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天夜叉はなにもしない
 それを聞いたのは偶然、だった。誰と話しているか、などは瑣末だった。
 うだるような熱気に満ちたドレスローザは初夏の陽射しにしてはぎらぎらと白いテラスを照り付けて……白昼夢を見ているような、虻が耳元で飛び回っているような。ああこれはきっと頭痛の所為でまぼろしをみているのだと、そんな風に落としどころを無理やり作らないと、理解できないような。
 そんな話だった。
 そんなはなしをきいたのだ。

「ドフィ、」
「…あァ、なまえか。どうした?ん?」

 いつもと何一つ変わらない、あんまりにいつも通りの男の佇まいになまえはその場に突っ立ってぼおっとしてしまったのだ。鼓膜に響いた声が意味の無い音叉のようなのだ。彼の名前を呼んだのも、半ば無意識で、かの男が小さな小さな妻に気を許していたのもまた……同じであった。
 その意味を噛み砕く事ができなかった。いや言葉の意味はわかる…わかってしまった、ただそれを口走る男の大凡の考えを察せなかった。
 愛した男は海賊だったから、戦いのなかで『そういう』話があってもおかしくはない。覚悟していたつもりだったけれどそれはやはり、つもり、では駄目だったのか。

「ドフィ、おとうさんを、おとうとさんを、」

 ××したの、
 自分の声すら、自分で呟いたクセに理解しているか定かでなく。じりじりと熱を帯びるのは太陽の所為なのかこの心臓が荒れ狂っている所為なのか、あやふやだった。

「あァ。」

 ドフラミンゴのこたえは、端的で明確で、何かの聞き違いだというそんな僅かな望みですらあっさりと切って捨ててしまうものであった。

「……北の海に落ちたみてェな顔だな。部屋に行こうかお嬢チャン。」

 背中を大きな掌で押されて、なまえはたたらを踏む暇すらなく連れて行かれる。
 エコーは足音と共に響いていく、『おれがころした』。
 簡単な単語を連ねただけのその言葉はひどく重く、にび色の鉛によく似ていた。

「まァ座れ。水を持ってこさせようか?」
「ほしく、ない。ねぇ、ドフィ…」

 滲む視界に、震える声。そして青い顔の小さな小さな平穏の世界で生きてきた妻。聡いこの男でなくともなまえが何をどう思っているのか、実に容易く想像できた。

「おれという人間は、つまりこういう人間だ。」

 二人きりの部屋にドフラミンゴの声はよく通った。事実を言うだけなのに感情を何でこめないといけないんだ?と逆に問われそうな程簡潔な結果論がだらりと流れていく。そのたびになまえの瞳には雫が宿って頬を伝っていくのだった。
 恐怖に慄く訳でもなく、同情している訳でもなく。なまえは棒立ちのままはたりはたりと涙を零していた。
利き手だけが行き場を探して空を切っている。

「ドフィ、教えて…?」
「なんだなまえ。」
「ドフィがもし、『ドンキホーテ・ドフラミンゴ』であり続ける為に私が要らなくなったら、」

 引鉄に指を掛ける、躊躇わず、鉛玉をそのこめかみに。
何故知りたいのか問われたところで答えられなかった。息をするようにまろび出たのだ、口を付いて出た声は止まらない。

「私を、っん!」

 涙交じりの声は最後まで紡がれず、吐き出す前の言葉にもならない音は男の唇に全て喰われてしまった。抱き上げられて視線が同じ高さになった、と気づいた瞬間にガブリ噛み付かれる。
 比喩などではなく本当に唇を食おうとしている、そんな荒々しい口付けだった。あえぐなまえのくぐもった声さえも、全て喰う。そんな激しさが宿っていた。
 淡々とした先ほどまでの声音とは真逆の熱がここにある。

「それ以上は言うな。聞いただけで反吐が出ちまう。」
「……っは…は、あ…っ、」

 下の唇に残った津液にさえ気を回せずになまえは乱れた吐息を整えようと浅い呼吸を繰り返す。けれどもそれを良しとせず、ドフラミンゴは彼女の後ろ頭に掌を回し…逃げられなくしてしまうのだ。

「いいかよく聞け。なまえはな、おれのもんだとさんざ言ってやっただろう。」

 どういう意味かちゃあんと知るべきだ。なァそう思うだろう?
 そう誰にとも言わず呟いた男はぺろり、となまえの唇を舐める。あァおれのなまえ!と狂言回しがおどけている振る舞いを真似て、そうして濡れた瞳を飽きず覗き込むのだ。

「なまえはおれの手足、おれの心臓、おれという人間を作る一部だ。」
「ドフィ、いた、いたい、」

 抱き上げられているから腕の力は容赦なくなまえの体に伝わってくる。ぎりぎり締め付けられる腰と腹に悲鳴を上げる彼女など目にもくれずにドフラミンゴは口元をゆがめるのだ。

「一部だからこそどこにもやらないし、離したりもしねェよ。おまえは『おれのもん』だ。自分の一部をどうこうするわけ、無ェだろう?」

 なまえよ、おまえ、腹を括ったつもりだろうが。

「自傷なんて趣味はおれにゃ、無い。」

おまえが死ぬ訳ねェだろう、おれが生きているのだから。そう呟いて喉元へと歯を立てる男の姿は端切れを縫い合わせたちぐはぐの布切れによく似ていた。

「あのね、私は、」

愛しいひとの、心の在り方に触れたかったのかも、しれない。
口からまろび出た疑問の答えが見つかりかけたのだけれども、ドフラミンゴにまた唇を奪われ服の釦を飛ばされてからはもう、何も考えられなくなってしまう。
五月蝿い音が耳元で響く。あれは虻だろうか。


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