Bitter truffle dive Black
>ユキさま・キョウさまへ
※blogにて諸事情説明あり
「…。」
「…あの、ロー…?」
「…っ、」
「…もしもーし…?」
『ベポくんと出掛けてきてもいいかなぁ?』とおずおずと問いかけられたのは…あぁ、そうだ昨日だ。絵本の中身を切り取ったメルヘンチックな風景の冬島だった。パティシエを多く輩出している云々と流し聞きながら、一人寂しくバーでジン・トニックを煽ったのもつられて一緒に甦ってくる。
その後、モスコー・ミュールのコッパーカラーを見続けた気がするが今はもうこの男の頭の中身からはジンもウォッカも縁を切ってしまっていたのだった。
ココアのにおいがする。
「なまえ。」
「はあい、」
「これ、くれるのか…?」
「うん。今日、バレンタインだから。」
とっておきの、とくべつなのよ。と男の顔を見上げるなまえは恥じらっている所為かほんの少し目尻が潤んでいた。くわんくらんと鼓膜を撫でる甘ったるい言葉に思考ごと溶かされて、心臓が締め上げられてその勢いで血液は体中を駆け抜けていく。
「はい、どうぞ。」
「…ありがとう…。」
棒立ちのまま受け取るのは小振りな箱だった。穴が開くかと凝視したかと思えばやにわにレースのリボンを横に引っ張り出す。男は一瞬前の棒立ちなど記憶の彼方に押しやって手際良くそれを解いてしまうと一気に蓋を開いてしまうのであった。そして釘付け。
てっきり何処か腰を降ろしてから、ともったいぶった引用を頭の中に描いていたなまえは男の素早さにぱちくりと瞬きを二回してしまう。三回目の瞬きを終えた後、見上げていた男の顔が切なくも幸せそうに形作るものだから彼女もまた男に釘付けになってしまうのであった。
「トリュフ…」
「ビターテイストにしたからそんなに甘ったるくないはず。」
「…手作りなのか?」
「うん。…がんばっちゃった。」
『コニャックを入れるのがオススメって教えてもらってね。』とふんわり微笑みを浮かべるなまえはどこか得意げだ。満足のいく出来栄えだったのだろう、いたいけでささやかな眼差しで男を眺めては面差しを綻ばせていく。
なまえのその微笑みにアルコールよりも強く酔わされて、節くれた人差し指と親指はココアパウダーにみっしりと包まれたチョコレートを摘まんだのだった。
人差し指はなまえに贈られた感動で温度を上げ、親指は目の前にいる甘やかな瞳のなまえに興奮した。
「…ン、」
「…甘すぎない、かな…?」
「いや、美味い。」
「ほんと?」
「あァ。」
「よかった…。」
昨日飲んだジンもウォッカも安物だった!安物に酔いも出来ずに潜水艇にすごすごと撤退した男の足元を思い出して、記憶の手前からわらってやった。あぁ、ビターとコニャックこの一粒で己の平衡感覚はガラガラ崩れ落ちてしまった。なんて上等の酒、なんて罪作りなおんな。そして一粒目を飲み下した男は隈で縁取られた瞳をココアをまぶされた二本に向けたのだった。
「酔っ払っちまう。」
「そこまでお酒入れてないから、ローなら大丈夫だと思ったんだけど…キツかった?」
「いや…そうだな…食ってみりゃあわかるさ。」
男はもう一粒を摘まんでなまえのふっくらとした唇に押し当ててやる。唇の柔らかさにうっとりするのも僅か一拍で、彼女が押し切られる様に口を開くとビターを小振りな舌の上に乗せてやるのだった。
「…ん、あ、」
親指は早々に引き抜いた、しかし人差し指は今だ震えるなまえの口の中。爪の先は蕩け始めたトリュフをまとい、指の腹は柔い温もりを行ったり来たり撫で続けていた。男は瞳を細めていく。
「…んっ、んっ、んく、」
「なァ…ほら、酔っ払うだろ…?」
下歯の裏側に爪を擦り付け、歯茎をつうと撫でてやるとなまえ知性は敗北してしまう。ぴくぴくと震える肩を男は嬉しそうに眺め箱を持ったまま器用に抱いてやった。細い腕はいっそ痛々しい程に震えて、己の服の胸元を掴む。
「あっ…。…は、ぁ…」
「なまえ、わかったろ?」
なまえの唇から引き抜いた指先はてらりと濡れて、つうと銀糸が伝っていった。指先が冷えていく度に口の中の温もりが惜しく、男はそのまま彼女の唇を濡れたままの指先で何度も左右に撫でてしまう。
「最高にキツくて…美味い。」
に、と口角を上げた男の心臓はどくどくと脈打って四方八方へ急いでいた。モラルはとっくの昔に散り散りになっている。ざまァねェ。
半分乾き始めた人差し指を舐めると爪にこびり付いたビターとコニャックが存在を仄かに主張して、そしてなまえの甘いものが脳を痺れさせた。
「残りは部屋で食うか。」
その場に理性を投げ捨てて、おとこは自室の方へとおんなを連れ立っていってしまったのだった。
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