夏島の夏。その領域。今が盛りとばかりに輝いていた太陽は水平線の向こうへ一晩の眠りに入り、空に座するのは静かな二日月だけであった。
しかしもの憂い気なのは夜空だけ、遥か下の銀波ではやんややんやと男達が騒いでいた。
「「「ヨホホホー!ヨホホーホー!!」」」
声は沈んだ太陽よりも騒がしく。
並んだ大小二つの船には星々の輝きを霞ませてしまう程のランプが吊られていた。
「「「ビンクスーのさっけを届っどけに行っくよ!!」」」
今宵は宴だ。しかも、とびきりの。それぞれの船のコックがこれでもかと腕を揮って、音楽家達は弦をかき鳴らす。
上等の酒のコルクは軒並み宙を舞って、中身はすっかり各々の胃に流し込まれてしまった。
今宵は宴だ。
赤髪海賊団と、そして麦わら一味との最高の大宴会だ。
「大きくなったねぇ…、」
「にししっ、なまえはちびすけになったなー。」
「ふふっ、そうね。」
乾杯!と音鳴らしたかつての少年は東の海で見た時よりも随分と逞しくなって、左手に持った骨付き肉をもりもり食べていた。あの頃、なまえは彼に抱き付かれてもお腹の位置にぽすんと頭が飛び込んでくるだけであったが今や真逆、身長は彼の方が高い。
「なんだ。ルフィはここに居たのか。」
「おゥ、カンドーのゴタイメンだ!」
「肉持ってか。」
よもやデカくなったのは図体だけじゃ無いだろうな?と酒瓶をぶら下げて訪れたのは真紅の髪を揺らした男だった。頬が微かに赤いのはしこたま酒精と戯れていた所為で十中八九間違いない。
「肉は大切だ。」
「なんだそりゃ。」
「肉が無ェとおれは動けねェ!」
「そこは威張るところか?」
「んー…シャンクスにとってのお酒みたいなものなのかな?」
「おお、それだ!」
「…よくわかったが、なまえの中のおれはそんななのか。ん?」
「え、えぇ…っと…」
「なんだ?教えてくれよ、なまえ…?」
子どもの様に態と拗ねてみせ、駄々を捏ねる素振りをする歳上の男に彼女はほんの少しばかり眉を下げて微苦笑を浮かべてしまう。
少年に暗に何にも変わってないな、と述べている癖にこの男もその中身は十数年前から殆ど変わってなどいなかった。
「シャンクスお酒大好きでしょう?ルフィも同じくらいなんだねって事のつもりだったんだけど…。」
「おれ以外のおとこの事なんてなまえは考えなくていいンだがなァ…。」
「しゃんくす、」
目を細めて、彼女を強い眼差しでその場に縫い付けてしまってから男はにぃ、と口角を上げる。声を出したのは見つめられたなまえでは無く、肉を咀嚼し飲み込んだ彼の方である。
「シャンクスはたちが悪くなったなー」
「駆け引きが上手いと言え、ルフィ。」
「もう…ふふっ、相変わらずなんだから。」
艶やかな空気は溶けて去り、なまえはくすくすと楽しそうに微笑ってしまう。
そんな彼女の隣に腰を落ち着けているのは赤髪海賊団の船長、そして肉を持って座ったのは同じく麦わら一味の船長であった。懐かしい再開に話は弾み、それぞれの心躍る冒険譚が夜空に放たれていく。
「…そーだ!」
「んん?」
不意に弄んでいた骨を口から離し、ポン!と彼は手を一つ打った。そうだそうだと自己完結をしたかと思えば彼女の方に振り返り、にか!と眩しい笑みをなまえに向ける。
「ちょっと待ってろなー。」
「ルフィ?どこへ?」
「なまえにいいもんがあるンだ!」
「私に?」
反動も付けずに立ち上がった彼をなまえはきょとんと見上げ、隣の男もまた「相変わらず突然だなァ」と呑気にのたまっていた。
「似合う、きっと。」
十数年前とは掛け離れたおとこの笑みがひとつ、なまえに向けられていた。目尻だけを僅かに揺らし、じりりと燻る炎を隠した様に見えるそれ。
それを放ってそれきり自船の中へと入ってしまったのでなまえは所在無く、視線を隣の男へと向けていた。
「行っちゃった…」
「…ルフィのやつめ、」
あの頃の事、憶えてンのか?と口の中で言葉を転がしたのは男の方であった。酒瓶を煽り、ポツリと呟いた一言はなまえの耳にも届く。
「惚れた女は掻っ攫う、ね…」
「…シャンクス?」
「昔言ってたろ。」
「…あ、フーシャ村の事…?」
かつてなまえは幼い少年に告白じみたものをされた事がある。じみた、と付くのはそれが余りにも突然言われ雰囲気もまるで無く、最終的にはグダグダ、なぁなぁになってしまったからだ。
「あいつはおれに似てしつこいから、なァ…。」
「そうだね、二人はそっくりだもの。」
「おれの方がいいおとこ、だろ?」
独り言を呟いてからこてん、と赤を揺らして頭をなまえの肩に乗せてしまった。男は賑やかに聴こえる船乗りの唄に微睡みを憶え始めていく。
「シャンクスー!なまえー!!」
「…元気だなァ…。」
「あはは、お帰りなさい。」
微睡みを踏み潰したのは元気な声…大声とも言う。これだこれ、と両手に抱えたものは何やらシルク生地の様であった。パールホワイトとでも言おうか、光沢のある美しい白は手触りも良さそうであった。
ところどころに見えるのはターコイズブルーやコーラルピンクである。
「これは…服?だよね?」
「アラバスタってとこのヤツな。ひらひらでフワフワなんだ、これが。」
このフワフワなとこがなまえみてェだろ?と無邪気に笑うと片手を開けて、彼女の手首を取って立ち上がらせてしまう。
「え?ルフィ?」
「だから見てェ、おれが。」
「え、これ、私が着るの…っ?」
「こっち入ればすぐだ!」
「おいこら、ルフィ。おれのなまえだ返せこのやろうめ。」
「んん!嫌だ!」
「おれだって嫌だ!」
清々しいばかりの拒否は間を開けずに返された清々しい返事にもへこたれなかった。なまえの手首をやんわりと掴んだまま、麦わら髑髏の船へと彼女を引っ張ってしまう。
「「いらっしゃーい。」」
そのドアが開けば何人かクルーが待ち構えていて、彼女は見事に奥へと消えてしまった。
待った時間は四半刻。「シャンクスはフワフワ見たくねェのか?」と素っ頓狂に言われて、「だっはっは、見てェにきまってるだろ、」と大笑いしたばかりの頃合いであった。
「る、るふぃ、これ…アラバスタの服って、」
ひょこりとドアの向こうから顔だけ出していたのは妙に顔を赤らめたなまえであった。眉を下げた姿に無精髭を撫でて訝しむ男を横目に、「踊り子のヤツだ!」と爆弾を落下したのはご機嫌な彼である。
「ふぅん。踊り子、ねェ…」
やおら動いたのは赤い髪の方であった。流れる様な動作でなまえの傍らまで来ると指を絡ませて彼女と手を繋ぎ、引き寄せてしまう。
「ひゃ、」
抵抗など出来ないのは彼女の性分なのか、惚れた弱みなのか…するりと外へ連れ出されたなまえはランプの灯火にさえ顔を赤らめていた。
「うん!やっぱりだ!」
それだけの言葉だったがその声の隅々から似合う、と喜色が滲んで聞こえた様だった。
「ルフィが選んだのか?」
「…いんや!」
「だろうな、」
センスが良すぎる、と遂に破顔してしまった男は片腕だけで彼女の腰を抱き込んでひょいと持ち上げてしまった。
「おれだけの舞姫だ、」
「こんなに、お腹出したの初めてで…」
「真っ白な腹、出てるなァ…」
勢いを付けてくるりとその場で回ってやれば、サテンとシルクが織り成す軽いドレスはひらりひらりと蝶の羽の様に風踊る。ドレスを飾る独特の色合いは正に蝶の模様にも見えて、美しかった。二の腕も腹もむき出しで、滑らかな肌の上には金の飾りがしゃらりと微かに音を鳴らしていた。
「降ろして、欲しいの…っ、」
「やなこった、」
熱い眼差しをなまえに向けてやれば触れ合っている腰から彼女の温度が増していくのがたちどころにわかる。なまえは相も変わらず初心で、可愛くてしょうがない。
「おれが選んだ訳じゃ無いのが癇に障るが…」
「おれらが選んだンだからそりゃ当たり前だろ?」
「…ルフィ空気読め。」
「空気は読めねェ!」
「生憎吸うだけでもねェんだぞ、そろそろそこんとこは成長するべきだと思うんだがな。」
十数年前と似たような会話に縮こまってしまっていたなまえは少しばかり肩の力を抜く事が出来た。しかし次の彼の一言にそれらは全て覆される。
「男が服をプレゼントするのって意味があるんだってなー。」
明日の天気なんだろうなーと言う様な間延びした声になまえは視線を彼の方へ向ける。
「女がその服着たら男はそれ、脱がしてもいいンだってなー、いやー知らなかったなー!」
「ちょ、ちょっとまって、ルフィ…っ」
「だからなまえの服おれが脱がしてもいいんだろ?」
何か問題でもあんのか?と小首を傾げた姿に一番驚いているのはなまえ本人である。あわあわと男の腕の上で慌てふためき、男は男で眉間に皺をこれでもかと寄せていた。
「おいこらおれの女に何ほざいてやがるルフィこのやろう。」
「ルフィあのね、こういうのはちゃんとお互い好きだよって伝え合える人に言わなきゃ、じゃなくて、それでもちょっと爆弾発言だけど、」
困った顔と憮然顔を前にしても彼は、え?なんで?と居住まいを変えなかった。
「だっておれなまえの事好きだしよ。」
「え、」
「その服、フワフワで似合ってて、おれずっと見てたいしな。」
「こ、これが?」
「それにフーシャ村で言ったじゃねェか。」
「昔確かに、そ、んな事もあったけど…あの、」
「『海賊は惚れた女は自分の力で掻っ攫う』…な?」
「!?」
にい、と挑発を含んだ笑みは赤い髪の男に間違い無く向けられていた。
「奪えるモンなら、な…!」
応えたのは、必然である。笑っている癖に硬い声は賑やかな宴の場には不似合い極まり無い。
びり、と大気が震えたのは気の所為では決して無いだろう。なんだなんだと他のクルー達もそろそろ気付き始めた様である。
どちらともわからないまま、呼吸を整える音が辺りに響いた、
じり、じり、と間合いは詰められる。
そして、
そこで、
「目が覚めた。」
「…それは、すごいゆめだったね…。」
あっけらかんとシャンクスが事の結末を一言で纏めてしまったのであった。なまえは懐かしい名前に目を緩めた後、その内容に苦笑する。
「流石に十年以上前の事だし…今頃はルフィにも素敵な女の子が現れてるかもしれないよ?」
純粋になまえ、と呼んでくれた幼い面影をひとしきり思い耽るのであった。今頃は何処の海を航っているのだろうか、仲間達と元気に騒いでいるのだろうか。
「いいや、大いにあり得る、なんたっておれとルフィはそっくりらしいからな。」
何処かで聞いた言葉を口にして、赤い髪を揺らしたおとこは「サテンとシルクを買って来よう」と遠く彼方に声掛けていた。