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不死鳥と花吐き病
【なまえさんが吐く花は『クロッカス(紫)』です。
病気になった原因は『自分を欺き続けたため』です。
唯一の治療法は『自分の大切な何かをやめること』です。
花を吐く症状が出た際の応急処置は『沢山の水を飲ませる』です。
治療の結果は『数日後完治する』でしょう。】




二人暮らしにも随分と慣れた頃、なまえの中から花が零れた。

ぽとぽととシーツに落ちる音は軽く、洗ったばかりの白いシーツに紫の花弁はよく映えていた。
──"花吐き病"。
名前を付けるなら、こう、であろうか。
「痛みは無いけど何だか力が抜けていくみたいで……」
原因は分からない。ただ水を飲むと落ち着くようで枕元に水差しを用意すると彼女はひどく喜んだ。ぼうぼうと蒼い炎を翳してやったが根っこの部分が治癒しない限り、この花の病は続くだろう。
「植物図鑑で調べたんだけど、このお花ってクロッカスっぽいよ」
「……何を読んでると思えば……」
呑気すぎやすないかい? とおれは眉をひそめるがなまえは頬を掻くばかりだった。
「マルコこそあんまり気に病まないで。私より辛そうにしてるから、心配なの」
「家族が病気になりゃあ何処もそういうモンだよい」
「家族かぁ」
「もっと分かりやすく言ってやろうか、奥さん」
「いいえ、いいえ。よぅく教えてもらってますとも、旦那さま」
気休めとも呼べるだろうが……なるべくなまえには出歩くなと言付けていた。が、しかし彼女は優しかった。
「どうしてもかい?」
「どうしても」
今でも戦争で逝ってしまった家族の為にオヤジと弟達の墓に出向き祈りを捧げている。この必ずの日課だけはどうにも譲らなく、結局おれがなまえをおぶって墓のある丘に行く、と折り合いをつけた。
今朝も診察の準備を終えてから、花の香りを漂わせた彼女を背中に乗せる。
「ありがとう。でも、歩けるから……」
「帰ってから特に"花が出る"だろう。おれも譲れねェよい」
「確かにビックリしたし、ビックリさせちゃうけど……あんまり痛くないから……」
なまえはそう言っておれの背中で肩身が狭そうにしていた。
「──まるで」
「え?」
「まるで、いや……ただのおれの印象でしか、ねェんだ。──お前の心を写したみたいに綺麗な花だと思ってしまってねい」
「あはは、褒められちゃった」
「にしてもばあさん達が腰を抜かすから花吐きの病はさっさと治すに限る」
「だね」
つい口から漏らしそうになって思わずはぐからしてしまった。『その花はな、まるでなまえの命を砕いて咲いているように思えて仕方ないんだよい』とはまだ彼女には、言えない。
「ほら着いた。降ろすぞ?」
「うん。いつもありがとう」
はぐらかしたまま辿り着い小高い丘は今日もよく晴れて、家族達が出迎えるようにそよ風が柔らかく肌を撫でていた。「よう」と話しかければ「よく来たな」と誰かが喋り出すんじゃないかと、一人くらいは出て来るんじゃないかと、たまに感傷に浸るのはなまえには秘密だ。
「なまえはじっとは……しないからねい、水を替えてくれるか?」
「うんっ」
落ちた木の葉を片付けて、粗方整えたら二人で墓の前で首を垂れると辺り一面は静謐に包まれた。
「……」
誓い直す、とでも言えばいいのか。オヤジにこの小さな村をおれは守れているかよい? といつも問いかけている。返事はない。感傷に浸る事ができるのは生きている人間の特権だと、身に染みているから返事は求めてはいけないと分かっているつもりだ。
「──ぅ」
「……なまえ?」
彼女の小さな声でそちらを向けば口を押さえてしゃがみ込む姿が目に飛び込んだ。白くなった指の隙間をすり抜けて紫の花弁が一枚、二枚、と空を舞う。
「さっきまで何とも無かったのに……」
「今日はもう仕舞いだ。帰るよい」
「でも」
「でもも、待ったもナシだ」
抱え上げ、急ぎ足で元来た道を進む中「ごめんね」とか細く聞こえる声がただただ痛ましかった。
それを境にしてか、なまえが花を吐く回数が増えた。痛みが無いのがせめてもの救いだが吐き出す都度に喉が渇いて仕方ないと常に水のボトルを持ち歩くようになってしまった。
「痛み止めを飲まなくていい分気が楽だよ。ほら、今日はボトルにレモンとミントを入れてみたの……これはマルコの分。しっかり水分補給してね」
「あァ、ありがとう。けどよなまえ」
「なぁに?」
「無理してるだろう。無理に明るく振る舞わなくてもいい。……そうやって気が晴れるならそのままでもいいと思うが、おれはそうは考えられない」
でなければ、あの日の悲痛な声に説明がつかない。
「そ、れは」
「やっぱりどこか痛むか?」
「痛くないよ。それは本当」
「わかったよい」
「けど、どうしても」
「あァ」
「みんなのおかげで、怪我もなく生きてこれたのに……申し訳なくて、それがつらい」
「……そうか」
ぱたり、と花弁が落ちる音が響いてそしてぽとり、となまえの涙が零れる音が続いた。
「もしかして、そう考えている時に花が出るんじゃねェか?」
あの朝、ひどく花を吐いたのはあの場所で自責に打ちひしがれたからではないのだろうか。
「あの戦争でお前は出来うる限りを尽くしただろう。あれが最善だった」
──なまえは、優しい。自分が戦争に参加できるほど戦力も無い事を充分に理解していた……家族を守る盾になりたいと願っていたに違いないのに。
「マルコには言えなかった。……何もしなかった私が誰よりも戦っていたマルコには、どうしても」
「戦いっつってもそれぞれだよい。なまえはなまえで役目をちゃんと果たしてた」
ナース達を随分と宥めてくれていたと後から聞き及んでいる。それに戻って来てからの怪我人の手当てに昼夜関係無く看護に当たった事も知っている。
「それでもあの時何かもっと出来たんじゃないかって……おこがましくも、考えちゃうんだ」
「──そう考えちまうのが人間って生きものさ」
なまえが花を吐く理由は、つまりそうか、"家族を想う"事だったか。
足掻き悩む生きものが人の凡そだ。だが、それが原因で病にかかってしまっては元も子もない。
「あまり自分を責めるんじゃねェよい。病は気からとも言う……なまえの花吐きは文字通りだ。──逝った連中もお前に悩み続けてほしいなんて誰一人思っちゃいねェ」
「それでも、どうしても。この悔いは死ぬまで心に残り続けると、思う……」
「……」
「家族を想って花を吐くなら、私はこのままでいい。……みんなを忘れてしまえば花は止まるかもしれない、けど。忘れるのは、いやだ。きっとそれはもう私とは呼べない別人だと思うの」
なまえはあの戦争で共に戦えなかった事を悔いている。
それを覚え続けていることが大切な事だと信じている。
花が落ちるは後悔の音、命が削れて消える音。
──おれも、なまえと同じ立場なら同じ思いを抱いていた。あの戦いで叫び声すら上げることが叶わなかった人間に「悔やむな」と酷な台詞は言えない。
「──それでも、だ」
「マルコ……?」
「ここに、なまえの前に、お前に生きていてほしいと願う男がいるとわかってくれ」
抱き寄せた瞬間にボトルがけたたましく落ちたが、全て無視してなまえに口づけた。唇に異物感を覚え、ややもしてそれが命を削って溢れているような紫の花だと理解したので摘み取るように奪ってしまえば女の肩は可哀想なくらいに跳ねる。
花を飲み込めばなまえの命を食んだ心地に襲われた。
「──マルっ……やだ、感染っちゃ……っ!」
「感染らねェよい」
「んんっ」
後味はほのかに甘い。
「おれはなまえの為にも生きると決めてるから、ねい」
オヤジの残した故郷を守る為、墓守りの為、そしてなまえの隣で生きる為に未だうつし世にいる。
逝ってしまった人間に心を奪われている生きものがこの病に罹るのだ、きっと、そうだ。そうやって生きるのが大切だとなまえは言う。
おれのこの魂は白ひげの旗に捧げたが……その心の柔らかいところはなまえに贈った。おれの心は生きている、だからこの病には天地がひっくり返っても感染ったりは、しない。
「つらさを抑えおれを心配させまいと欺き続けて……苦しかったろうに。切なかったろうに。──もうお前は口に蓋をしなくていい、花で喉に栓をする程堪えなくて、もういいんだ」
「でもわたし──」
「おれが全部受け止めてやる、だからもう命を削る事だけは……どうかやめてくれ……おれの為に生きてくれ」
家族よりおれを取れ、と言っているそのものだ。けれどそれが傲慢だとは言わせない。
「おれの方を、見ろ。なまえ」
返事も聞かず、おれはただなまえを抱きしめて震える背中をひたすらに撫でていた。

***

それから数日経ってからなまえの口から花が零れる事は無くなった。
真意は聞き出していない。──それはなまえだけ知っていればいい答えだ。
「マルコ、眼鏡見つけたよ」
「どこにあったんだよい?」
「ベッドの隙間に落っこちてたの」
「……昨日寝落ちしたからか」
「本も落ちてた」
「まじか」
「まじだ」
なまえはあれから散々おれに謝り通して盛大に泣いて、そうして朝になるといつもの日課で墓参りに行った。もう紫の花は散らない。
『再発したら今度はその花びら、全部おれが食っちまうぞ』
『ぜ、善処しま、す?』
脅しじみて、茶化したような台詞に聞こえるかもだが本心だ。何度病に罹ろうとおれが治せるものなら幾らでも治そう。
「マルコ、マルコってば」
「んあ?」
「ぼうっとしてるから気になったのよ。寝不足?」
「まぁねい」
「そんなにこの本面白かったの?」
「……面白いよりは実用的だったから読み耽っちまったんだ」
「【男女産み分けのコツ】が?」
「……いや、そろそろ……そういうのを考えてもいいかと……思ったんだよい……」
「……」
「子供はまだ気が早いか……?」
「むしろ、その。私でいいの?」
「なまえがいいってハナっから言ってるだろうがよい」
「わ、あ!」
不意打ちに抱き上げて、子供のようにあやすとなまえは簡単に素っ頓狂な声を出した。
「ここで、この村で。生きていくならお前じゃねェと駄目だ」
「……マルコって、あの、陸に上がってから、情熱家になっちゃったね……!」
最近ずっと考えていたのよ、となまえは耳の端を赤く染めていた。その通りだとも、おれはおれなりに色々と考えているんだ。
「ははは、違いねェ」
抱きとめ頬に手を伸ばし、小さな唇を吸うてやろうとして──
「──マルコーッ、タマが怪我したの! それと大きい猫ちゃんがマルコに会い……たい……って……」
「……わぁー……」
見られてるわぁー……となまえが硬直していた。「声かけても返事が無かったから」と悪びれず訪問者の少女はこちらを凝視していた。
見世物でもないので、なまえを降ろして体裁を無理矢理整える。
──似たような体験は嘗ての寝ぐらの船でもあった。懐かしさに破顔しそうになったのはおれだけじゃあ無いはずだ、なぁなまえ。
「今行くよい」
「マルコ、スルースキル高いよねぇ……」
「慣れだ慣れ。──良い子で待ってろよ、なまえ」
「うん。いってらっしゃい」
「いってくる」

──花は無くとも、旅路は長い。
──花の代わりに蒼い焔凪がかの路を照らし続けよう。



「ネコマムシ、やっぱりあんただったかい」


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