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パパの初『愛』


……妻との出逢いは実に、使い古されたキネマトグラフの一場面じみていた。視線が合った女が偶々アルバイトのスタッフで、店長に用向きがあってそちらに向えば女の方から「すいません!」などと頭を下げられたのだ、可笑しげな女だった。
あァ実に、全くもってヘプバーンのフィルムを垣間見ているのかと自問自答した。したとも、勿論。
それがどういう訳かこの女、中々に柔軟な思考を持ち得ていた。賢い、とは言わん。だが、しなやかな感覚を持っていた。それが気に入った。
歳を聞けば己の半分程しか生きていない、おまけにおれがこのカフェの経営者だとも知らなかったのには、いささか辟易した。

妻を側に置くには…いささか手間をかけねばならなかった。少々労力を割き、幾ばくかのリスクを負わねばならなかったのだよ。
先ず我が妻は、述べたとおりおれよりも少々遅くこの世に生まれてきてしまった。遅く生まれたからこそアルバイトで雇い出逢ったとも捉えられるが今はそんな偶然については話していない。
…歳が離れていた所為で噛み合う話題に恵まれなかった、お陰で妻…あぁ当時はバイトか、バイトの学生との話題は仕事一辺倒だった。
本来はそれが正しい仕事関係?それがどうした、おれはな、女を口説こうとしていたんだ。まぁ、あちらはあちらで仕事が楽しいらしく逐一報告してきたりアイディアを出したりして有意義な時間では、あった。…何故か途中、突然あちらから『尊敬しています』と言われたが…今でもはぐらかされて真相は知らん。
次に、苦労した事と言えばあちらがやたらめったらと遠慮していた事か。年の差を気にしていたのかおれが社長だからだとか、まぁそんな決まり文句のバザールを想像していただけたら九割がた正しい。残り一割は…あれはどうやらおれを父親かなんだと思い込もうとしていた、そうだ。あんなでかい『娘』はいらねェ。
その癖、いつの間にか潤んだ瞳でおれを眺めてる時が増えていた。自意識過剰?馬鹿も休み休み言え、あれの事はおれがよく知ってるのでね、解るのだよ。…しらばっくれて顔を背けていたのが、クハハ……健気と言えば健気だったな。
うんともすんとも前進しないものだから、荒療治とばかりに押し倒してやったのが山場…と言うのか。『自惚れてもいいか?』などもだもだと焦ったかったのが乳臭ェとも思ったが、『これ』が戸惑う姿だと思えば妙に可愛げがあったな。乳臭ェ、いや無垢とでも言い換えよう。

一から教えて差し上げようかお嬢さん、と慇懃無礼に組み敷いたのは今から一年間程前の出来事だった。

その後もまた手間では、あったな。何かと遠慮ばかりで「〜してもいい?」とお伺い立てるばかりだった。漸くそれも落ち着いたのは半年以上過ぎてからだ。
年月、で思い出したが妻は当時学生だったのがネックだったな…ケジメと言えば態も良いか。卒業まで結婚はしない所謂『婚約』状態だった。
他の男に寄られる、などと大層不愉快極まりなく、ちょうどいい頃合いに女物の指輪も手に入ったので虫除けついでに贈ってやったか。
あれの両親に会いに行く日などおれ以上に緊張していたのが鮮明に頭に残っている、今までさんざ顔を突き合わせてきた相手だろうがと苦言を呈してやっても、壊れた人形かくや奇妙な返答だった。
待ち合わせは、あれの父親が贔屓しているカフェだ。で、いざ対面すればあれやこれやと勢いのまま喋り始めて……。どうやら妻は、おれを美化する悪癖でも発露したようで始終褒めちぎっていただいた。




「クロコダイルさん、おかえりなさい。」
「あァ、帰った。」

手垢の付いたシチュエーション、滑稽な程歳の離れた女、宵の帳も降りた玄関。
背中に吹く風は氷の冷気が混じっている。女の腹は満月を宿しているかの、ようだった。

「中で待っていろとあれ程言ったのを、もうお忘れか…?」
「……ふふっ、はあい。でも『お父さん』のお迎えをしたかったから。」
「動いたのか。」
「この時間になるとね、すごく蹴ってくるの。…お父さんが帰ってくる時間わかってるのかも。」

満ちた腹は出会った頃より一回り以上も大きい。おれの妻がおれのガキを孕んだ、とシンプルに言えばいいが…どうにも言い回しが気に食わない。
満月を宿した女、それが妻に対する細やかな二つ名だった。月のように時追うごとに膨らむまろみに、この宵の輝きを重ねるのだ。

「『二人』が寒がって駄々をこねる前に、そろそろ暖房の前に陣取っていただけるか奥方。」
「クロコダイルさんもね。帰り道寒かったでしょう。」

宵の帳、静かなひと時。
偶然と奇縁が折り重なってあたたかな家のドアはガチャリと鳴る。
もうじきに増える家族は『ふたり』、この玄関はいずれ更に賑やかになるのだろう。



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