ルフィの真剣な眼差しが瞼に焼き付いて離れない。いいや、そればかりでは無く眩しい満面の笑みも少しだけ拗ねて窄めてしまった口元もずっとなまえの心から離れてはくれなかった。
所謂、『そういう』性癖とかは、無い。無いはずだ年の差を考えてみろetc…と悶々と思い耽りながら一人学内を歩くのだった。今日の分の講義は終わり、後はいつも通りルフィが迎えに来てくれるのをいつものベンチで待とうとするのだった。そう、『いつもと同じ様に』。
なまえは感情を目一杯詰め込んだ溜息をゆっくりと吐き出し、ベンチに腰掛ける。
「…いい天気…。」
そよ風が心地良い。髪を耳の後ろへと流して柔らかい陽射しにぼおっとする。ルフィは今どの辺りを歩いているのかな、今日の夕ご飯何にしようか冷蔵庫に何が入ってたかな、とそぞろ考えるのだった。
「…。」
「悩み事か?」
「…っわ、気が付かなかったよ。」
「ぼーっとしてたから。どうしたんだ?」
目をぱちくりと瞬いて、後ろから声を掛けてきた男をなまえは見上げるのだった。ちょっとね、とだけ答えれば彼は隣に「よいしょ。」と言いながら座り、心配そうになまえの顔を覗こうとする。
余り愚痴を言わないなまえだから何か溜め込んでやしないか、と過去の記憶を掘り返してしまうのだった。
「もしまた「なまえー!」
彼が口を開いて一拍のその後、大きな声が陽射しの中で響き渡る。その声に聞き覚えがあり過ぎる二人はそちらを見てなまえはゆるゆると目元から笑み崩れ、彼は「たはは、」と苦笑したのだった。案の定、声のした先にはルフィが笑顔で手を振っている。
「迎えに来てくれてありがとう。」
「おう!なまえが悪ィやつに攫われたらいけねェから!」
そう言うとルフィはぽすんとなまえのお腹にダイブして、にかっと笑みを向けるのだった。ぎゅうと子どもらしい力加減が腰に入りなまえは自然と小さな頭に手を伸ばしフワフワな黒髪を撫でてしまう。
「へへっ、なまえに撫でられた。」
「撫でちゃった。ふふっ。」
なまえっ、なまえっ、とルフィは名前を連呼して今度は座ったままの彼女の肩へと腕を移すのだった。そしてごく自然にへちゃっと頬を頬にくっ付けてしまうのだ。感情が振り切れて行き場の無くなった気持ちを吹き出しているようなルフィはそのままふにふにとなまえに擦り寄るのだった。
「きゃっ、」
「おまえ、ちょ、それは、まてまて!」
なすがままのなまえよりも先に「待て」の声を上げたのは蚊帳の外になりかけていた彼であった。片手は微妙に上がり居場所なさげにさ迷っていて、視線を向けたルフィはその伸びた人差し指をじいっと見つめている。
「何でだ?」
本気で分からないらしいルフィはとうとう小首を傾げて、なまえは離れた頬を自分の手で押さえたまま耳をほんのりと染めてしまっていたのだった。
これは、中々に、人前でするには少々恥ずかしい。いや、ルフィぐらいの歳となら別段羞恥に駆られるのものでも無い筈なのにどうしてこんなにどきどきしてしまうのか。
「う、うっ羨ましいんだよ…」
早口で小声でもごもごと口ごもった台詞にはて、と再び首を傾げるのはルフィである。盛大にハテナマークを並べたてたその表情で「何で?」と聞き返す。
「何で羨ましいんだ?」
「いや、その、」
「…?なァ、おめーソワソワしてどうしたんだよ。」
「あー…おまえ男の子だろ、女の人にべったりだと他の女の子に笑われちまうぞ?」
「別に他のヤツに笑われてもいいさ。なまえが好きだからおれはなまえ触るんだ。」
「る、るふぃくん?」
前から言ってるもんなー。と軽い口調で言うルフィになまえは喉を詰まらせて、おまけに心臓が駆け足で暴れ出してしまう。
「お、おれだって、」
「なんだ?」
「おれだって好きなんだ…!」
一瞬無音。そして誰よりも早く我に返ったのはこの台詞を口走ってしまった彼だった。ハッとしてなまえを見ればはぽかーんとして固まってしまっている。
「おォ、おめーもそうだったのか。」
「…。」
「なまえ、その、勢いで言っちまったけど本気だから、前から好きだったんだ、ごめんビックリしたよな、おれも何言ってるか分からなくなった、でも好きなんだ。」
先程とは違う早口で捲し立てて彼はなまえの方に一歩踏み出す。顔は真っ赤だ、掌はすっかり汗に塗れてしまっている。もう、一歩前にと動こうとした時にはしかし、彼女は肩を不自然にまで跳ねさせてしまうのだった。
「ごめん、ごめんなさい、私何がなんだか、」
好き?好きとはライクでは無くラブ、の方の『好き』という事なのだろう、この流れで友情愛の意味合いを口走ったりはしない。確かに親切にしてくれたいつも手を貸してくれた、『友人』と今の目の前にいる『彼』が同一であるか迷ってしまう程なまえの心は大きく波立ってごうごうと嵐が音を立てていたのだった。
「…っあの、ごめん突然でびっくりしちゃっ、て、」
声が震えると感じた瞬間には視界に波紋が出来て、あぁ駄目だと思った次にはぱた、と雫が落ちていた。泣いてしまったと目尻を擦ろうとするがその手はルフィに掴まれてしまってなまえは小さく息を呑む。
「なまえ、泣かせたな。」
「ご、ごめん、なまえ、」
「帰るぞなまえ。…おめーも…それでいいな。」
「待てよ取り敢えずここ座ってくれよ、ハンカチあっから、」
突然硬くなった声は誰のものかと、一瞬分からなくなってしまう程ルフィの声は硬くそして鋭かった。きつくなまえの手を握り締め、声よりも鋭い目つきで自分よりも大柄な彼を見上げ一歩も引かぬまま口を開く。
「おれは帰るって言ったんだ。」
一音一音に力を込めた口振りは小さな体にそぐわぬ威圧感を孕んでいて彼もそしてなまえさえも圧倒してしまう。
これがルフィ?とぼやけた視界で眺めるなまえは半ば引っ張られるように歩き出す。なんとか彼に「考えさせて、」とだけ言うので精一杯だった。
暫し無言でルフィと歩いていれば涙は引っ込んでいたが、引っ張られている所為で小柄な背中しか視界に入らない。何を考えているのだろうか…と声を掛けるか否か考えあぐねてしまうなまえだった。
「何なんだあいつ!」
「っえ、」
名前を呼ぶ前にルフィの方から声が上がっていた。拗ねているような怒っているようなそれらが入り混じったものは2人しかいない路上に広がっていく。
「何であいつなまえを泣かすんだ!」
「…ぁ、ごめんね、そうじゃなくって、私、涙脆い、すぐ涙が出ちゃって、ビックリさせちゃったね、」
「違う!」
上手く言えないのだろう、ルフィはそのままなまえに抱き付いて、今までに感じた事が無いくらい強い力を腕に込めていた。
「おれだけだぞなまえ泣かしていいの。」
「…え?」
「おれがなまえを泣かして、同んなじぐれぇ笑わせてやるんだ。おれだけが。」
「ルフィ、」
「それとも泣いちまう程あいつの事で心が一杯になるのか?」
最後の一言だけは静かで、なまえの心にとぷんと沈んでいく。沈んで溶けていってしまう前に彼女は頭を振る。それは違う、するりと生まれた感情に瞬きしてようよう納得したのはまさに今この時だ。
「…頭が、一杯になっちゃったのは、本当…。でもそうじゃないの。」
「何がだ?」
「彼の事。どう思ってるかって意味で。」
ルフィに好きって言ってもらうと心が温かくなってね胸の中がどきどきして、幸せな気持ちになるんだ。一緒にいるともっと一緒にいたい癖にどきどきしちゃってね。と瑞々しい想いを言葉に乗せてルフィに伝えていく。
「さっきのは色んな感情でしっちゃかめっちゃかになって、言葉が出なかったの。涙腺が緩いのもほんとでびっくりさせちゃってごめんね。」
そう言い締めくくれば、顔を上げたルフィは目を真ん丸にしていたのだった。驚いているな、と見つめ返せばそれは直に蕩けてしまう様な…お日様よりも穏やかな笑みに変わっていくのだった。
嬉しくてしかたない、目尻を緩め歯を覗かせて「そっか」と呟く。
「なんだ、なまえはおれの事好きなんじゃねェか。」
と本当に嬉しそうな、とびっきりの笑顔でルフィはなまえを抱き締め直す。
「おれと一緒だ。」
「…そう、だね、前に言った事とおんなじだ。ふふっ、なんだぁ、私ルフィの事が大好きだったんだね…。」
いつの間にかくすくすと声を立ててしまい、それから一頻り笑って。そしていつもと同じ様にスーパーへと夕ご飯の材料を買いに歩き出す。心だけは昨日とは違っていたけれどその差異が暖かくてどうしようもなく愛おしかった。
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bkm