Etoile Filante | ナノ
Sept [8/13]


  今、どんな顔をしているのだろうか。


  星が綺麗な事にも気付けなかったのはそれだけ必死だったのだろう。暗がりと灯火ばかりに目をとられていとがポロポロと涙を零し始めたその時に我に返ったエースは一度空を仰ぎオイ、とだけ声を吐き出したのだった。

「いと、そいつが『シャンクス』か?」

  ぬばたまから抜け出た赤い髪を見る事なく呟いたエースの声は硬く、その声を聞いたいともまた泣き濡れた瞳のままそろそろと顔を上げ様としたのだった。そう、だ。『シャンクス』はこんなに、自分を包み込んでしまう程体は大きくなかった。
  自分を抱き締めて、決して離そうとしない『男』。しかしいと、と呼ぶ哀切で出来上がった声に恐ろしさを覚えられず、彼女は僅かに動く右手でちょんちょんと触れるばかりであった。

「あ、の、」
「いと…っ、」

  彼の方が自分よりもずっとドキドキと心臓は暴れる様に脈打って、抱き締める腕は微かに震えて随分暖かい。海の香りがする首すじは夜空の下の、街灯の光に照らされていた。

「離れてくれよ。」

  抵抗出来ずに眉を下げていればエースが再び声を出していた。不思議なまでに静かな声は淡白で硬い。先程まではあんなにあたたかな声で自分を励ましてくれていたというのに、といとは僅かばかり動く頭をエースの向けようとするのだった。

「嫌だ。いとはおれだけ見てりゃあいいンだ…」
「っあ、」

  しかしそれさえ許そうとはしないのがこの男だった。いとの耳に落とされていく声は滔々として流れていくのに、そこには有無を言わさぬものが含まれていた。ゆらゆらと漂う情熱を研ぎ澄まして鉾に誂えてしまったと紛う鋭さと、硬さが確かにあった。
  『知らない筈の男』の、心火をまとったその感情を一身に浴びていとはたじろいでしまう。記憶に置いて行かれた様な、不可思議な感覚に苛まれて足元が矢鱈と朧げになっていく。

「っ、ぅ、」
「…いと?」
「無理が祟ってんだ、言わんこっちゃねェ…!」
「…成る程、な。」

  ああ、そうか、体の限界が来ただけだったんだと頭の隅で理解した瞬間にいとは足の力がへなへなと抜けてしまった。倒れなかったのは矢張り男が抱え込んでいたおかげで、底の見えない声を発したかと思えばそのままいとを凭れさせ片腕で器用に掬い上げてしまう。

「いとはここにいたのか?」

  ここ、と顎でしゃくるのは目の前の病院である。漸く視線をエースに向け赤い髪を揺らして歩き出すのだが二人の男の間には墨色の風が寥々と吹き抜けるばかりで、束の間の懐古すら辻の彼方に掻き消されていった。

「いとを返せ。」
「先ずは横にさせてから、だ。」
「いと、を…知ってるみてェだが、」
「それも、後だ。苛々するなよエース。」

  過去、一度だけ合間見えた頃と比べて漂う雰囲気がかけ離れていた。仲間と座しての々と酒を煽っていた男は居らず、ここには牙を剥く獣じみた威圧感を放つおとこが一人いるばかりであった。
  
「…こっちだ。」

  ややもして折れたのはエースの方であった。抵抗もろくに出来ず、くたりとして一言も声に出さないいとが気掛かりだった。初めて出会って抱え上げた時も驚く程軽く、己に掴まれた腕を全ての力で振り解こうとしても敵わなかった程弱々しい…そんな女なのだから、無理をさせてしまう事だけはさせたくない。

「助かる。」
「…、」

  男もまたいとを心配していた。目を細め痛々しく眉を寄せては何か囁いているらしいがエースには聞き取れなかった。しかしそれよりも引っ掛かるのはいとを見詰める眼差しが何処か己と似ている様で、どろりとした翳りが心を覆い尽くしてしまいそうになる。
  一歩、また一歩進む度にどろりどろりと淀んだ何かが体にまとわりついて息をする事すら億劫になっていく。

「ここだ。」

  いとが横になっていた病室に着く頃には表情も心も硬くなり、ギシギシと音まで聞こえそうになる程であった。いとが他の男の腕の中にいる、その事実が許せない。
  …おそらく医者が来たのだろう、彼女が外した点滴はきちんと止まっていた。皺になってしまったシーツの上にいとをそろりと横にした男は血の気が引いた頬を撫で、乱れた髪を節くれた右手で梳いてやっていたのだった。

「…。」
「…。」

  二人とも暫くは無言を突き通していた。
  医者はいとが部屋に戻って来たのを確認するやいなや押っ取り刀で訪れて、再びテキパキと処置をしている間も言葉を交わす事は無かった。視線すら、である。二人して壁際に突っ立って見つめているのは青白い顔のいと。いとだけであった。
  医者が病室を退出してからも無言の協定は保たれたまま、冷たい静寂は過ぎていく。

「…っ、う…」
「いと…?!」

  その無言を覆すのも、またいとであったようだ。微かに身じろいで眉間に皺を寄せている姿にエースは片手を動かしてしまう。苦しいのだろう彼女は、はあっと大きく息をついては体を捩るが…瞳は閉じて起きる気配は無かった。

「…あんたは、なんでいとを知ってんだ…?」

  浮かした手を誤魔化す様に声を口にしてしまい、エースは己に舌打ちしたくなる。刺々しい口調はまるで、大切な宝物を奪われて癇癪を起こしている餓鬼ではないか。と卑屈な内心に叱咤してエースはようやっと赤い髪の男を見据えたのだった。

「なァ。『赤髪のシャンクス』」
「…ん?あぁ、いとはおれが攫ってきたからな。」

 片方の眉を動かして、シャンクスもまたエースと顔を向き合わせたのだった。ただその面持ちは苦々しく、憂いを含んで決していいものとは言えない。そしていとの横たわるベッドに腰を降ろすと目尻を下げてすまん、と一言呟くのだ。片手で彼女の頭を慈しむ優しい手つきで触れては指先だけで額の髪を払っていた。

「誰に言ってる台詞だよ。」
「そりゃあおまえといとに決まってるだろうが。」
「あんたに謝まってもらう様な記憶はねェぞ。」
「おれのいとの、面倒をみててくれただろ?手間を掛けた。」
「手間でも何でも無ェ、おれはおれの意思でいとに協力してただけだ!」

  まるで、いとがシャンクスの身内であるかの様な物言いだった。さも当然に他所様に迷惑を掛けてしまった非礼を詫びる口調を、さも当然に言い放つ男にエースは思わず声を荒げる。

「オイオイ、いとがびっくりするだろ?」
「もう触るな、」

  いとが探しているのは『自分より歳下の少年』だ。あんたこそ人違い、だろうが。と喉を震わせたくてもシャンクスのもの言わさぬ威圧感がそれを遮った。睨みつけている訳でも無ければ怒声一つも発していないのに、肌に突き刺さる気配が辺り一面駆け抜けてエースは歯を食いしばる。

「血ィ吐きそうになるくらい、いとに触れたかったし会いたかった。…触れんな、とは随分だ。」

  なぁ、いと?と血色の悪くなってしまった小さな頬をエースが嫌がるのを構わずシャンクスは撫で続けるのであった。うっそりと、そして痛々しさに胸を締め付けられている面持ちでシャンクスはゆるゆると声を紡いでいく。

「二つ分の体温だからあったけーだろ?…いと、気持ちいいか?」
「…?!」

  なんで、あんたがそれを言う。
  今度こそ言葉を無くし絶句してしまったエースは開きかけた蓋を上から抑えつける様に硬く瞳を瞑り、唇を真一文字にしてしまうのだった。蓋の周りにはどろどろと感情が渦巻いては心の奥底を蝕んでいく。
  その右手が憎たらしい。
  蓋を開けては駄目だ。
  おれはいとの…何に、なりたいのか、

「…ん…?」
「…いと…?」
「…わりィ…起こしちまった。」

  右手が揺れていた最中、誘われる様に彼女の瞼が一度揺れ震える。エースはハッとしていとを見据え、おそらくそんな事微塵も思っていないだろうに、シャンクスは微苦笑を浮かべて、ゆるゆると瞳を開けていくいとを覗き込んでいた。気が付いたいとはシャンクスの背後の天井を眺めて、そして赤い髪の方へと視線を移していく。

「あれ…?ここ、べっど…」
「おお。ベッドであってる。」
「…え、と、」
「…おはよう、いやこんばんはか?まあどっちでもいいな。」

  指先だけで触れるのを止めたシャンクスは大きな掌でいとの額を覆ってやると寝ぼけてるなァ、と茶化す様にニカリと笑って眦を下げる。
  先程までとはまた違う表情で、歓喜に打ち震えるのを懸命に抑え激情の叫びを喉の奥へと引っ込めてはその代わりとばかりに硝子細工よりも大切にいとを撫でて、そして薄い肩に腕を回して体を起こすのを手伝ってやるのだった。

「いとあいたかった。」
「ぁ、」
「いとっ!」

  元々堪え性が無い男だ。だからいとがひたとシャンクスを見つめてしまえばあんなに堪えていた筈であったのにいとも簡単に感情は爆発してしまうのだった。回した腕をそのままにいとを懐に仕舞ってしまえばもう、心のままにしか動けなくなる。愛しいいとの、愛おしいからだのぬくもりを確かめたくて、シャンクスは片腕の力を強くしてしまうのだった。

「いとだ、」

  体は忽ちに血液が駆け巡り、どくどくと煩いまでに鼓動は脈打って存在を主張した。愛しい愛しいと想う度に片腕は小さく震えていく。やっと見つけた。…間に合った。語録が少ないのは今更で、それでもいとの名前に乗せて打ち震えてしまう想いを紡いでいた。

「…な、んで…?」

  いとははっきりする意識と比例する様に、自分を覆い尽くす男への驚愕を強めているのだった。こんな大きな男のひとは知らない、知らない筈なのだ。『此方側』で出会ったの知り合いは男の後ろに見えるエースだけの筈であるのに。
  こんな『歳上』の男のひとは知らない。
  けれども、なんでこんなにも『似ている』のか。

「わたし、あなたによく似ている…そっくりな人を知っているんです…」
「そうか、」

  恐る恐る声を出していくいとにシャンクスは静かにこたえ、その小さな頭に頬を寄せる。片腕の力を弛める事なくしていればいとはこの男が『片腕』しかない事にはたと気付き目を見開いていくのだった。

「どうして…?」

  自分の『世界』にいた時は、確かに『歳下』で身長も低かった。
  歳下なのに甘えさせるのが矢鱈上手く、いつも泣いては慰めてくれていた。

「ビックリしたろう?おれもだ…『あっち』に落っこちたらガキだったんだからなァ。」

  シャンクスは己の姿をいとに見せてやるかの様に漸く腕を解いてやったのだった。いとは赤い髪に目を向けると片腕を見て、ゆるりと動く面持ちを何度も瞬きをしながら見つめ…唇をふるりふるりとわななかせていく。

「そ、んなことって、」
「グランドラインは何でも起こるからなァ…。なんたって船の妖精が『大学生』の家に海賊一人吹っ飛ばすくらいだ。」

  シャンクスが言葉を紡ぐ度にいとの目尻は潤み、透明な雫が生まれ大きく膨らんでいく。いとの想いそのままを表す清らかな光は両方の瞳からそれぞれの頬へと伝い、シーツへと降り注いでいくのだ。

「初めて会った時も、泣いてたな、いとは。」

  見知らぬ人間を必死で受け止めようとして、受け止めたら受け止めたで驚きと腕の痛みで泣いてたいと。何処までもお人好しで優しい柔らかい、この世で一等うつくしい、おんな。攫うと…諦めるなど考えたくも無いと気持ちを固め、全てを捨てさせて己全てで愛すると誓ったいと。

「おれの、いと。」

  ほろほろと泣き濡れていくいとの小さな顔のパーツ一つ一つを確かめる様に撫でて苦笑混じりの笑みを向けたシャンクスはすまなかった。と何度も口にする。

「手を離して、すまなかった。」
「ぁ、あや、まらないで…っ、あれは私がちゃんと掴んで無かったから、」
「一人ぽっちにさせてすまなかった。怖かったろ…?」
「あえる、って信じてた、から、」

  言葉を紡ぐのも難しくなるまでにいとは想いを涙と共に溢れ出してしまっていた。想いは色も香りも無くて、どうしたら目の前の男にありったけの想いをおくれるかわからなくて、ただ只管にいとしい想いを涙で包んでは男に差し出していた。
  
「いと、迎えに来た。もう、大丈夫だ…。」
「シャンクスッ…!」

  
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