失ったもの
あの日、御幸君に助けられてから私は男の子に呼び出されなくなった。 その代わりに、私と御幸君が付き合っているという噂が今度は出回ってるみたい。
でもそれももう私には関係のないこと。
…だって、あれから私は御幸君と関わっていないから。
授業中のいつものやり取りもなくなった。 正確に言えば、私が反応しなくなった。
御幸君はいつものように使わなくなったノートに言葉を書いて私の机に置いてきた。でも私はその紙を見ることなく御幸君の机へと返す。
驚いたように私を見る御幸君はもう一度何かを書いて私の机に置いてきた。
「…」
私はそれを、中身を見ずに机の中にしまった。
それを最後に、御幸君から話しかけてくることはなくなった。
最初はもっと食いついてくるかと思ってた。なんで無視するんだよって言われると思ってた。 けど、そういうことは一切なくてあっさりと御幸君との距離は広がってしまった。
結局、その程度の関係だったんだ。 授業中の暇つぶし、その程度。
それに…私には御幸君と仲良くする権利なんて、ないんだから。
『…じゃあ聞くけど、お前は河原のどこに惚れた? 触れた瞬間拒否られて、学校に来なくなったらどうする。まともに話せもしないのに、触れることも出来ないのに、どう絡む。河原が男恐怖症だと知ったらお前はどうする。 …それでもお前は河原が好きだと言いきれるのか?』
『は…なんだよ、男恐怖症って』
『見たら分かるだろ、怖いんだよ男が。 俺は前に髪の毛に触れたことがある。そしたら真っ青になって逃げ出して、次の日から学校に来なくなったぜ? お前はそれに耐えられんのかよ』
…私は、今まで自分のことばかりで御幸君のことなんて全然考えてなかった。
私は一度、御幸君を傷つけてる。 御幸君は何も悪くないのに、私が学校来れなくなって、責任感じてる。 それにつけこんで、私は少しでも恐怖症を直そうと御幸君を利用してるだけなんだ。
いつも笑って私のことを怖がらせないようにしてくれてるのが、私の中で当たり前になってた。 でも御幸君にとっては…。
いつも相手の顔色伺って、ずっと笑ってるなんて面倒に決まってる。 いつまた不可抗力でも触れてしまって私が学校へ来れなくなるかも分からないのに、関わりたくないに決まってる。
なのに、御幸君はずっと私にかまってくれてた。
全然気づかなくて、ごめんなさい。 でも、もう気づいたから。 あの日男の子に向かって言ってた言葉を聞いて、微かに見えた御幸君の横顔を見て、気づいたから。
あの時の御幸君の顔、すごく怖かった。 すぐ私の前に立ったから一瞬しか見えなかったけど、今でも鮮明に覚えてる。 …すごい真剣な顔だった。 でも前に見た何か大事なものを見てる時の顔じゃなくて…上手く言えないけど、怒りに満ちたような顔だった。
私の知らない御幸君の姿が、そこにあった。
怖くて、申し訳なくて、震えは止まらなくて、男の子がいなくなったらまたいつもの優しい御幸君に戻ってて、本心ではどう感じてるのか考えたらやっぱり怖くなって…。
私はもう御幸君とは関わらない。 そう決めた。
御幸君を私という面倒な存在から解放するためにも。
「…茜、御幸君と何かあったんでしょ?」
「何もないよ」
「でも…」
「大丈夫、別に嫌なことされたとかそういうんじゃないから」
「それは…分かってるけど」
「だから大丈夫だよ」
そう、大丈夫。 御幸君と関わる前の日々に戻っただけ。 でも、たったそれだけなのに私の中で何かが一つ無くなったような喪失感が芽生えた。
私の中にある通称"幸運"と称される四つ葉のクローバーが、葉を一枚失って三つ葉になってしまったような、そんな感じ。 三つ葉なんてその辺にいくらでもあるのに、元々四つ葉だったクローバーは何処か不自然で、物足りなくなった。
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