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黒足とノスタルジー
※みじかめ


ふとしたキッカケ、など実に些細なもので。
例えば、窓から差し込む西陽が懐古の色によく似ていた時、玉葱を刻む音が微睡みに聞く母の声と重なって、聞こえてしまいそうになった時、と。大騒ぎの中にノスタルジアは無く、ただただ飴色の夕暮れにひょっこりと顔を覗かせる。
──まるで“元気にしているかい”、と故郷が私の様子を確かめているようだった。そういう時に私はただただ子供に返り、ワガママになって優しい彼にお願いをする。
「サンジ、キッチンを借りてもいい?」
「……。……仕込みがあるからね。おれ一緒でも構わなければ」
「だいじょうぶ」
料理は、いい。忙しなく手を、頭を動かしてレシピを紐解けば飴色の記憶は薄れていく。木の家の温もりは漣の船の賑やかさへ。色を変えなければいけないのだと、そう自分に言い聞かせて戸棚の小麦粉を取り出した。確か明日には寄港するとナミちゃんが言っていたから、使っても大丈夫だろうと当てを付けてチョコチップも取り出す。
「クッキーを作るの?」
「うん。チョコチップがいっぱい入ったやつ」
「おれも、手伝ってもいいかい?」
「仕込みは?」
「もう済んじゃったよ」
サンジは優しい。分かりやすいと言えばそうでもあるし、誤魔化したいと思えば逃げ道を用意しておいてくれる。……仕込みなんてしてる素振りなんてちっとも無かったのに、とこぼせば「おれはなんたってこの船のコックだからね。あっという間なんだ」と戯けもせず、茶化しもせず、私の隣に立った。
「何か手伝うよ」
「……じゃあ、それじゃあ、バターを」
「わかった」
淡々と西陽を浴びながら生地をこねていれば、ノスタルジアは生成り色の甘い海へと沈んでいく。傍でサンジは何かを砕いているらしかった。
「……なぁ、なまえ」
「うん?」
「玉葱でも切った?」
「……切って……ないよ」
どうして、と振り仰げばちょいちょいと目元を指差されて、窓ガラスを見やればあぁなるほどと納得する。望郷の呼び水はこんなところにも現れていたのかと、幾たびか瞬きした。
「──とびきり大きい玉葱を切ったの」
「いつの間に?」
「私はなんたって、この船のコックさんの相棒だから」
「そこはダーリン、と言ってほしいなぁマイレディ」
「ふふっ」
そこは心底残念そうに言うものだから可笑しくて、つい肩を揺らしてしまう。ぱたり、と涙が落ちたのをおぼえたら最後だったようで後はもう止まらなくなっていた。
ふとしたキッカケは、本当に些細なものだ。西陽がかつて住んだ家の色によく似ていたから、懐古が胸の内をざわめかせて仕方がない。
「きみは心になんでもかんでも仕舞い込むから」
「うん。誰かに当り散らしてしまうより、ずっといいから」
「当り散らしてほしい、と望んでいても?」
「クッキーをこさえる時の私はとびきりワガママになるの。……だから、だめ」
「ワガママだ」
「今だけ」
「そうかい」
「そう」
「なら、少しだけそれ、分けてくれ」
手は砂糖と小麦粉バターで汚れているから拒みようがないし、彼は無理強いしようもない。ただ柔肌が重なり合う音と雫飲み干す喉の音が二つばかり響いた。
「しょっぱいでしょうに」
「キャンディの味がするよ」
こんな西陽を飴にしたら、きっとなまえの涙のような味になるんだ。とサンジはへにゃりと音がつきそうなはにかみ顔をしていた。
「これで、少しだけなまえの心をおれが食べてしまった。……事にするさ」
「お腹壊しちゃうよ?」
「頑丈なのが取り柄でね」
また顔を近づけようとするもので、私が一歩下がれば「ちぇ」と小さな苦笑が聞こえた。
「さて、続きをしようかな」
ノスタルジアを飲み込んだこの船のコックは、また何かを砕き始めていた。ややもして「ウィンドウグラスみたいに」と低い声を溢す。
「チョコチップだけじゃなくて、飴を真ん中に入れたのも作ろう。丸くしてサニーの丸窓みたいにしてさ」
「うん。きっとかわいい」
「もうひとつは四角にしよう、なまえの家の窓みたいにして」
「……」
「懐かしさに、そうやって泣いているきみがあんまりにも綺麗だったんだ」
キッチンへとお邪魔する理由を彼はとうに知っていたらしい。懐古の情を振り解く時にもの静かにしていればさもありなんか。
「何度でも、ここに来ればいい。その代わり、そのひとしずくはおれに頂戴」
そうして今度は唇に彼の優しさが降ってくる。それからガサリと音がしたので彼の手元を覗くとどうやらサンジは飴を砕いていたようだった。
この西陽の色の、ノスタルジアを溶かし込んだ色の。
彼のような淡い金色の、いとおしい色だった。



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