黒の時代編 | ナノ


▼ ぐっどもーにん!ばっどあふたぬーん!

朝、七時。

携帯のアラームで目が覚める。

私は朝にとてつもなく弱い。
朝の憂鬱さに対する布団の魔力は絶大なのだ。

しかし徐々に大きくなる煩わしい音に、寝ていたくても寝れない。
音を頼りに携帯を見つけ出し、アラームを解除した。

この携帯は連絡が取れないと何かと不便だろう、という森さんの優しい計らいによって支給された物である。

ポートマフィアで配られる携帯ではあるものの、特に機能は通常の物と変わらない。
きっと万が一、誰かに奪われても遠隔操作とかで入っているデータが全て消去出来るような使用になってるんだろう。…万が一の事態にならないことを願おう。

まだ眠気の抜けない身体に鞭を打ち、目を覚ますため顔を洗いに洗面台へ向かう。

鏡を見て、前髪伸びたなーと少し気になった。

私の部屋の間取りは1DK、それにお風呂とトイレが別で付いている。

鍵はオートロックの、カードキー。
ピッてやって鍵が開くのは何処となくカッコいい。
完全にセキュリティされてますって感じだ。

部屋の中には家具も備え付けられており、雰囲気はまるでちょっとしたホテルの様に綺麗である。
一人暮らしには丁度良い、寧ろ充分過ぎる部屋で、文句は何一つ浮かんでこない。

空いてて良かったラッキー!とばかりに感じていたが思いの外、回転率は高いらしい。

理由は……言わずもがな、である。

まあね危険な組織だからね。
死と隣り合わせだからね。

祟られない様に盛り塩を置いたのが記憶に新しい。

御飯に味噌汁、卵焼き、漬物となんだかおばあちゃんの朝食ようなものを食べ終え、スーツに着替える。

此処までで丁度一時間。

ちょっとしたルーティンになりつつある朝の行動に、将来社会人になったらこんな感じなのかなと想像した。
…まあ全ては元の世界に戻れたら、の話だけど。

よし。今日も一日、文スト日和で頑張ろう。

気合を入れ、最後に玄関の鏡で服に乱れがないことを確認し、鞄を持って扉を開けた。


「ぐっどもーにんっ、名前!!」


な ん で お ま え い ん の


扉を開けると目の前には、にんまり笑う歴代最年少幹部様がご機嫌に立っていた。

考えるより先に身の安全を確保するため即効扉を閉める。
が、閉まり切る前にガッと足を入れられあ。

まるでこれは借金取り立ての図。
……さてはこいつ、慣れてやがるな!


『ちょっ、え、いやっ何用!?』

「朝に弱い名前の為、この私が直々に爽やかな朝をお届けしてあげようと思ってね。ここは一つ、同伴出勤と決め込もう!」

『どういうことなの』


ここの階層は私の様な住む処のない構成員が暮らす、謂わば住宅階層。
例え太宰がこの建物に住んでいるとしても、幹部クラスにはこんな庶民的な部屋ではなくその階全てを占めるような広い部屋を貰っている筈。

だから何か目的がない限りこの階に足を踏み入れる必要はない。

だのにっ…!
いや、本当に何で此奴ここにいるの!?

しかも同伴出勤だと……?
冗談も休み休み云ってくれよ、ミスター蓬髪。

あの手に汗握ったランチタイムを過ごして以来、何かの拍子でボロがバレそうで太宰が恐ろしくて堪らない。

けれど矢張り幹部ともなれば忙しいのだろう、それ以来姿を見かけることは無かった。
…にも関わらず、何で突然現れたんだ。


え、てか一寸待って。


『何で、朝、弱いの知ってっ……』

「うふふ」


こっ、怖ええええ。

ただ目を細めて怪しげに笑う太宰を見上げ、ここ一番の恐怖を覚えた。
足が震え、膝は大爆笑状態だ。満点大笑いだ。

その所為で力が抜けてしまい、それを見逃す筈がない太宰はここぞとばかりに力を掛け扉は全開する。
立ち竦む私の目の前に立ち、唖然とする私をにやぁっと笑って見下ろす。

あ、此奴、確信犯だ。


「それじゃあ行こうか」

『のおおおおおお』


神よ。如何かご加護を。





それからは記憶が無い。


抜け殻のような私とは裏腹にスキップでもし始めそうな太宰と腕を組んで廊下を歩き、何十人もの構成員に二度見、いや三度見され、執務室へ一緒に入って来た事で森さんに凝視されたなんて、私は知らない。

そのまま太宰に椅子まで要らないエスコートをされ、「では、また」と太宰が云う処の爽やかな笑みを向けられた時は、一つぶん殴ってやろうと思った。

何があったのかと森さんは気にしている様子はあったけど、私の据わった目と線でも入りそうな顔を見て察したのか何も聞いては来なかった。

しかし何時までも机に突っ伏して現実逃避していても仕方がない。
痛む頭を無視してパソコンを立ち上げる。

むしろ気疎い朝の出来事を払拭するためにも、目の前の書類を片付けるとに頭を集中させた。


――――――――――――
――――――――
――――


夜、十八時。

公務員と同様の扱いで定時に上がることの出来るこの仕事は、本当に素晴らしいと思う。

最恐最悪と云われるポートマフィアでさえ定時で上がらせてくれると云うのに、ブラックと呼ばれ忌み嫌われる企業は一体何をやっているのか。

机の上を片付けていると携帯のバイブが鳴った。

どうやらメールのようだ。
見て見ると登録されていないアドレス。件名もない。

しかしこの携帯は情報漏洩に敏感なポートマフィアの支給品。
迷惑メールだのは勿論来るはずもない。

じゃあ一体誰が…。
釦を押してメールを開封した。


―――「アドレスは交換させて貰ったよ。ところで、どうせ今日暇だよね。私と一緒に飲みに行こうじゃないか!迎えに行ってあげるから其処で待ってい給え」


文章だけでここまで瞬時に送り主が分かるメールを初めて見た。
そして頭に来るメールも。

どうせ私は暇人ですよ。
知り合いが少ないですよ。

大体飲みに行こうって…。
私、未成年だよ。てかお前もだろ。

未成年飲酒だめ、絶対。

というか何時の間にアドレス交換したん………朝の奇襲の時か。

え、でもでもパスコードロック掛かってるし勝手に開けられないようになってる。
セキュリティは内部情報の漏洩に死ぬほど敏感なここポートマフィア使用だし、番号だって予め決められた番号だから分かるはずないのにっ……!


その時、私は思い出した。

あいつ、その組織の幹部様だったわ。


予定は無いがそれを決めつけられたことに怒りが湧き、「行きません。一昨日来やがれ、ださい君」と返信しようと思い立った。

そして早く自分の部屋に逃げねば。

しかし恐ろしいことにメールを読み終わったその途端、執務室の扉が叩かれた。

まさか…と嫌な汗が背中に流れる。
恐る恐る開かれた扉の前に立って居る人物を見ると、想像した通り上機嫌に微笑む太宰の姿があった。

目線だけで「逃がさねえぞ」と言われた気がする。

長身の彼の足は比例して長く、故に歩幅もそれなりの距離を稼ぐ。
数歩で私の前まで来て、ガシッと腕を掴まれた。

うわぁ。すっごい良い笑顔デスね。
きっとその笑顔に全太宰ファンがきっと黙っちゃいないヨ。

羅生門の坊やが失神しちゃう奴だよ。

あわわと何も云えずに慌てふためく私とは打って変わり、森さんは少し眉を上げて物珍しそうに太宰を見た。


「君の方から訪れるなんて珍しい事もあるものだ。何か用かな?」

「はい。名前と夕餉を共にするため参った次第です」

『行くって言ってないんですけど!?』

「ほう…。何時の間にそんな親しくなったのかね?」

『親しくないんですけどっ!?』


本当に何がしたいんだ太宰治、十八歳。

私には貴方の後ろに悪魔が見えるよ。

漫画で見るよりも何処か幼さが残るその顔には、その年でするものではない不敵な笑みを浮かべている。
対して森さんも手を組んでその上に顎を乗せつつ、太宰に暗く鋭い視線を向けた。

両者の視線がかち合う処で火花が散っているような気がするのは私だけだろうか。

おおっと、でもこれは俗に云う逆ハーの図なんでないの?いいぞいいぞ、もっとやれ。
そして私の為に争うのはヤメテェッ…!なんて云ってみたい、ぎゃひひ。

……まあ現実ではそんなこと、とても言えるような巫山戯た雰囲気ではないのだけど。

夢と現実の差をまざまざと感じつつ、両者一歩も引かない水面下の戦いで先に言葉を発したのは森さんだった。


「若い二人が仲良くしているのは実に微笑ましい。…だが、私には彼女が了承しているようには見えないねえ」

『そっそうなんデスよ、森さ』

「彼女は余り男性慣れをしておりません。故に、羞恥で照れているのです。…そうだよね、名前?」

『え、あ……。ハイ』


有無を云わせない威圧に無意識の内、危機感とは相反して肯定の返事をした。

訂正しよう。
彼の後ろに悪魔がいるんじゃない。

彼自身が悪魔だった。

にこりと微笑まれた太宰の笑みに逃げ場が無いことを確証する。
ああもう良いですよ。付き合えばいいンでしょ、付き合えば!

冷静に考えれば、話すことはもう充分話したはず。

満足げな顔をする太宰に内心舌打ちをしつつ、諦めと、音を上げる速さに定評がある私はまとめた荷物を持ち、立ち上がった。

しかしそこで森さんが「嗚呼、そういえば」と何か思い出したように言葉を零す。


「名前ちゃんが好きそうなフレンチの御店を見つけてねえ。良ければ今日エリスちゃんと一緒に如何だろうと思っていたんだけど」

『マジですか』

「マジだよ」


ははっと笑う森さんに先ほどまで諦め、砂漠で餓死寸前が如く萎びてしまった筈の心が一瞬にして復活する。

あの森さんが誘ってくれるお店ということは、庶民が簡単に潜れるようなそん所其処らのレストランとは訳が違う。
きっと三ツ星が付けられた、一流企業の社長や芸能人、VIPみたいな選ばれた人ぐらいしか行けないようなお店だ。


高級フレンチ……正直、超食べたい。


が、しかし私の手は漆黒の大悪魔・ディアボロにむんずと捕らわれている。

だっ誰か助けてええええ。

逆ハー展開、マジめしうま。と思った数秒前の自分に逃げて、超逃げてと助言したい。
しかし残念ながらガッツリ太宰に掴まれているため、時間を遡ることは出来ないぃー。

人間失格……なんて恐ろしい能力なの…!?
名前のライフはもうゼロよっ!

二人から鋭い視線をびしばし受け、無言の威圧を感じ、私の小さなハートが断末魔の叫びを上げる。

だけれど何時までも黙っている訳にはいかず、震える声で話した。


『も、森さん…ごめんなさいデス。あのう、行きたい気持ちは本当に海より深くあるンですケド…太宰のあんちくしょうが一人で可哀想なので、ここは一つ、優しい名前さんが付き合ってあげようと思いマス』

「そう…確かに名前ちゃんは優しくて良い子だ。残念だけど、仕方がないね」

『…っ、ああ、でもでもっ、森さんとのフレンチも今度行きたいデス!この前森さんが言ってた…ええと、あの、ビーフシチューみたいな…』

「ビーフストロガノフだね」

『あ、そう!ソレです』

「うん。手配しておこう」

『有難うございます!』

「序でに本場パティシュエの新作デザートも付けて貰おう。それで如何だい?」

『………っんもう愛してます!アイラブ森さん!!』

「正面切って言われると照れるねえ」

「………」


何か太宰が信じられない物でも見るような顔をしているけど、如何したんだろうか。

私の優しさに感動して声が出ないとか?
そうか、そうなんだな。

森さんに再度謝って、動けずにいる太宰を引っ張り執務室を後にした。

横浜一高いビルヂングであるこの建物の最上階に執務室があるため、昇降機で一階のロビーに降りるまでは時間がある。

二人きりの空間にドギマギするが、当の本人は目を丸くさせ私を見たまま。
何も云わず、珍しく黙りくさる太宰が今度は別の意味で怖くなり、声を掛けた。


『あのー、ダイジョブ?』

「……君、本当に何者なのかな」

『まーたその話デスかあ?云ったでしょう。生粋のタイムトラベラーですよあたしゃ!あ、それから今日、自分そんなにお金持ってないからお安めの処でよろしくお願いしやす。ちょっと今月ピンチでして…。否ね、バーゲンで目当ての服を買えたとこまでは良かったんですケド、帰りに別の店で可愛いスカートを発見しちゃって』

「それ本気?」

『え?ああ、私も大いに悩んだのデスよ。でも一期一会とは良く云った物で、残り一点と定員さんに声高々に云われてしまえば流石に黙っている訳にもいかず……。気づいたら店を出てました。右手に新しい紙袋を増やして』

「いや、そうじゃない」


もう一度そうじゃないんだ、と云って太宰は大きなため息を吐いて顔を手で覆った。
あらら、大分お疲れのご様子。

中々珍しいこともあるもんだ、と首を傾げながら太宰の手を観察する。
しかし手先すら、爪の形すら完璧な太宰に再び先程まであった小さな怒りが理不尽に沸いた。





横浜で最も高級且つ最上ランクの地位を持つフレンチ料理の店へと飛ばすリムジンの中、森は頬杖を付きながら車窓の流れゆく景色へ顔を向けていた。

その眼は何処を見るともなく、ただ流れゆく横浜の夜景を流していく。

先程した、自分の直轄であり右腕である部下と、自身の秘書との会話を思い出し、小さく息を吐く。


「私が先に目を付けたのに…。矢張り若さには勝てないようだね」

「男の嫉妬は見苦しい。それに中年はもっと無理」

「そんな冷たい事言わないでよエリスちゃぁーん!」


隣で人形と遊びながら辛辣な言葉を投げ掛ける美少女、エリス。
森はそんなエリスに泣き縋るが、当の本人は人形に夢中で全く相手にしない。

目に入れても痛くないほど溺愛する少女の言葉により傷つき、森の目尻に溜まった涙は、横浜の夜の光をきらりと反射した。


しかし、若さに勝てないのならば


別の手で奪う――――――


今はただ優しく微笑み、相手の揺るぎない信頼を獲得する。

自分の奥深きにずるりと巣食う、闇より黒い欲望を億尾にも出さず。

鳥は空を自由に飛ぶ姿がこの上なく美しい。

何も言わず、その美しい舞に今は眺めいろう。


だが―――――


自由を知った後に閉じ込められる檻は、知る以前よりも強固で絶対的な物となる。

檻の中に閉じ込められ、空を飛ぶのは勿論、羽を伸ばすことすら出来ず。

自由を奪われた鳥はその檻を壊そうと暴れるだろう。

美しい翼を檻にぶつけ羽が傷つき、皮膚が切れて血が流れ、汚れようとも。
しかし飛べない現実を知った鳥は檻の中こそが全てだと知る。

そして、やがて空を眺めるのさえ辞め最後には―――――飼い殺されるのだ。


「勝負といこうじゃないか、太宰君」


森は笑みを深め、横浜の混沌とした夜の闇へと消えた。


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