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向こう日の船長

ヒマワリが咲いたような奇跡、だったのかもしれない。

「うん、いいかんじ」
向日葵は窓辺に飾るに限る、とは確か祖母の言だった。
陽射しは七月、玉の汗をかきながら野菜を持ってきた母がこれもよく咲いたからとおすそ分けに新聞紙に包んだ陽の花の束を寄越してくれた。
窓辺に生けたミニ向日葵は空蝉の声と、微風に揺れる。
「夏が来たなぁ……」
「おう」
「──はい?」
「よー」
窓の外に子供がいた。麦わら帽子を被った、たぶん十歳にも満たない少年はにこにこしながら花瓶の向日葵へと手を伸ばしている。
「……ヒマワリ、欲しいの?」
「あ? いや、そんな、そっそんなっことは、ねぇぞっ?」
少年はとても分かりやすい性格であるらしい。夏なのに冷や汗、きょろきょろと蜂を追いかけるような忙しない視線に私は、少し笑ってしまった。
花盗人に罪は無いとはよく言ったものだ。
「あのよ、マキノが風邪引いちまってよぉ……オミマイに花探してたらすっげぇキレイな花が見えてよぉ……」
「そっか。なら、ちょっと待っててね」
花盗人に罪は無いとはよく言ったものだ。
「包むもの持って来るからそこにいて」
「……くれるのか?!」
「うん」
「勝手に取ろうとしたこと怒らねェかっ?」
「あ。やっぱり取ろうとしてたんだ」
「はっ」
忙しない少年が今度は氷のように固まった。見える汗は暑いからか冷や汗なのか。
「いっぱいあるから一本くらい、いいじゃねェかと思ったんだよ……そ、それにおれはちゃんと後で宝払いするぞ!」
「一本でも泥棒は泥棒な気がするんだけど……」
「おれは泥棒にはならねェ、海賊になるんだ」
「あ、新聞紙あった」
「聞いてねェなさては!」
喜怒哀楽の激しいワンパク少年、とイメージがすっかり固定化してしまった。将来の夢海賊、の時点でおもちゃの剣を振り回してる姿しか想像できない。
「泥棒はダメだけど、でもね、お友達にお見舞い持っていこうとしてる海賊さんの優しい気持ちにお姉ちゃんは感動したので、ヒマワリ差し上げます」
「宝払いするって言った!」
「あはは……じゃあ期待してるね。ん、包みましたよ」
「ありがとう!」
「どういたしまして。 ……マキノちゃん? かな? お大事にね」
「おぅ! マキノに言っとく」
ヒマワリみたいな笑顔の少年は向日葵を両手にしっかり掴む。
「気を付けて帰ってね」
「またな! ……あ!」
「え、なに?」
手を振って走り去ろうとしていたら少年は気が変わったのかいきなりぎゅるんと振り返る。
「おれは泥棒じゃねぇからな、海賊になるんだからな! 海賊王に、なるんだ!」
「──……あ……う、ん……」
「なんだよ、変な顔!」
「だって……私の家……外に、じゃ、ジャングルなんて、ないもの……」
ちゃんと、さっきまでは普通の風景だった。筈だ。私が記憶喪失でなければ。
ごく普通のアパートの一階が私の部屋で、窓から見える風景も代わり映えの無い駐車場だ。焼けたアスファルトの臭いも無く、ペトリコールを感じるばかりだ。
私の驚愕は計り知れず、ポカンと、ただささらさやと揺れる木々のさざめきを聞いていた。
「じゃあな! またな!」
「あっ……はい、また……」
驚きのまま夢見心地に返事をして、そしてすとんと腰が抜けてその場にしゃがみ込む。
「……海賊。か……」
我に返って、立ち上がった後はもう既にジャングルは消え失せていた。見慣れた駐車場にお隣さんが車を停めて「あら、お疲れ様です」と非現実から現実に引き戻してくれた。
「でも、うん。夢、じゃないね……」
母が包んでくれていた向日葵は五本。彼にあげたのは三本。微風に吹かれ、窓辺で揺れている向日葵は二本だけだ。
あのペトリコールに誘われて、消えてしまった少年の麦わら帽子を思い出す。もし、あの時外に手を伸ばしたらどうなっていただろうか──。不思議な体験は私の記憶に焼き付いてしまった。

***


ご要望があれば続く、かも。


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