くたばれKBC | ナノ

ももの噺


天の香具山か、衣の霧がはれた後のちの陽は絹のよう。柔らかなる春告鳥の声は流るる五箇の調べにひけもとらず…。
しおをつくった男は散る花弁にすこぶる機嫌をよくしていたのだった。

「狐よ、素晴らしい眺めだなァ。」
「まことよの。ぬしさまが隣にいらっしゃれば尚良いのだが。」
「言うな、言うな。」
「してぬしさまはどちらに。」
「加州と買い物、だそうだ。部隊長と近侍の任…何方も大変だろうになァ。」
「忙しないのならいつでもこの小狐が代わりましょうと、声をかけているのにあれも意固地なもので。」
「まったく。まぁそれまでは、薄紅を主に見立てて愛でるとしようか。」

男の数は二人ほど。湯のみは二つ。すっかり冷めてしまった八女は『主』がいつぞやの土産にと男どもに携えてきたものであった。

「うてなも見事。」

瑠璃の色で染まる衣擦れさせて、微笑む男の名前は三日月宗近という。その身の振りは貴族さながら、しかしながら袖から覗く指はよく節くれよくよく伺えば首のすじは厚みがあった。
得物を振るうのだ、さもありなん。

「そうさな、桃の花が……良いな。」
「桜は。」
「はは、甲乙つけがたい。」

この本丸の四季はあいまいだ。桜が舞い散り、牡丹がゆるりくずれ、椿はほとほと音立て落ちていく。しかし彼らにとってそれは些細な出来事である。

「にわたずみに映る姿もまた、いとし。」

しろがねの細工物と見まごうばかりの長い髪が、風にそよぐこの大柄の男を小狐丸という。きつねとは愛らしい、言葉尻は都のそれであり……しかしその本性はけだものじみた色を山吹の衣の奥に隠しているのだった。
狐はたこの出来た指で茶請けを摘まむ。

「ぬしさまが手ずからこさえてくださった。花よりこちらが私は好きでして……。」
「花より団子か。」
「いいえ。いいえ、ぬしさまの作ったものだからこそで御座いますよ。」

可愛いものでしょう、と嘯いて指腹についた焼き菓子のくずをじいっと見つめそれからニマリとわらう。小狐丸はぺろぺろとくずを舐め取るのである、ひと欠片とて主から賜ったものを粗末にしたくはない、そう言っているようだった。

「そうだな、俺も似たようなものか。」
「ほお。」

 目をすう、と細めた男のかんばせはいっそ美しい。この世にふたつとない虹彩が瞼にかくれては覗きを繰り返している。手を止めた狐に一瞥して男はその瞳のおく、青の中に閉じ込めている『かの君』をおもい描くのである。

「くいものがいい。」
「私と一緒ですな。」
「みずみずしく柔らかい、それでいて甘いもの。」
「やわらかい……あぁ、確かに。我らとは随分とまあ、違いまするなァ。」

 うっそり目を細めたのは今度はしろがねの狐である。ろろんとした眦で桜の枝を見上げて相槌を打つ。「うまそうだ」と舌の上で言葉を転がしてその極上に身を焦がす。

「桃、かな。」
「もも、と申されるか。」

 熟れる、すこし前の。
 噛み付けば、僅かにかたい。しかしどんな水菓子よりもしとどに甘露をほどばしらせるだろう。目の前において、がぶり、と噛み付いて「うまい」と口にしようものなら…あぁきっと脳の髄から歓喜が沸いてくる。
 上と下の唇でもて遊んで、舌でこねる。そうすれば『次』に手を伸ばしたくなるのだ。じくじくとした歓喜はいつしか痺れとなって己の全身という全身を駆け巡るだろう。

「うまいだろうな。」
「牙を立てて歯型を残しておきたくなりまする。」
「かたいもの、歯でも刃でもどちらでもいい。ぶすりと刺してみたいのだ。」
「それは…それは…。」
「持てばこの、手のとおりに歪むのだ。この指に沿って己の形に歪むのだぞ。」
「赤い色もいくつかつければ、尚うつくしくなる。」

 そうして、飲み込むのさ。ごくりと最後のひと雫まで、と二人の男はしたり顔を浮かべたのだ。
 桃などたいして欲しい訳でもないというに、喉の奥を焼きつかせては潤う果実を待ち望んでいる。

「……大将の前ではその顔控えた方が得策だと思うぞ爺さん方。」

 おびえさせてどうする気だ、と小柄な影がため息をついて本丸の襖を仰ぎ見たのであった。
 『桃』はまだ顔を覗かせてはいない。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -