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副船長と彼の心臓

  きっかけは……そうだ、宴の席だった。その日は上等の酒がタナボタ宜しく手に入ってクルー始め幹部達も浮き足立ち大いに、そいつは大いに盛り上がった酒の席の出来事であった。
  なまえは……殆ど飲んではいなかった、というか度数がキツ過ぎて飲めなかった、と言った方が正確だろう。紫煙の残り香を肴にしている男と車座から少し離れた、そう、樽の上でおしゃべりを楽しんでいた。
  やれベックの手は大きいねぇ、やら。やれおまえさんは手だけじゃなくてなにから何まで小さいがな、やら。
  船上の灯りは赤みを帯び、仄かで……どこか幻想的だ。

「握りこぶしは心臓と同じ大きさ、らしい。」
「へぇ……。」

  話の種がそれだったからか、掌をぎゅうっと握った男に彼女はぱちくり瞬きして応えたのだった。そういえばそんな話もどこかで聞いた気がする。
  あれは何処だったか……ひょっとするとこの博識な男からだったかもしない。

「じゃあ、これでっと……私の心臓の出来上がり?」
「こりゃあいいお手軽だな。」

  酔っていない癖になまえは時々小さな子供じみた稚さをみせる。無知では無いがかといって計算している訳でも決して無い。ただ若いみそらに眩暈が起こるくらいの母の性を潜めているのだ。そうしてこの男は魅せられる。

「しんぞう、か。」

  ゴツゴツした握り拳で出来た『心臓』とそれに比べふた周り近く小振りななまえの『心臓』が夜風を浴びていた。
  対岸にいるかの様だ。喧騒が遥か遠い汀の出来事でこの男とこの女は海の上、波の上で、静かな逢瀬をかさねている。

「人体の愉快、とでも言うんだろうな。」
「神様のお茶目かもしれないねぇ。」

  まじまじと眺めて見るのは二人分。
  人の心に直結でもしている『これ』は何かと取り沙汰されて兎角、物の例えに尽きる事は無い。存外己も夢見がちだったのか、と男は内心可笑しくなってしまうのだ。
  なまえは、どう考えているのか。男が視線を落とせば……何か閃いたらしい彼女と目がかち合う。

「……なら、こうしたら。」
「ん?」

  ほの灯りの中でなまえがそろりと前へのめる。両手をゆるり開いて男の拳を包むのだった。差ゆえに完璧に仕舞い込めはしないが、しっかりと心地良い力加減で彼女はかの男に触れている。夜風に当たって少々ひんやりとした、柔らかい感触。今まで散々重ねて確かめてきた、おんなの肌と肉。小指の爪が桜貝にそっくりだ、と何度も繰り返したのに飽きずまた反芻する。
  「どうした急に」と問えば「ふふ、」と微笑みが返ってくるのは照れ隠しをしているからだろう。

「ベックの心臓は私のもの。」

  些細な、童女の戯れごとだった。が、男の世界ではランプの灯りは豪奢なシャンデリアに、大酒飲み達の喧騒は万雷の喝采へと変わる。レッド・フォース号に黄金の劇場がそびえ立った、すら。
「……なんちゃって」と照れ隠しと苦笑が混じったものを浮かべてぱっと手を離すのだった。離れた瞬間の掌は僅かに温かくなっていた気がする。

「……ハァ。そりゃあ、また。そんな殺し文句、一体何処で覚えてきたんだお嬢さん。」

  万雷は身体中を駆け巡り、心臓ーーあぁ、なまえに掴まれていなかった方のだーーが伸縮して暴れていた。『心臓を鷲掴みさる』とは正にこの事か。
  ああ、全く。とこれっぽっちも困っていないのに片眉上げてそれらしく見せた男は意地が中々に悪かった。きっと問い掛ければ「海賊だからな」と即答されるのだろう、付け加えるなら相手がなまえだからというのもある。……幾つになっても愛しい女には可愛い意地悪したいのだ。

「えっ、あ、うぅん……きっとお酒の匂いに酔っ払っちゃったのよ。」

  今日のはとびきりきついってシャンクスさんも言ってたし、と不安そうに男の瞳を見つめたのだった。なまえは戯れに男が呆れてしまったのかと眉を下げてしまう。
  男は聡いので「いや、言い方を間違えた、」と付け加え離れてしまった小さな手に己の指を伸ばすのだ。

「おれも酒に酔ったのかもしれん。」

  錯覚を見てしまう程には今日の酒はきついのだろう。
  なまえの指を丁寧に内側へ折り込んでやれば小さな握り拳が出来あがり、女がそうしたように男もかの心臓を包み込むのだった。
  すっぽり隠れて見えなくなるなまえの心臓、なまえの心に男は目を細める。

「ベック?」
「おれは海賊だからな、対価はしっかり頂戴する。」

  これはおれのもの、でいいな?そんな台詞を吐息に乗せてなまえの指先に落とすのだった。触れるか触れないかそんな瀬戸際で囁けば彼女はその頬に紅をさす。
  この男は冷静でおおっぴらに感情を表に出さないだけで、内包している感情は焔の様に苛烈なのだ。その片鱗が時折、虹彩に乗るくらいで全容が姿を現す事は中々無い。

「なぁ、なまえ。」

  無い、筈だが。その静かな焔がなまえの目の前で揺れていた。

「返品は不可だぞ?いいな?」
「は、はい……っ。」
「それと目印を付けておくが、それもいいな?」
「うん。……って目印?」
「あぁ。」

  指先の唇は手の甲へつぅと伝い、柔らかい肌をきつく吸う。出来上がったのは小さな赤い目印だった。
  己のおんなの、その『心臓』に痕を付けて男は「これで良し」なんて呟く。
  頬の色よりまだ緋い、その色になまえは「もっと酔っ払っちゃうよ……」と『心臓』を抑えて声を絞り出すのだった。

  宵の帳はまだ下りない。






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