まったりする朝菅水

 今日も今日とて湿気が多く、息苦しいほどに蒸し暑い。八月某日正午、東京都心の気温は三七度を超えた。
 あちこちのニュースで「なるべく外出を控えましょう」と注意が出されている中、汗だくになってぐったりした様子で部屋に来た水嶋を、菅原は呆れ顔を隠しもせず「バカか」と罵倒で迎えた。晴れの日らしく菅原の家にいた朝比奈にも、盛大に呆れられた。
 溜め息をついた菅原に風呂へ押し込められた水嶋は、頭から冷水を遠慮なく浴びる。着替えはいつものところにあるから、と言われたのを思い出して、苦笑ともつかない息をこぼした。
 自分たちの関係はやはりおかしい。朝比奈と菅原は恋人同士なのに、菅原に抱かれていた――語弊を承知で言えばセフレだった水嶋を何のこだわりもなく二人の空間に迎え入れる。最近ではだんだん弟扱いさえされているようだった。
 朝比奈としては、菅原と肉体関係があった水嶋の存在は歓迎できないのではないかと聞いたこともあったが、素で首を傾げられたのは記憶に新しい。

(弟か)

 水嶋自身それを悪くないと思って、受け入れ始めている。自分も充分おかしいな、と苦笑して、水嶋はシャワーを止めた。少しずつ水温を下げていった冷水のおかげで、体は寒気を感じるほどに冷えてくれた。
 また蒸し暑いだろう洗面所に上がるのが嫌だったが、いつまでも風呂場にいるわけにもいかない。水嶋はひとつ息を吐いて浴室から出た。
 スライド式のドアを開ければ、案の定むわっとした空気が濡れた肌にまとわりつく。手早く体と髪を拭いて着替え、きっと心地よく冷えているだろうリビングに足早に移動した。予想通りひんやりとした風が水嶋を包み込む。気持ちよさに息を吐いてドアを閉め、何やら騒いでいる二人に目をやった。
 ――すると。

「っ……?!」

 壁際に置かれた大きな液晶テレビに、何かおぞましいものが映り込む。
 ――幽霊。明らかに生きていないものの姿に、息をのんだ水嶋は即座そう思った。

「おい、菅原早くっ……」
「うっせーな、コレ使いにくいんだよ……あっ」
「お、おい掴まれてるぞ! 振り払え!」
「あーもう、うるっせーな。ギャーギャー騒いでっとリモコン口に突っ込んで疑似フェラさせんぞ木偶の坊」
「……」

 ぽっかりと黒い口を開け、両目の真っ暗な空洞から黒い血を流す薄汚れた看護士がドアップで映っていた画面は、看護士が少女につかみかかっている画面へと切り替わった。

「……なにしてんだあんたら」
「ホラーゲーム」

 ひどく面倒そうな顔で朝比奈をあしらう菅原から、とても簡潔な答えをいただいた。
 恐怖を煽るような不快なBGMに眉を顰めながらゲーム画面を見てみれば、水嶋も聞いたことがある和風ホラーゲームだった。

「何でそんなのしてんだよ。つーかあんた、ゲームとかやんのか」
「下ぼ……客から本体ごと貰った。暑ィからちょうどいいかと思ってやってみてんだけど、コントローラー使いにくくてめんどくせえ。あと朝比奈ビビってうるせえ」
「なっ……ビクついてなど……!」

 下僕と言いかけたのとを聞かなかったことにした水嶋は、「それはまた豪気なお客様で」とさり気なくテレビから目をそらしながら相槌を打った。
 その様子が丁度暗転した画面に写っていたのだろう。菅原が意地悪げな声で話しかけてきた。

「なに。彬おまえ、ホラー怖いの」
「は……?! っ違う!」
「じゃあ何で目ぇ逸らしてんだよ?」
「おい、ちょっ……菅原?!」

 菅原はスティックタイプのコントローラーを朝比奈に押し付け、ソファの背越しに振り向いてニヤニヤと笑う。

「怖くない。気持ち悪いから嫌いなだけだ」
「へーぇ?」
「……本当だからな!」
「はいはい」
「……っ!」

 明らかに信じていない。意地悪な笑みがやけに癪で、水嶋はずかずかとソファに歩み寄り半ば涙目で幽霊から逃げ回る朝比奈の隣にどかりと座った。

「っ水嶋?」

 そうして怯える朝比奈からコントローラーを奪い取り、追い回してくる幽霊に立ち向かう、が。
 即座に主人公らしき少女は幽霊に掴み掛かられた。朝比奈がやや切羽詰まった声で水嶋を呼ぶ。

「水嶋?!」
「……やべえ操作方法がわかんねえっ、うわ、なんだこれっ……!」
「ふ、振れ! 振るんだ!」
「ちょっ、何かガンガン減ってる、やば、ひっ……!」
「やっぱ怖いんじゃねーか」
「恐くねえ!!」

 そのまま一時間ほど騒ぎ続けた結果、水嶋は恐がりだというレッテルを菅原に貼られてしまった。朝比奈も水嶋を誤解して怖いよな、などと肩を叩いてくる。いい加減にしろと反抗しても、大人たちはそれを強がりだと決めつけて取り合わなかった。
 へそを曲げてむくれているうちに、睡魔がじわじわと襲いかかってきた。騒ぎすぎて疲れたのかもしれない。
 ソファに座ったままうとうとしていると、軽く頬を叩かれる。重い瞼を何とか開けると、菅原がこちらを見下ろしていた。

「寝んならベッドいけ」
「……ここが涼しい」
「冷房つけていいっつーの」
「つけてもしばらく、暑いだろ」
「朝比奈がつけにいったから」

 少ししたら部屋も冷える、という菅原の声を尻目に、水嶋は瞼のしたいようにさせた。どうせここで眠ってしまっても、きっと菅原は呆れた顔をしながらも水嶋を寝室まで運ぶのだろうから。
 弟扱いも得なものだ。水嶋は得たりと笑ったけれど、実際に口角は上がっていなかったろう。笑うよりも、すとんと眠りに落ちる方が早かった。

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