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子どもっぽいジュラキュールさんち

暗闇が敷き詰められた廊下をカツカツと軽い音を立てて子どもが一人歩いていた。窓の外は満天、新月である。

「ペローナ姉さんが好きそうな夜だ…」

独り言を呟いた少年、名をアイビスと言う。
おどろおどろしく厳めしい雰囲気の様式に陰気で無い所を探す方が難しいのがこのシッケアールの城である。しかしこの少年は物心つく前から住んでいる所為ですっかり慣れてしまっていた。蝙蝠が出ようが、ヒューマンドリルが出ようが別段驚いたりはしない。
否、この少年の生来の気質の所為もある。この金色の瞳はその証であった。それを知る人物達はこぞってその色を見ると『瓜二つだ』と口を揃える。その色は剛毅な父親の気質を受け継いだとありありと証明しているものの一つだった。
因みにもう一人『瓜二つ』がいるのだが…今はペローナと共に泊りがけの外出と洒落込んでいる。

(母さん、遅い…どうしたのか、)

鋭い猛禽の瞳をしていても頭の中身は実に平和であった。この少年が一番大切にしている母の、その柔らかな微笑みが映っているのだ。これを平和と言わず何と言おう。
今夜、母と約束をしていたのだが時間になっても待ち人が自室を訪れ無く、こうして少年は暗い廊下を抜け母を出迎えに歩を進めている。

『ありがとう、アイビス。おかげで助かっちゃった。』
『ううん。これくらいかまわない。』

今日の夕方を思い出す。
いつもの稽古が早めに終わって手持ち無沙汰になってしまったのだった。…そうすれば母の下へ足が向いてしまうのはこの少年には自然な流れなのだ。母は丁度夕飯の準備をしていて、大変そうで「手伝う」とするりと声を上げていたのであった。

『…アイビスのデザート多めにしちゃおう。ふふっ、お父さんには、ないしょ、ね?』
『…デザートも嬉しい、けど、母さん。あの、』
『なあに?』
『今日…本、寝る前に…読んで。』

母は少し小首を傾げると成る程、といった態でそこから笑み崩れて、少年の目線までしゃがんでからまだ小さな頬に両手を添えていた。

『お安いご用ですよー。お母さんも夜が楽しみになっちゃった。』

柔らかくって、優しくて、抱きつけばほのかに漂う石けんの香りがする穏やかな母に心がじんわりとあたたかくなる。

『嬉しい。』
『そうだね…何読もっか?アイビス、リクエストよろしくね?』
『あぁ。』

この歳になってまで寝物語をねだるなんて、ゾロ兄さんに笑われてしまうと頭によぎったが…気付けばポロリと口から言葉が零れてしまっていた。最近母と二人っきりになれなかった所為だ、と甘えたの言い訳を誰にともせずに内心もらす。

「親離れ出来ないのでは無い、断じて無い。」

父がいると大概べたりべたりとくっ付いて、母を強引に巻き込んで二人だけの世界を作ろうとする…この少年から大好きな母を奪ってしまうのだ。
理由は聞かず終いだったが、数日前もその大きな懐に母を抱き上げてしまい込んでその鍛え上げた胸元で視界を奪っていた。…時々己の父の執着ぶりに苛々してしまう。

『何用かアイビス…』
『え、え…みほーく、そこにアイビスがいるの?前隠さないで、見えな、』
『なまえ、なまえ。あまりあやつばかり構ってくれるな…夫を放ったらかせば…後でどうなっても知らぬぞ…?』
『今すでに、してるの…っ、』
『ほう。降ろせ、とは言わぬのだな?』
『〜っ!』
『…真っ赤ではないか。なまえ、照れたのか?』

柔らかな母をこれ以上無く恥ずかしめて、楽しんでいるのは性悪の父だ。その腕で縮こまる母の体を絡み取りながら同じ色の瞳でじい、と己を見定める。

『混ざりたければ混ざればよかろう。』
「誰が混ざるか…!」

暗い廊下に独り言にしては大きな声が響く。そうだ、誰が哀しくてそんなもの見せつけられて嬉しいものか。
だから今夜は本当に楽しみだったというのに。母と、ゆっくり、邪魔されずに穏やかな眠りにつけたというのに。
どうせ父が目敏く母の行き先を嗅ぎ付けて行くなと駄々をこねているに違いない。

「着いた…」

些か乱暴な足音になりながら母と、父の部屋まで辿り着く。中から物音がするので居るのは間違い無いだろう。コンコン、とノックをするがしかし返事は無い。全く、我が父ながら居留守とはイイ性格である。

「…入る。」

コトに及んでいる時は抜かり無く父は鍵を掛ける。これは経験則なので大丈夫だろうだと踏んで『掛かっていない』扉を開いたのだった。

「やはり、」

母は予想通り、腹立たしいまでに想像通りソファにゆったりと腰掛ける父の膝の上にちょこんと座っていた。丁度背後から抱えられ、太い腕はそのまろみある腰に巻き付いている。
駄々をこねて母に酌でもしてもらっていたのだろう、空になったグラス諸々がローテーブルに鎮座していた。

「あいびす?」
「…か、かあさ、ん?」

おかしい。
母の目が、とろんとしていた。舌足らずで何処か眠た気な雰囲気にたじろいでしまう。父の太い腕が絡まって、平時ならそれだけで照れて縮こまる筈であるのに…今はたらり、と厚い胸にしな垂れていた。
イケナイモノを見た、気が、しないでも無い。

「…父さん。これはどういうことか説明願いたい…」
「父と母が睦んでいる。」
「違う。」

己が聞きたかったのはここまでの経緯、何があったという意味だ。…いや聞けば聞いたで腹立たしくなるのだろうが。

「…ぬしのところへ行くと聞かぬのでな。」

膝に乗せて逃げられ無くしてしまえばなまえは相変わらず照れてしまって夫から逃げだせなくなる、それは夫であるミホークは百も承知であった、故の行動だ。今夜とて実に愉しそうになまえを『可愛がる』のだった。
今回は上等のワインまで開けて、悪戯半分にその赤い液体を口移しで飲ませてやっていたのだからタチが本当に悪い。
なまえの小ぶりな舌もねぶり、やんわりと扱いて蕩け溢れる様な眼差しを交わし合う。妻にしか見せない表情を向けた夫は小さな唇から飲み切れず溢れた赤い筋を辿り、首筋まで舌を這わせて熱い吐息を吐いた。

『ミホーク、ぁ、ぁ…っ、んむ、んくっ』

そうあえかになかれてしまうと、さて。おれは辛抱せずとも構わんな?
そう勝手に答えを決めてしまった夫はアイビスが訪ね来るまでなまえと酒精で戯れていたのであった。

「当たり前だ。先約はおれだぞ。」
「なまえはおれの妻だ。」
「おれの、母でもある。」

ギロリと猛禽が二羽、威嚇し合っていた。この父にして、この子ども。

「…ごめんね、あいびす。いけなくて…」
「いや、母さんに非は無い。」

無理に引き留めて、全て知っていたにも関わらず何でもかんでもしでかしたのはこの父の方なのだ。眉を下げて息子に詫びる母であったが肝心の父は抱き締めた腕を解いてやる気は無いらしかった。母の熟れた頬を片手で包んで愛おしそうに擦り寄っている。

「アイビスにあやまらせて、ほしいの。」
「…なまえ。」
「母さんを離せ。」
「ち、」
「おねがい。すぐまたミホークの、ひざにもどるから…。」
「…直ぐ戻れ。」
「ん。」

母のその言葉で渋々といった態で太い腕を解いてやっていた。膝から降りた母は息子の前までゆっくりと近付いて、しゃがんでから視線を同じ高さに合わせたのだ。独特の香りが漂っていて、母の石けんの香りが無くなっている。雰囲気の違いに言い表せ無い…もやもやとした気分になる。

「ひとりでまたせちゃって、いやなきぶんにさせちゃったね。それと。アイビス、むかえにきてくれてありがとう。」

柔らかな細腕が伸びてぱふりと包み込まれ、その母の温もりに安堵した。とんとんと刻むリズムが背中に緩やかな衝撃を与えて、心音と重なる。

「…ごめんなさいのちゅーするから、ゆるしてね。」

は…?
なんだと…?
少年は動きを完全に止め、男は絶句した。
しかし彼女は意にもせずそっと息子の頬に掌を、添えた。

「は?…いっ?!」
「ちゅ、」
「?!!」

己の頬にふんわりと当たる、母の体温にびしりと体が強張った。否、嫌だった訳では決してない。ただ余りにも予想外の事態で思考が追いつかずぐしゃぐしゃになっているのだ。
はっ?えぇ?

「なまえは酔うと、こうなるのか…」
「知らなかったのか?!」
「…ああ…。…そうか、そう…であったか…。」

目を見開いた父の顔など初めてお目に掛かった。否、驚愕したのは何も父だけでは無いのだか。

「珍妙な酒癖だ。」
「母さん、酔っ払ってるのか?!」
「うむ。おれが酔わせた。」
「まって、ってミホークにいったのに。」
「…なまえ、そんな顔をされるとおれは抑えが効かなくなるのだが、」
「…元凶が何を言ってるんだ!」
「そうだな。」

今までここまで酔わせた事など無かった。とのたまった父は目を細めて息子と妻の前まで漸く歩を進めると息子から優しい温もりを掬い取ってしまった。

「かえせ、」
「約束の遵守をしたに過ぎぬ。…時間だ。」

母は見た目はそこまで変わっていない。とろりとした眼差しだったが、酒の所為であったのか。

「おれにもしてはくれぬのか?なまえ?」

甘えた様に父が母に口付けをねだっていた。父の手に掬われ目線を合わせていた母は無抵抗ではあったが、まって。とだけ呟いていたのだ。

「いまはだめ、」
「な、」

あの父が絶句した。あの不遜な父が。母の一言で。
ぴくりとも動かない父の手は今だに母の頬に当てられていて、今度は母からその手に自分の掌を合わせて擦り寄っていた。

「さっきたくさんしたから、またあとでね。」

これ以上したらどきどきしておかしくなっちゃうの。と、きゅうと父の服を握り締める母は子どもの様で、そうじゃ無い様で、不思議な感覚であった。
あ、父が、動いた。復活した。

「…あとでな…」

耳元で熱っぽく囁く父に苛つきを覚えて、息子は態とらしく大きな溜息をついた。それからまた一息つくときっ、と父に鋭い視線を送ったのだった。

「…精進がまだまだ足りない様だな、父さん。」

母の言葉で天と地を味わっていた父に、投げ掛けてやった。奥の寝室に足を運ぼうとする父にせめてもの皮肉のつもりである。しかしながら帰って来た言葉はたったの一言。
実に父、ジュラキュール・ミホークという人間を体現した単語であった。

「本望。」


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