黒の時代編 | ナノ


▼ 罵り合いの夕餉

何処か不機嫌な太宰に腕を引かれ、連れて行かれたのは先日の定食屋だった。

どうやら夜も営業しているようで、確かに値段はそう高くない。本当に私の金銭事情を配慮してくれるとは…思い遣りという感情を可燃ゴミに纏めて捨てた人だと思ってたから正直驚いた。
一体何があったのかは判らないけど、先日服を買った所為で膨らみが無いお財布には優しい限りだ。

品書きを見て食べる物を決めると、太宰も決まったようで互いに無言で頷く。

私が誰か店員さんを呼ぼうと顔を品書きから外すと、まるで此方の心情を見透かしたように店員さんが瞬時に駆け付けた。

こういうお店の定員さんといい、どうしてこう注文したいと思ったタイミングが分かるんだろうか。
飲食店でバイトをしたことが無い私には分からない。
こういったところで働いていれば、もっと相手の心境を透視できる目を養うことが出来るんだろうか?

……否、少なくとも森さんだとか太宰には通用しないな。鉄筋コンクリートが寒天にも思えるような、確固たる硬さの心の壁を造って隠してるからなぁ、奴等。


「お決まりでしょうか?」

『えと、私この生姜焼き定食で』

「あ、それ二つ」

「畏まりました」


あ、二つなんだ。
少し驚いて太宰を見ると、何?とまた不機嫌そうに若干睨まれる。
何で此奴、こんなに不機嫌なの?身長が高いからって牛乳飲んでないから、カルシウム足りてないんじゃないの?

まあでも百歩譲って、何を頼むかは知らずに呼び止めたから少し申し訳なく思う。
だってまさか此奴が自分と同じものを頼むと思わないじゃないか。

しかも可笑しなことに、今日は何故だか分からないが、定員であるお姉さんに心中の誘いをしない。
結構な美人さんだと思ったんだけど……男性の好みって難しいデスわね。


え……。
あの太宰が心中のお誘いをしない、だと。


…………いや、怪しくない?

絶対怪しいよね。
太宰が心中しようとしないなんて、獅子が突然今日から自分草食動物っすとでも云い出すくらい有り得ないことだ。

訝しげに太宰を見るも、本人は頬杖を付いて何やら考え込んでいる。
……悔しきかな、何しても様になるのであるこの人間は。

包帯まみれではあるものの見える肌は白く、まるで女の子みたいな肌理細やかさだ。
長い睫毛が薄く影をつくり、印象深い鷲色の瞳は儚さを滲ませる。

いつも肩に掛けている黒外套も今はハンガーに掛かり、背広だけの状態は少し珍しく新鮮に感じた。

…これ、写真撮ればそれなりの値段で買い取って貰えるんじゃね?
怪しい計算をしつつ、今頃森さんはエリス嬢とフレンチ食べてるのかなあと思いを馳せる。

嗚呼…行きたかった。
生姜焼きを頼んだのは、決してこの定食屋で少しでもフレンチに近いような物が食べたかった訳ではない。ええ、決して。

注文した生姜焼きはそう待たずとも来て、お腹の空いていた私は頂きますと言い、合唱した。

しかし、太宰は何も言わず箸を手に取り味噌汁を飲もうとする。


ってうおーいおいおい。一寸待てい。


「何?」

『いやいや、なに?じゃないでしょ。ほら、食べる前に言うことがありますよ、ささ!』

「は?」

『じゃあ心優しい名前さんから大ヒント!私がさっき云っていた言葉は、なーんだ?』

「悪いね。君の事なんてゾウリムシの毛ほども興味無かったし、なんなら小蠅が耳元で飛んだのかと思ってたよ」

『ははっ。小瓶に入った七味、全部そのもちゃ頭にぶち撒けるぞ手前』


態々自分から夕餉に誘っておきながら、何でこんな態度な訳?
許さんよ私。

私の太宰に対する振る舞いや口ぶりは、構成員が聞いていたら血の気が引くどころか、彼からの報復が恐ろしすぎて自害してしまう者も居るだろう。

だが、私には許される。

なーぜーなーらー、はいっせーの!

首領のご加護があるからでぇーす!!

下手な神様より絶大な力を持ってるよ森さんは。
神様仏様、よりも森様。

何時叶うか分からない信仰より、今を確実に助けてほしい。現実主義なんです、私は。

渋々と云うように「分かったよ」と太宰は肩を竦め大きなため息を吐いた。
持っていた箸と味噌汁を置き、手を合わせて早口に頂きますと小さく呟く。

案外素直だな……。

まあポートマフィアには教育も糞も無いもんね。
如何に利益を生み、生き残れるかが全ての世界だもんね、あそこは。

ようやく私も箸を進めることが出来、生姜焼きの甘じょっぱさで今日の疲れがふっ飛ぶ感覚に酔い痴れる。

ああーこれが高級フレンチだったら昇天していたところなのに。
やっぱりあの時太宰の威圧に押し負けず、森さんの手を取っていれば良かった。

後悔していると黙って生姜焼きを食べていた太宰が、ところでと云う。


「名前は首領を好いているのかい?」

『んぐっ……!』

「止してよ。汚い」


止してよ、はこっちの台詞だ。

寝言は寝てから云ってくれよ。
危うく生姜焼きを丸々飲み込んでしまう処だったゼ。

喉奥まで差し掛かった肉を何とか口内に戻し、ほどほどに噛んでお茶で流し込んだ。

突拍子もないことを唐突に云ってきた本人はそんな私に蔑むような視線を向け、目の前で生姜焼きを頬張る。


『ふいー。何ですか藪から棒に。最近ポートマフィアでは恋バナでも流行ってるんデス?』

「おや?既に聞かれてたか」

『対象は違いますが…貴方の相棒さんに』

「え………………あ、あの帽子置きのこと」


………本当に嫌いだなあ中也さんのこと。
相棒と言われ、思い付き口から出てくるまでに少なくとも十秒はかかった。
しかも出てきた名前は最早本名ではなく悪口。

冷めた目で太宰を見るが、本人はどこ吹く風と言わんばかり。


「へえ……そいつは耳寄りだ。で、誰のこと?」


お前だよ。


………とは云えず。

如何したもんかな…。
だって言ったら絶対にやにやするじゃん。図に乗りそうで云いたくない。

でも、だからと云って頭に浮かぶ人物は他にいなかった。

知り合いが極端に居ないこの世界で、頭に浮かぶ異性は森さんと中也さん、そして目の前で研ぎ澄まされたナイフよりも鋭利な視線を向けるこの男だけだ。

選択肢が少な過ぎる。
一人一人のスペックはスーパー高いとはいえ、選択肢が絶望的に少ない。

嘘を吐こうにも相手が居らず、腹を括る。


『…あんたンことデスよ』

「だろうね!まあこっちは君みたいなへちゃむくれ、願い下げだけど」

『……かっちーん。やっちまったね太宰くん。名前さん、完全に鶏冠に来ちゃったヨ。私の方こそ貴方みたいな本体が包帯だか何だか分からんような男、お断り、デス』

「言うじゃないか。貧乳のちんちくりんのくせに」

『あんだとこの甲斐性無し』


ここは食事処である。

一日の疲れを食事を介して癒す、そんな場所である。
……にも関わらず、私たちの卓では白熱した罵り合いが繰り広げられていた。


『あーあ、中也さんはそんな下劣な事一切言わずに優しくしてくれたなあ!二人で食べ合ったクレープ、すっごく美味しかったなあ!』

「食べ合った…?」

『………ナ、ニ、カ』

「…いーや。何も」


少しの間を置いて、にこぉっと笑う太宰。

明らかに嘘だ。
なんだ、何を企んでいるこの男は……。

しかしその左手にはご飯の入った茶碗、右手には箸。
両手の塞がった状態の貴方に一体何が出来るというの!

例え何か出来たとしても無駄な足掻き、高が知れてる。

ここは食事処で人目も普通に多い…今の私に怖いものなどないわァ!


そう思い込んだのも束の間。


太宰は持っていた箸で私の皿の上にあった生姜焼きをパシィッと取った。

ま、まさか………!!


『ちょぉ、それっ、私の最後の生姜焼きいいいん!』


締めにと取って置いた程よく脂身が付き、皿に盛られた中で一番美味しそうだった最後の生姜焼きは、太宰の素早い箸捌きによって取られ、そのお口の中へ。


もぐもぐもぐもぐ――――ごくんっ。


喉仏が上下し、驚きの白さを誇る、太宰の喉を生姜焼きが通って行くのが見えるようで。

飲み込んだ太宰は、御馳走様と微笑んだ。


…………こんの迷惑ベルトコンベアーがああああっ!!


食べ物の恨みは恐ろしいとは良く云ったもので、私もまた太宰の皿に残っていた最後の生姜焼きを素早く箸で掴む。

未だ両手が塞がっている太宰は何も出来ない。

何か言われ、止められる前に口へ入れた。
先程されたように良く咀嚼し、そして飲み込んでニヤリと笑う。

取られると思っていなかったのか、驚きに見開かれる瞳。

だーはははっ!!私の気持ちを思い知るがいいわ!


「あ、それ…」

『あー美味しい!私から食べ物を奪おうなんざ、百万年早いんだよ小僧』

「私が食べかけていた奴なのだけど…」

『……』

「これって、関節キスだねえ」


し ま っ た

飲み込んでしまったからには吐き出すことも出来ない。

早く奪うことに集中して居た為、食べかけだというのに気が付けなかった。

なんで、そんなこと…。

どうせ私のことなんて其処等に生えた雑草ぐらいにしか思ってないくせに。今日までの言動が良い証拠である。
そして、ましてやヤキモチなんて妬くような可愛い奴でもない。


うふふ、と笑う太宰に背筋が凍る。


あ。分かった。

これ、ただの嫌がらせだ。


全て見切っていたのだ。

私が最後に一番美味しそうな生姜焼きを残すことも、それを食べれば勿論怒ることも。
そうすれば私がムキになって太宰の生姜焼きを食べ、そして私にとっては屈辱のような関節キスで止めが刺されることも。

全部ぜーんぶ分かっていた。

流石は歴代最年少幹部……伊達や酔狂だけじゃなれない肩書を持つ男。

自分が灰となり、さぁーっと風化する音がした。


―――――――――――――
―――――――――
―――――


残りも全て食べ終わり、会計へと席を立つ。


「じゃここは宜しく」

『あいよ』

「………」

『え、なに?』

「…君、本当に男慣れしてないね。まさかとは思ったけど、これは予想以上だ」

『はァん?』


財布を鞄から取り出すとじとりと変な物を見るような目を向けられた。

しかも失礼なことに、男慣れしていないと言われる始末。

クソ腹立つっ……!!私の今まで経験してきた恋愛事情の、何を知っていると言うの!!

そうだよ!
したことねえよ恋愛!!

如何してそんな、口を開けば嫌味しか出てこないのか……私には理解出来ない。


「ここは普通、男に奢って貰うものだよ」

『いやだって、この前奢ってもらいましたし。ここぐらいなら払えますよ?あ!若しかしてェ、太宰ちゃん私のこと心配してくれるんですう?やっさすぃー。んじゃ、ここはその御慈悲に甘えて』

「外で待ってる。寒いのだから早くしてよね」

『って聞けや、おい』


私が文句を言う前に太宰はそう口早に言うと、ピシャッと扉を閉めてしまった。

…もう、なんなの本当にあの子は。
反抗期の息子を持つ母親の気分だ。

まあでもブラックモード時の太宰の考えは塵ほども読めないけど、ああやってムキになる時は案外彼の表情は豊かである。

飄々とし何処か掴み所がない、のらりくらりとした流浪の格好良さも勿論太宰の魅力の一つだとは理解している。
でも正直私はあの張り付けた笑みを剥ぎ取り、生身で話す太宰の方がどちらかというと人間らしく感じ好感を持てた。
……まあそう思わせる算段かもしれんけど。

目は口ほどにものを云うとはほんと、上手く云ったもんだなあ。

二人分の会計を済まし、定員さんの挨拶を聞きながら御店を出ると何処か閥の悪そうなムスッとした顔をする太宰が立って居た。


『どしたん?美女に心中でも断られました?』

「…二件目行くよ」

『ぎゃひぃ!もう夜遅いですし、またの機会に…』

「名前は門限でもあるのかな?」

『あります、ええ。なんたって私はシンデレラガーッルゥ!嗚呼、魔法が解ける前に早く帰らねば』

「名前なんて魔法が掛かったところで、精々リボンの付けられた蟇蛙になるだけでしょ」

『それは私が蟇蛙以下って言いたいのか?え?』

「いいや。それは蟇蛙に失礼だ」

『うおおい!』

「それに名前…私は今日飲みに行こうと誘った筈だけど?」

『…っ、お代官様っ後生です!財布にはもう其処等で悪さする中坊のお小遣いぐらいしかなくて』

「聞こえなーい」


首にぐるりと回された腕を引き剥がそうとするが、ビクともしない。

お助けあれええええっ。

声にならない私の悲鳴は横浜の闇へと吸い込まれていった。


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