Chocolate holic | ナノ




Sachertorte into Pink
>まゆさまへ


『チョコの糖衣をまとったケーキ。温度管理が難しい。』

「…そうなんだ。」

  麗らかな朝の陽射しは庭園の木々達を抜けて、木漏れ陽となって文字の羅列を撫でている。ドレスローザで出回っている雑誌は何時だってカーニバルの様な色彩で飾り立てられているが、今月号は特に賑やかだった。ゴシックが頁の上で跳ねて、メイリオが恋の歌を歌う。

『グラズールには110℃以上計れる温度計を用意する。』

  グラズールとは何か、まずはそこから調べなくては。なまえはアルファベットを人差し指の腹で辿って、華やかな頁から顔を上げたのだった。

「ザッハトルテ、出来るかな…がんばろう…。」

  『こちら』にもバレンタインがあったのかと驚いたのがこの雑誌を見つけた時だ。ローズピンクとパッションオレンジでドレスアップしたこれが大きなベッドにぺたんと寝転がっていたのを発見して、思わず微笑ってしまったのは秘密にしておこう。
  こんな事をするのも、出来るのも一人しかいないのだから!

「ふふっ、」

  あの大きな体で、不釣り合いな(失礼!)小さな雑誌を捲っている姿を想像してしまったらどうにもこうにも口元が弛んでしまうのだ。女の子の胸の中、そのどきどきをありったけ詰め込んだ様な雑誌の頁を彼はどんな感情を指先に乗せていたのだろうか?

『材料は無塩バター、チョコレート、グラニュー糖、アプリコットジャム…』

  クローゼットの取手を引っ張り、カラフルな彩りを掻き分けてお目当てのエプロンを身にまとう。彼は今頃せっせと書類を捌いているだろう、おやつの時間に間に合えば上出来。夕食のデザートまでにはどうにかして滑り込みたいところだ。

「あっちは…どうしよう、一緒に渡してもいいのかな…」

  クローゼットに隠して置いたパステルカラーの箱を思い出してなまえは一度瞬きをしてみせたのだった。そしてパステルで染まった前頭葉をビビットで賑やかな雑誌と同じ色に切り替えて、大きな廊下を歩き出す。
  行き先は勿論厨房だ。コック達の邪魔にならないか、材料は何処で手に入れようかとタンゴを踊り始めた思考に軽く苦笑いを浮かべたのだが…。

「お待ちしてましたよ!ここを使ってください。材料は冷蔵庫の中段に、分からない事はどいつにでも聞いてやって構いませんから。」
「…は、はい…ありがとうございます…」

  まるでテレヴィジョンの中に潜り込んでしまったかの様な整然とした厨房。そしてあまりの『手際の良さ』にたたらを踏むのはなまえにとって随分とお誂え向きだ。

「…お手伝いが出来かねないので心苦しいのですが。」

『なまえチャンの手作りが食べたいンだよ!』とあながち幻聴では無いだろうエコーがビビットの脳内を走り抜けて彼女は穏やかに首を横に振ったのだった。ローズとオレンジ、その他諸々を磨き上げられた大理石の隅に固めて置き、なまえは手を洗うべく蛇口を捻ったのだった。
  やる気だけは水流の勢いぐらいあるのだが…さてはて上手く美味しく出来上がるだろうか?




「…おォ…」

  コックさんありがとう。なまえは再度頭の中で繰り返して艶やかなダークブラウンを男の目の前に差し出すのだった。両手にすっかりと収まってしまう真っ白な皿の上に鎮座するのはなまえの握り拳程。添えてあるのはぽってりとした生クリーム、シルバーのフォーク。

「かわいいモンを作ったんだななまえチャン!」

  ついさっきまでの感嘆の声を嬉々の声で上から塗りたくった男は、やはり上機嫌でにやりにやりと笑うのだった。
  ひと呼吸を入れに戻ったなまえとの部屋はチョコレートの香りが混じっていた。夕飯のお楽しみのつもりだったが、なまえを少々甘くみていた。

「サイコーのおやつだなァ。」

  お決まりの位置、お気に入りのベルベット・ソファにどかりと座るとなまえをちょいちょいと手招きで呼ぶ。そこで食べるならコーヒーでも用意してこようかとなまえは「ちょっと待っててね。」とだけ行って右足を動かしたのだった。

「そりゃ駄目だ。」
「わ、」
「なまえ、これを作ったって事はおれの我儘を聞いたっつうこった。ザッハトルテが見てるぜ?最後まで我儘は聞くモンだ。」
「ええ?」

  冗談と屁理屈をアプリコットジャムと一緒に挟んだつもりはなまえは更々無かったのだが、サングラス越しの瞳はダークブラウンの中身にその鱗片を見出してしまっているかのようだった。

「お膝に乗んな、お嬢チャン。小さなお手々でフォークを持って、『あーん』って言ってみな。」
「ドフィ、ええ…?でも、その、」
「しょうがねェお嬢チャンだなァ、フッフッフ!」

  体も大きいなら腕も長い。当然だ。男はあっさりと慌てるなまえを引っ掴み、器用に膝の上へと案内してやるのだった。縮こまってしまうのは予想通り、真っ赤に頬を染めてしまうのも計算済みだ。

「…ドフィ、あの、心の準備が出来るまでちょっとだけ待って…」
「おれは今日はな、特に心が狭い。…お断りだ。」
「んんっ、…っふ…あ、」
「…ジャムの味見したんだろ?甘ったるいのが残っちまってる…」

  羞恥で温まった言葉を我儘を撒き散らす唇で吸い、今度は小さくとくりと脈打つ首筋へと鼻をぐりぐりと押し当てるのだった。

「カカオの香りが染みついてるなァ。」
「…っひ、」
「やっぱり見るならなまえのいろだ。あの雑誌、目がチカチカすんだよ。」

  色々口答えしてやりたいものが含まれているのだろうが、こうなってしまえばなまえの自由はすべてこの男に奪われてしまうのでいかんせん、どうにもならない。

「今日は随分と…くいものに困らねェこった…。」

  ザッハトルテか、パステルカラーのガナッシュか、それとも真っ赤な砂糖菓子か。男は本心を舌の上であっという間に溶かして飲み込んでしまったのだった。


[ 2/5 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -