Etoile Filante | ナノ
Deux [3/13]
「セコい男だな、あんた。」

  第三者の声は随分と軽い調子あった。男を小馬鹿にしているというよりかは気負わずリラックスした口調に聞こえて今だ逆光に包まれたその姿を眩しくも捉える。そう、格下を相手にする様なその姿を。

「海軍んとこ行くんだろ…?真反対じゃねェか、そっち。」
「…っち、」
「誘拐か…人攫いか…なァ、当たってるか?」
「ゆうか、い…?!」

  折り曲げた足に腕を乗せて適当にしゃがみ込んでいるのは赤い煉瓦の防波堤、その上であった。いと達との距離は街頭二つ分であったがそれでも男の声はよく通る…若いから、ではなく元々この男の特徴なのだろう。気負っていなくとも一字一句聞き取れた。しかしその内容は物騒この上なくいとは鸚鵡返し宜しく壊れたオモチャの様に同じ言葉を呟いてしまったのだが。

「離してやれよ、なっ!」

  その一言、その瞬間に男が反動もつけず跳び上がった、猫が狩りをする時の様だった。
  急な動きに反応出来ないのはいとだけで無い。いとを掴んでいた壮年も、である。ただ「あ、」と母音を一つばかり漏らしたのみだ。
  まるで無重力。体を一捻りさせて男は勢いを付けていた。そばかすと三白眼が夕陽で染まり、テンガロンハットが風に逆らわず後ろ向きにはためいている。
  ニヤリ、と笑っているのは彼か…それとも帽子の上に鎮座する二つの飾りか。

「おまえ、『火け、」
「うりゃあっ!」

  壮年が二つ名を言い切る前に彼の黒いブーツは口ごと驚愕に歪んだ顔を踏み付けていたのだった。壮年から手を離してもらえてホッとしたのも束の間、真横でその衝撃的な映像を見せられたのはいとだ。壮年は「むぎゅっ」と呻いてその場で仰向けに倒れ、ピクピクと痙攣している。

「きゃあっ…!」

  小さな悲鳴が彼女から出た瞬間、そばかす顔が彼女に気付いてそちらを向く。そして苦笑いを浮かべ「ビックリさせちまったな。」と早口で告げられたのだった。

「悪ィ、ちょっと移動すっぞ?」
「移動って…きゃっ、」
「…うお、軽っ、」

  勢いよく、手加減無しに抱え上げられた。腹に片手を差し込まれぐわりと一気に視界が動けば彼女は若い男の右肩へと辿り着いていた。引き締まった体は固く、いとの腹にぐ、と食い込めば彼女はえも知れぬ感覚に襲われるのだった。そのまま一気に走り出されてしまえば彼女は目を白黒させてしまう。

「あ、わ、わわ、」

  唯でさえ情報量が多く状況に追い付いていないのに…この男ときたら上半身裸なのだ、脳内はオーバーヒートして体温ばかり急上昇していく。
  いとは意味の無い言葉ばかりを口にして「離して」も「あなたは誰なの」とも声にする事がどうしても叶わなかったのだった。その間も若い男の走る速度を上げていく。ビュンビュンと景色は後ろへと流れていき海は煉瓦通りに沈んでいった。次第に夕陽は街のライトに霞んで消えていとがはた、と気が付いた時には辺りには香ばしい匂いが漂っている街中へ到着していた。

「ほら、」
「ぁ、りが、と…ござ、」
「あー…大丈夫…じゃねーよなー…」

  街の喧騒からほんの少し逸れた道端で漸く肩から降ろされた。はふ、と呼吸を懸命に整え様とするいとは息も絶え絶えで妙な汗が額を伝う。若い男は「やり過ぎちまったゴメン」と背中を摩り、ようよう彼女が落ち着いてから申し訳なさそうに頬を人差し指でぽりぽりと掻いていたのであった。
  
「あんた危機感とかまるで無かったからさ。」

  お節介焼いちまったよと、はにかむ人懐っこい顔を向けられてしまえばいとまた引き攣りながら、ではあるがほんのりと口角を上げてしまっていたのだった。

「ありがとう、ございました。…手を離してもらえなくって…」
「…ホントだ、跡になっちまってる。」
「…は、ぃ、」

  大きな手跡は赤みを帯びて、自分の手首であるはずなのに今はいとの恐怖を煽るだけであった。今更であるのに悪寒が背中を駆け抜けて目頭が熱くなってしまう。

「…っ、」
「わ、っと、大丈夫か?」
「っふ、」

  こんな時、人よりも涙腺が弱い事が矢鱈と情けなくなってしまうのだ。ほろりと一粒落としてしまえば堰を切って次から次へと涙が目尻を伝っていく。止めようとすればする程感情は波打ってしまうのだった。

「…すみませ、ご迷惑、を、」
「あーほらっ、タオル使えタオルっ」

  びく、と肩を揺らしたのは男の方であった。さもありなん、この女ときたら涙を溢れんばかりに零しているに声を無理矢理押し殺して肩を震わせているのだ。痛々しくて見ていられない。

「で、も、」
「遠慮すんな、おれはエースだ。あんたは?」
「いと…です、けど…え、と、」
「いとな!」

  安心させる様に目尻を弛めて乱れ気味の頭を撫でてやった。気分は妹を持った兄、にも似てエースは大丈夫だと再び口にする。

「自己紹介もしたんだ、ほら、これでおれといとは友達だ。だから友達に遠慮なんてすんなよ。タオル使え?洗ったっきりのキレイなヤツだから。」

  面倒見がいいのだろう、このエースという男は。もしかしたら長男なのかもしれないと頭をがしがし撫でられながら半ベソのいとは取り留めもなく思い、「ありがとうございます…」ととつおいつ呟いたのであった。








「碇を降ろせ!」
「帆を畳め、ロープは?」

  陽はとうに沈んだ宵の口に帆船は入江の影へと接岸したのであった。波打つ潮はぬばたまに染まり切り、船体を叩いている。光の点に見えるのは海軍基地で、赤髪海賊団の誰とも知らないが舌を打つ音が聞こえた。

「じゃ、行ってくる。」
「…ルゥ手筈通りに。」

  ひらひらと手を振る巨漢に背を向けて島の土を踏みしめたのは黒い外套を揺らす赤い髪の男、そして紫煙をくゆらせるもう一人である。足早に砂利道を突き進んで行けばやがて土は煉瓦で覆われていった。
  ぬばたまはナリを潜めて、華やかなライトが開き戸から惜し気も無く夜の街を照らしていた。鼻を擽るのは香水と、安っぽいラムと煙草の臭いだ。

「…。」

  この男、平時は騒々しさが付属品であるが今宵は酷く無言で思案に耽っていた。時折に擦れ違う女を横目に捉えては、静かに視線を外す。

「いねぇ。」
「そうかい。」

  雑な答えだったが端的でわかりやすいとベンは評価を下すのだった。どうやらこの人が血眼で探す『いと』はこの混ぜこぜの臭いの中には存在しないらしい。シャンクスは右手を無精髭に当てて重苦しい溜め息を一つついたのだった。

「いとと雰囲気が違い過ぎるな…。いとがここに居たら浮きに浮いてすぐわかる。なァ、ベン。」
「…答えかねる。言って欲しけりゃ『いと』の特徴でも何でも教えていただきたい限りなんだが。」
「んん?いとを?…相当な時間を費やすんだが構わねェか?」
「馬鹿か。いつからそんなに色ボケになった。」
「冗談だ。…そうだなァ、」

  果たして何処まで本気かわからないままで、片方だけ口角を上げたシャンクスは考え込む様に目線を右から左に動かしてから漸く口を開いた。

「いとはちっちゃくて、涙脆い。…素直で可愛いおれのお嬢さんだ。近くに寄るとな、いい匂いがするんだよ…あまくてやさしくて。それでな、」
「わかる訳ねぇだろうが。」
「…おれだけがわかってりゃいいンだよ。いとがどんなに『いいおんな』かってのは。」
「…冗談か?」
「…。…冗談だ。」

  いとは最上等のおんなだからな、知っちまったらイチコロだ。とのたまう男にいよいよ殴ってしまおうかとベンは目を細めてしまったのであった。

「…おれを連れて来た理由は?」
「いと見つけンのに騒ぎを起こすと動き辛くなるだろ?」
「で?」
「絡まれた時の…。…囮?…いや尻拭いか。」
「…。」
「凝視すんなよ、照れるだろ。」

  何処までが真実か、なんて絶対に悟らせず再び無言となる。そのまま此処にもう用は無いとばかりに赤い髪を揺らして、男は足早に雑踏を抜けて行ったのだった。
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