黒の時代編 | ナノ


▼ アナグマの酒場、二

俺は今のところマフィアに属してはいるものの、回ってくる仕事は黒社会とは名ばかりの誰もやりたがらない溝浚いばかりだ。

その理由は単純で、私にはこの三人のような地位と実績がなく、どの幹部派閥にも属していないため、愚にも付かない無賃仕事を押し付け易いからである。

つまりマフィアの何でも屋だ。
決して誰も進んで遣りたがらないものなのだが、太宰にとっては夢の様な仕事らしい。

話は変わり、そんな他人の仕事に顎を突っ込もうとする太宰の、自殺以外に持つべき趣味についてになった。


「運動競技とか」

「私疲れるの嫌い」

「学問は?」

「面倒だなあ」

「では料理………いえ、何でもありません」


安吾が首を折り、口元を押さえる。おおかた、太宰が俺と安吾に振る舞った“元気水炊き”なる料理の味を思い出したのだろう。

名前通り元気になったが、元気になっている間の、食後数日間の記憶が全く無い。

材料を問いただしても、うふふと笑うだけで結局真相は謎のままだ。


「そうだ!名前は食事を摂る姿が実に素晴らしくてね。悔しいけど、彼女の食べる物は例え陳腐なコンビニ弁当だろうと超一流三ツ星料理店で出されるフルコースの如く、美味しそうに見えるのだよ」

「ほう、それで食い意地大魔神か。是非見てみたい」

『織田作さん、それ直ぐに忘れてください。今この場で』

「だが美味しそうに食べるのは良い事じゃないのか?」

「だろう?だから私は今度彼女に新しい水炊き鍋を振る舞おうと思っていてね。名付けて“超人スタミナ鍋”、食べると何時間走っても疲れない、夢の――」

「名前さん、悪いことは云いません。絶対逃げ切ってください。貴方の将来に関わります」

『あ、安吾さんんんん!!助けて!超助けて!』


顔を反らす安吾の服を掴み、涙目で体を揺らす名前。

疲れないのなら仕事の前には良さそうだが、体力仕事というより、集中する類の仕事をする名前にはあまり必要が無いかもしれない。


「どうも僕はここで無償残業をしているようだ。今日は失礼しますよ」

「何だ帰っちゃうの?」

『私も帰ります』

「名前は駄ァー目」

『手前が云っても可愛くねえんだよド畜生』

「正直なところ、ここに来て貴方がた二人と酒を飲んでいると、自分が黒社会で非合法な仕事に携わっている事を忘れそうになるのです。まあ今日はもう一人いらっしゃいますが、案外楽しかったですよ。もっと早くに来れれば良かった。マスター、御馳走様」


太宰が立ち上がった名前の腰に腕を回す。
その頭をぐぐぐと名前が渾身の力で引き剥がそうと、両手で押していた。

安吾は口元だけで微笑しながら云い、そしてカウンターの上にある、自分の荷物を手に取って立ち上がる。

ふと何となしに安吾の図嚢が気になり、指差した。

特に深い理由は無い。
ただ他に引き留める文句が頭に浮かばなかった。


「その鞄は出張の荷物か?」

「そうです。大したものは入っていませんよ。煙草に護身用の武具、携帯雨傘、あとは仕事用の写真機ぐらいです」

「そうだ写真を撮ろうよ、記念にさ!」


唐突に太宰が明るい声で云う。

何の記念だ?と俺は太宰に尋ねた。


「ここに集まった記念。あるいは安吾の出張完了祝いか、不発弾処理祝い、その他何でも」

「幹部殿の仰せのままに」

「それと諸君、仕方がない。ここに居合わせたのも何かの縁ってことで、知り合いが極端に少ない可哀想な名前も入れてあげようじゃあないか」

『あっ!』


突然の大きな声に三人が名前の方を見た。

気まずそうに頬を掻きながら目線を反らし、ぎこちなく名前は笑う。


『あー、ええと…私は……いい、かなあ』

「どうしたんだい?遠慮する振りなんてしちゃって君らしくない。何の心算?」


遠慮しないのが彼女らしいとまでは云わないが、先程まで初対面の俺や安吾に、昔からの知り合いの様に気さくに話をしていた名前を見れば、出会ったばかりとは云え確かに彼女らしいとは思えなかった。

視線を宙にやりながら、名前は指を弄りつつ歯切れ悪く話す。


『いやだって…今日本当は三人で出くわす筈だったしー?ひょっと出の部外者が写真に入り込もうだなんて烏滸がましいっていうかあ……』

「構いませんよ」

「俺もだ」

「二人ともそんなことを気にする人じゃないよ。私も酒が入ったし良い気分だ…それとも何か理由でも?」

『……いやね、察しろってことなんデスよ。今日はちゃんと化粧もしてないデスし、服だって地味目なスーツ。こんなん全然可愛くない。女の子にとって自分が可愛くない写真をこの世に残すのは人生の汚点も同然!オーマイガッ』

「そうなのか?」

「化粧をしたところで大して変わらないさ!特に名前の場合、悪足掻きにも程がある。無駄な抵抗は止し給え。それに、私と違って君の平平凡凡極める顔なんて誰も見ないね」

「そうか?俺は結構美人だと思うぞ」


正直な印象を述べたのだが、えっと太宰が俺の方を見て鷲色の目を大きく見開いた。

ぱっと見ても白い柔肌、黒い瞳はどこか強い意志を感じさせ、桜色に色付く唇だって形は良い。

太宰が今まで相手にしてきたような抜きん出た美女と云う訳ではないだろう。
でも俺は着飾られた世に言う豪華絢爛な美女より、どちらかというと質素で清潔感のある名前の方が好感を持てた。

先見の明を持ち頭が切れすぎるあの太宰が、突然に見知らぬ土地へ来たような、驚きに満ち溢れる顔をする一方、そんな太宰に俺は首を傾げる。


『織田作さあああん!!好き、もう大好き。愛してる。あいらびゅー』

「そう真正面から云われると照れるな」

「…そんな変人に照れたり、美人と云うのは織田作ぐらいのものだよ」

『……むっかー。超絶ムカつきました。まあ私と云う可憐な華が無いのは至極残念でしょうけど、ここは見目麗しい殿方だけでにっこり笑って写真撮ってください』

「本当に良いのか?」

『良いから!ほらほら織田作さんも並んで!その写真機寄越してくださいな』


名前は半分引っ手繰るようにして安吾の手から黒い写真機を奪った。

古い型のフィルム感光型写真機だ。
使い古され、ところどころ黒い塗装が剥がれ掛けている。

様々な理由を並べて写真を撮られることを頑なに断る名前に対して、太宰は諦めたのか肩を竦め列んだ。


「かっこよく撮ってよ」

『太宰は顔面偏差値だけはずば抜けて高いですからねえ。ま、後は最低極めてますけど』

「何か云った?」

『…ナニモ』


うふふと目を細め微笑を浮かべる太宰に、名前はさーっとさり気無く目を逸らした。
俺も安吾と太宰に倣って、カウンターで隣り合う。


「太宰、何故急に写真なんだ?」

「今撮っておかないと、我々がこうやって集まったという事実を残すものが何もなくなるような気がしたんだよ。何となくね」

『はーい撮りますよー。さーん、にー、いーち』


太宰はにこりと笑った。

バシャリッと写真機のシャッターが切れる音が自棄に響いて聞こえた。


『うんうん。多分良いんじゃないでしょうか!この腕前なら私、写真家になれますなあ。むふふ』

「ちょっと貸して」

『…?どぞ』

「悪くない写真機だ………はい、チーズ!」

『…っ!?てめっ、ちょ!!そのカメラ現像しなきゃ消せない奴うううう』

「知っててやったのだよ」


名前が手渡した写真機を様々な角度から見たのち、一瞬の隙をついて名前へシャッターを切った。

大凡これが狙いで太宰は名前に写真機を貸せと云ったのだろう。

写真機を高々と持ち上げ、したり顔で笑う太宰。
その写真機に腕を伸ばすものの、身長差で届かない名前。
そしてその写真機が落とされないかと冷や汗を流しながら心配そうに見る安吾。

初対面の筈なのに、ずっと前からこの四人で過ごしていたように自然に溶け込む名前の存在が、何処か心地よかった。

しかし彼女がいることで変化が無い訳でもない。それが良いものなのか、悪いものなのか今は分からないが。

でも、少なくともあんなに無防備になって笑う太宰を、子供のようにムキになる太宰を俺は見たことが無かった。

未だ揉み合う二人を見て思う。

若しかして彼女なら太宰の周囲を取り囲む孤独を理解した上で、傍に立ち続けることが出来るんじゃないかと直感した。
その孤独を土足で踏み鳴らし、ほら潰れたと悪戯めいた笑みを浮かべて太宰に手を伸ばせるんじゃないかと、そう感じた。


写真も撮り終わり、マスターに挨拶して店を出ると、名前は私はこれでと挨拶を一つし、普通に一人で帰ろうとする。
それを太宰が「莫迦なの?」と何処か気に食わなそうな微笑みを張り付けて、腕を掴み引き止めた。

流石に女の事に疎い俺でも、こんな夜遅くに女一人で帰らせるにはいかないと分かっている。


「名前がどうしても私と一緒が良いって云うなら、送ってやらないこともなくはないよ」

『いいですよーう、だ!太宰と帰ったらあちらこちらで自殺しそうで碌な目に合わなそうだし、帰る時間が普通の倍以上はかかりそうデスしい。直ぐ其処だから、ここは一人横浜の夜風をこの身に沁みらせて帰ります』

「…君さ、可愛げないって云われるでしょ?」

『云われません。そんな事云うの太宰だけです。変わってるとは良く云われますけど、自認はしてません』

「なら俺が送ろう」


太宰がまた驚いたように俺をみた。
そんなに今日の俺の行動は予想外なことが多いのだろうか?

名前は後ろに花でも咲きそうな笑みを向ける。


『うっわあ織田作さんやっさすぃー!!どっかの誰かさんと違って寛大な心の持ち主!大人の男性って感じ!!パーフェクトヒューマン!!』

「…別に私だって送らないとは云ってないのだけど」

『何か云いました太宰君?』

「名前ってダイオウグソクムシと似てるねって」

『だいおー、ぐそ……何て?』

「さあ?」

「織田作さんが女性に関心を持つとは、珍しいこともあるものですね」

「そうか?」


安吾がそう云うなら、恐らくそうなのだろう。

喜んでスキップでもしそうな名前の横で、先ほどは面倒そうな顔をしていた太宰から、今度は拗ねたような視線を俺に寄越した。

俺は何か余計なことをしてしまったのだろうか?

何処か納得しない顔をする太宰や、今日も朝早くから仕事がある安吾とも別れ名前と彼女の住んでいる場所に向かう。

どうやら、彼女はマフィア事務所にある構成員の住宅階層に住んでいるようだった。

他愛もない話をしながら、横浜の夜風に中るのは悪くない。
暫く歩けば直ぐに事務所に着き、別れの時がくる。


「じゃあな」

『織田作さん!』


名前を呼ばれ振り向くと彼女からほんのりと甘い、けれど甘ったるくは無い、気持ちが軽くなるような香りがした。


「如何した?」

『あ、えと……送ってくれて有難うございマシタ。仕事、無理しないでくださいね』

「…?ああ、ありがとう。名前も身体には気を付けろよ」

『健康だけが取り柄ですから』


如何してだか名前と話すのは、子供たちと話す時の様な…否、それとは少し異なった心の安らぎがある。

まるで初めて会った訳では無い様な。
こんな昔の誘い文句みたいなことを云えば、引かれてしまうだろうか?

太宰と同じような何処かお茶らけた独特な話し方にも関わらず、太宰の様に一線引かれた疎外を感じさせない。
寧ろ自分からその線を踏み越えて、相手の耳元で大声を上げる。そんな悪戯めいた無邪気な奴だと俺は思う。

でも子供のように無邪気に笑う一方その視線は、何か先を見ていて。
そして映っている景色は決して美しく無いような気がした。


でも、また、逢いたい。


最後に夜風で鼻腔を霞めた、名前の香りを思い起こしつつ、横浜の夜へ迷子の犬の様に消えて行った。

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