「やっばい…部室だ」
時刻は13時45分、水曜日。
水谷は自宅で鞄の整理をしていた。
なぜ平日の昼間に自宅に居るかと言うと、台風接近の為、急遽休校になったからだ。
いつもの通り朝練をこなし午前は普通に授業を受けていたのだが、台風通過区域は予報を大きく外れ、埼玉のど真ん中に停滞している。
このまま在校していては危険、と学校側が判断した為、午前授業での帰宅となった訳だ。
「まっじぃな〜あんなトコ置いといたら1日でカビちゃうよ…」
窓の外を見ながら呟く。
まだ雨は降っていないものの、遠くでは雷鳴が轟き、激しい暴風が悲鳴の様な音を奏でている。
9月に入って多少なりとも湿気は減った。
しかしプールの真下という立地の悪さでは、四季による湿度など関係ない。
運悪く部室に落としてしまった数学のノートを思い、事態を嘆く。
「うぅ〜…必死に写したのにぃ…」
どうやら阿部のノートをコピーしていたらしい。
せっかく写させてもらったノートを台無しにしたとあっては、今後頼みづらくなる。
ていうか頼んでも写させてもらえない。
結局、意を決して取りに戻る事にした水谷。
自転車に跨がり、強風に煽られながら30分掛けて学校に到着した。
真っ直ぐ部室に向かうと、水谷は部室のドアが開いている事に気付いた。
「…誰かいる…?」
もしくは鍵が壊れたか。
まさかオバケの類か。
不気味にバタバタと音を立てるドア。
電気はついている。
水谷は恐怖心から部室に入る事をためらうが、さっきまで遠かった雷鳴が近くで響き、雨も降り出したので結局部室に入る事にした。
部室内には水谷が想像していた幽霊などは居なかったが、代わりに狭い部室の片隅にうずくまっていたのは、
「三橋!?」
三橋だった。
ビクウゥっと肩を震わせ、恐る恐る振り向く三橋。
水谷の姿を確認すると、よほど安心したのか感極まって泣き出しそうになっている。
「どしたの?何で部室に居んの?」
「あ…の…、か、かみ なり…」
雷。
三橋の性格と合わせて、容易に想像出来たこの状況。
「…雷が怖かった?」
一応確認を取ろうと問い掛けた水谷の言葉に、三橋は小さく頷いた。
僅かながら羞恥の混じった返答。
流石に高校生にもなって雷が怖い、とは言いづらかった様だ。
しかしそこで浮かぶ新たな疑問。
「でも何で部室に?」
家に居た方が安全だろうし、部室は決して居心地がいいとは言えない。
「いっ…家 に オヤ、居なくて…で、部室 なら だ、誰か 居るかと…」
成程。
要するに誰かしら側に居て欲しかった訳だ。
しかし、それならば誰かに電話するとか、誰かの家にお邪魔させてもらうとか、他にも方法はあっただろうに。
部室の方が誰かに会える確率は低い。
と水谷は思ったが、三橋の思考回路は常軌を逸している。
三橋に『普通』を当て嵌めてはいけない。
水谷は1人納得した。
「オレっ、ち 小さい頃 目の前に雷落ち、て…それから…」
目の前。
そりゃトラウマにもなる。
よく当たらなかったな。
「ご、ゴメ…」
暫く黙って三橋の話を聞いていたら、水谷が呆れたと思ったのか三橋が謝ってきた。
「イヤ、全然平気!」
極力明るめの声色で言ってやる。
すると頬を赤らめてホッと胸を撫で下ろす三橋。
なんて解りやすい奴だ。
「み…水谷くん は、」
「オレ?これ取りに来たんだ」
目的のノートを見せて、鞄にしまう。
「せっかく阿部のノート写したからさー。こんなトコ置いといたら1日でカビちゃうし、後で怒られるし」
阿部怒るとうるさいもんなーと溜息混じりに言うと、
「み、水谷くん も 怒られる?」
「怒るっつーか、怒鳴られる。本人は別にそこまで怒ってねーらしーけど、わっかりづらいよなー」
「へ、へぇっ」
自分以外にも怒鳴られる人物が居た事が嬉しいのか安心したのか、目を輝かせて水谷の話を聞く三橋。
「そーいや、部活以外で三橋と喋るのってあんま無かったよな」
昼休みはほぼ睡眠に当て、授業が終わればクラス活動もおざなりにグラウンドへ走る毎日。
他のクラスの部員達との交流は実は少ない。
偶然にも出来たこの空間に、水谷は新鮮さを覚えた。
ここぞとばかりに阿部の事をどう思っているのか、気になっていた桐青戦で見たあの女の子は誰なのかなど、他愛のない会話というよりは水谷の質問攻めで暫く同じ時を過ごした。
そして早くも1時間程過ぎた頃、ピシャアという大きな雷鳴と同時に、部室は真っ暗になった。
停電だ。
水谷は別に雷が苦手な訳ではないが、こんな近くに落ちた上に急に暗くなったら流石にビビる。
ひぃっ、と上擦った悲鳴を上げるが、隣に居る三橋がモモカン顔負けの握力でしがみついて来たのでそれ所ではなくなった。
「三橋だいじょぶ?」
声を掛けてみるものの、見えなくても解る程三橋はガタガタと震えている。
大丈夫ではないな。
腕が折れるんじゃないかと思う程の三橋の握力に眉をしかめつつ、水谷は鞄からiPodを取り出した。
「三橋、ホイ」
あまりビビらせないよう、声を掛けてからイヤホンを付けてやる。
水谷の気遣いも虚しく三橋は盛大におののいてくれたが、まぁ三橋だし、と水谷は特に気にせず曲を流した。
「音楽聴いてればあんま怖くないっしょ?」
イヤホンから流れる心地好い音楽。
「オ レ、コレ 知ってる」
「マジ?いい曲だよなー!じゃコレは?」
次に流れたのは少し懐かしいJ-POP。
「知 ってる…っ」
「これなーちょっと三橋っぽいなーと思ってたんだよね」
暗闇の中、水谷の言う意味が解らず首を傾げる三橋。
「とりあえず聴いてみ」
流れた曲はシンプルなメロディーラインに透明感のある歌声。
穏やかな曲調でボリュームも上げていないのに、周りの音は全て掻き消され三橋は聴き入った。
そして曲が終わった後、三橋は何だか胸がいっぱいになった。
今までただ聴いた事があるという認識だった曲が、とても特別になった。
これは、水谷がくれた曲だ。
三橋が感極まっていると、水谷が口を開いた。
「三橋さ、西浦来て良かったっしょ」
暗闇で表情は見えないが、水谷の声色はとても穏やかだ。
「オレも良かった!」
水谷がそう言った所で、ようやく電気が復活した。
急に明るくなったせいで目が痛い。
ようやく光に目が慣れて来た頃、外が随分静かになっている事に気付いた。
「雨止んだー!!」
「止ん だっ!」
台風が過ぎ去った空は、抜ける様に青く澄んでいる。
とても清々しい気分になった水谷は、ある事を思い付いた。
「三橋!キャッチボールやろーぜ!!」
空を眺めていた三橋は勢いよく振り向く。
首が取れてしまいそうだ。
「や るっ!」
三橋のいいお返事。
ニカっ、と笑った2人はグラウンドに向かって猛ダッシュする。
今頃グラウンドは雨のせいで半水没している筈だが
そんな事はお構いなしだ。
我先にと夢中でグラウンドへ走る。
地上に光る太陽の子供達へ
2人が知らずにくぐった
七色のアーチは
嵐からのささやかな贈り物
水谷君が三橋君のナイトになった日。
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