すっともう一度下から掬い上げると突然ふるり、森さんが身体を震わせた。
あれ、若しかしていつも髪下ろしてるから、首元寒い?
一度手を止め、如何したのだろうと森さんを覗き込む。すると森さんは私の方を向いて何処か恥ずかしそう目尻を下げて笑い、頬を掻いて云った。
「ははっ、私は首が弱くてね…。いや恥ずかしい…」
…………ぎゃんっカワかよォッ…!!
思わず森さんに対して、にやけそうな顔を全表情筋を屈指させて緩んだ頬を固める。
だって、まさか、こんなところでポートマフィアの最高機密を知ることになるとは思わなんだ!(※違います)
落ち着け名前。
ここでニヤければ命は無いものと思え。
早口にすみません、と謝るのが精一杯だった。
嘗て友達に無理矢理教えられ、片耳半分で聞かされていた髪形アレンジが、まさかこんな形で実を成すとは…。
ありがとう心の友よ。
そう云えば借りた漫画返せてないね友よ。御免。
点と点は見えないところで繋がっている。
かの天才実業家、りんごのマークで有名な会社を創ったあの人が残した言葉である。
ぐおおお、と身悶えつつ、震える手で懸命に髪の毛を梳かし続けた。
*
結局、少し横に髪の毛をのこし、左下の方で一つ結びをして息絶えた。
ダイイングメッセージは、首。
これで決まりである。
あ、一応これは首領の首と上手い事掛けてるんですけれども。
……………アレンジとは、なんぞや。
しかし、流石元の素材が良い森さんはただそれだけのシンプルな髪形でも様になっていた。手鏡で色んな角度から見て、感心した声を漏らすあたり御気には召して頂けたらしい。
ある意味私の中では見慣れている髪型だけど。
まあ取敢えず、私は延命したようだ。
「ありがとう!名前ちゃんのお蔭で、新鮮な気分で心が若返った様だよ!」
『喜んで頂けたようで良かったです。そんなに凝ったこと出来なくて済みません…』
「……」
『…如何しました?』
「…私も名前ちゃんの髪の毛、梳かしてみたいなあ」
『…な、なななんデスと!?』
にこりと笑った森さんは言い訳をする暇も与えず、手鏡を机の上に置き、さっと立ち上がると私の腕を引いて先程座っていた椅子に座らせてきた。
立ち上がろうにも両肩に乗せられた力の篭る手がそれを許さない。
いやいやいや。
森さんの御髪でハスハスな展開で終わりでしょうこの件は!
『いや、私は大丈夫ですから……!』
「私が君の髪を梳かしたいんだよ、名前ちゃん」
『でも、そんなっ森さんに、私如きの髪を触れさせる訳には!』
「私は名前ちゃんみたいに慣れていなくてねえ。うっかり手が滑って、櫛の柄が目に刺さってしまうかもしれないよ」
この人、完全に脅しにかかってきた…!!
櫛を持って微笑むその強い眼光は、本気なのだと悟らせる。
大人気ないですよ森さんんん!
泣き出してしまいたかったが、抵抗しても無駄だというその圧力に立ち向かう勇気はこれっぽっちも無かった。
小心者なんです私。ハイ。
立ち上がろうと力んでいた身体の力を潔く抜き、諦めて椅子に身を任せる。
素直で宜しい、と森さんは私の頭を撫で、櫛を入れた。
ふんふんと上機嫌に鼻歌を歌い、森さんは私の髪を梳かし始める。
…森さんの鼻歌とか何それ可愛い。
え、ちょっと誰かボイスレコーダー持ってない?
寧ろ何で私の耳にレコーダー機能が付いていないのか。全くもって解せない。
そして森さん、元医者だからなのかその手付きはとても優しく丁寧で、それでいてとても気持ち良い。
「名前ちゃんの髪の毛もサラサラだねえ。まるで上質な絹のようだ」
『あはぁ、そんなこと云われたの生まれて初めてデス。有難き幸せ』
「本当のことだよ」
昨日ちゃんとリンスして、ドライヤーで乾かしてから寝て良かったー。
嗚呼、幸せだあ。
思わず先ほどの森さんのように瞳を閉じた。あーこれ寝ちゃいそう。
しかし意図していなかったのか、私が目を閉じたのを見切ったのか、森さんは髪を梳かす手をすっと首に当てた。
突然のひんやりと冷たく、するりとした手付きに私は思わずビクッと身体を揺らしてしまう。
見えてないけど、後ろでにやぁっと森さんが口角を上げた気がした。
「おやおや?名前ちゃんも首が弱いので?」
『あ、あっははー……』
一番ばれちゃいけない人に、一番ばれちゃいけないタイミングでばれた気がする。
森さんはへえ、と面白い玩具を見つけたような相槌を打った。
それに対して私の身体は強張る。
嫌な予感こそ的中すると云うもので、味を占めたように森さんの手は、まるで羽で撫でる様にゆったりと私の首筋を行き来する。
『ひぃっ……森さっん…くすぐったい、デスっ…!』
「何か不服でも?」
『不服って、云う…かぁっ…!』
やがて森さんの優しく何処か官能的な手付きは首筋から、肩、鎖骨、冷たい手がまるで這うように撫で上げる。
終いにその手付きは耳にまで至り、指先で撫でたかと思えば、長い指でやわやわと感触を楽しんでいる。
最早、髪は梳かされていない。
机に置かれた寂しそうな櫛が目線に入った。
止める気のない首領の攻めに、耐えるよう目をぎゅっと閉じる。
くすぐったさと、背中がぞわぞわする刺激に思わず身体が身悶えた。
『………ふっ…』
「……はは。本当に可愛いね名前ちゃんは」
『…ん、……ひっ……』
「声、我慢しなくても良いんだよ?」
そっ、その言葉は完っっ全にアウトですううううう。
顔から火が出るところか、それを通り越してもう失神寸前である。
しかしそこで森さんは撫でていた手を私の両肩に乗せ、私の耳元に口を当てた。
「…名前ちゃん、御免よ」
『………え?』
「首領、失礼します」
完全に意識がこのくすぐったさに如何にして耐えるかと集中していた所為で、森さんが云った言葉に反応するのが遅れた。
聞き返そうとするとガタリと重々しい重厚な扉が開かれ、思わずそちらを見る。
そこには何時もの様に綺麗な笑みを張り付ける太宰が立って居た。
彼は黒外套を翻しながらモデルの様にスラリとした長い足で、あっという間に椅子に座った私の前まで寄り私を一瞥すると、森さんの方を見上げ云った。
「迎えに上がりました」
『迎えって……』
「名前ちゃんのことだよ」
『あー………ふぉ?!あたす!?』
何処かの田舎訛りの様な一人称を上げてしまった。
でもそれだけ動揺したのだ。
決して巫山戯ている訳では無い。信じて欲しい。
今回は前の夕飯の会の様にメールなど何もないし、そしてと森さんも事情を知って居そうである。
……これは情報のドーナツ化現象という奴なのでは。
兎に角この場で状況が判って居ないのは私だけの様だった。
驚きで椅子から勢いよく立ち上がる。
…椅子、森さんの方に倒れたりしなくて良かった…。
しかし目の前の状況は何も解決していない。
何が何やら分かっておらず、クエスチョンマークをいくつも頭に浮かべる私に、森さんは自分の机から一枚の用紙を出し手渡した。
慌てて受け取りそれをよく見てみると、人事異動通知書の字と私の名前、そして太宰治のサインが目に飛び込んでくる。
『こ、こここれは』
「今日から名前ちゃんには太宰君の秘書に回って貰う」
『…ふぁ!?』
確かに其処には今日の日付で「貴殿を太宰治の秘書に命ずる」と書かれている。
何も訊いていなかった私はそのショックに愕然として立ち竦み、森さんの方を見た。
森さんは背を向けて此方を見てくれない。
私如きの分際ではあるけれど、森さんに何故か問おうとする。だって、こんな、突然すぎるじゃないな。
しかし誰かに腕をこれでもかと力強く掴まれ、無理矢理其方を意識させられた。
あうち、めちゃ痛いよ。
手前、女の扱いに慣れてねェなさては。
振り返れば、勿論太宰がそれはもう三日月のような目でにっこり笑っている。いや、嘲笑っているというのが正しいかも知れない。
「それじゃあ行こうか」
『え、あっ、ちょちょっと……まっ』
―――――バタンッ
状況が把握出来ていない私を、半分引き摺るように太宰が腕を引く。
文句も言えず、ただ転びそうになるのを踏ん張るので精一杯だった。
再度森さんを振り返る。いつの間にか森さんは此方を向いて居て。
でも、その端正なお顔には眉間に皺が寄せられ何処か悲しそうに見えた。
待って、と言い切る前に扉は閉められる。
「御免よ、名前ちゃん……」
だから完全に閉じられた扉に向かい、眉を下げて小さく呟く森さんのことなんて私には知る由も無かった。
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――――――――
――――
ガビィーン………。
今日付けで太宰の秘書となった私は現在、太宰が使っている机の隣に用意されていた、回る椅子の上で体育座りをしている。
きっと私の目は今、曇天よりどんより重く、据わっているんだろう。
つい先程言い渡された人事異動。
事態をやっと拙い脳で理解したときは、金槌で後頭部をフルスピードで殴られた様な衝撃だった。
…まあそんな風に殴られた事、一度足りとも無いんですケド。言葉の綾ってやつですよ。
そりゃあね?
寧ろ今までこうして降格が無かったことが不思議な身だっていうのは、莫迦なりに分かってるんですよ。
無意識とは言え、仮にもポートマフィアの首領を森さん呼ばわりしたり、下手な敬語使ったり、首領自ら治療してもらったり、弱音を吐いて困らせたり、御髪を梳かせて頂いたり、エトセトラエトセトラ……。
思い起こせば、無礼千万たる行為の数々。
嗚呼、穴があったら埋まりたい…というか埋められる。
でもさ、それなりに森さんには気に入って貰えていたように思っていたんだから仕方がないじゃないか。
自惚れるのも無理ないって、あんな待遇に優しい笑顔。
自分は自分なりに書類整理や、お茶運び、エリス嬢との買い物や遊びを頑張ってきたつもりである。
それを、こんな、いとも簡単に切り捨てられるとは……思わないじゃないか。まあ、とんだ思い上がりだったようだケド。
しかも先程太宰とはなるだけ関わりたくないと考えていた矢先のこれである。
ずーんと気持ちが凹んでいると、太宰にぺしっと何かで叩かれた。
ぱさっと乾いた音で置かれたのは、何やら難しいことが書かれていそうな活字ばかりの書類。
じとりと目で睨んだ。
どうやら私の頭はこの読むのすら大変そうな書類で叩かれたらしい。
「仕事だ。何時までそんな使えない置石みたいにしてる心算だい」
『………仕事したい気分じゃナイ』
「使えない部下は犬より嫌いだ。それにあの程度でショックを受けるような柄じゃないだろう名前は」
太宰は傷心の私などどうでもいいと云わんばかりに、塵を見るような冷たい視線で私を見下ろす。
おい、誰だ此奴がフェミニストだとか云ったの。
可笑しくない?
私に対するこの態度可笑しくない?
というか先刻まで、まあまあご機嫌さんだったのに、何だこの急激なテンションの落下は。
思春期にしても程があるでしょ。
『…こう見えても弱い乙女なんですううう。ハートいずブロークンな女の子に、ちょっとは優しい言葉の一つや二つ掛けられないもんかねえ?』
「寝言は寝て云いなよ」
『すぴーすぴー。ぜっとぜっとぜっと』
「……三秒以内に通常運転に切り替えなかったら、名前の肩の関節を外した後に」
『うおおなんかやる気めっちゃ出てきたああっしゃあああ!!』
「そうかい。元気が出たようで安心したよ。手を煩わせずに済んで」
パキパキッと手を鳴らされ、腹の底まで真っ黒な微笑を浮かべられた。
やっべえ。
あと少しで地獄の悪魔も泣いて逃げる、暗黒大魔王太宰治が召喚されるところだった。
それじゃあと太宰が微笑んだ後に、ほいほいっと目の前の机に投げ置かれるのは書類の束、束、束。
…………え、流石に多すぎじゃね?
森さんでもこんなに一度に渡して来なかったヨ。
信じられないと云わんばかりに、口をあんぐり開けて太宰を見上げる。
「まさかこれだけだと思った?」
ニヤリと嗤われた。
こいつ、私が落胆することを分かってて最初に一番薄い書類を机に置いたな。
外道極まりない所業である。
神様がいるのなら、どうやってこんな性根からひん曲がって逆に地面へ突っ込むような性格を作り上げたのかを是非聞いてみたい。
……私、この先ここでやっていけんのかな。
森さんの部屋より低く狭くなった部屋で空を見上げた。
相変わらず威圧を感じる澄み渡った青空だ。
転職、考えようかな。
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