麻薬みたいな朝菅

お題「猛毒を孕む」:love is a moment(http://love.jeez.jp/love/)
※一瞬ちょいえろ


 豪雨。マンションの駐車場に車を置いて外に出るなり、矢のように雨が降ってきた。
 雨粒が頬に落ちてきて、雨だ、と思う間もなかった。思ったときにはバケツを引っくり返した――では足りない勢いで雨が降り注いでいたのだ。当然、エントランスまで急ごう、と駆け出す間さえもない。
 運転中から雲行きが怪しいとは思っていたが、まさかこんないきなり大量に降り出すとは思わなかった。

「だから早く帰って来いとメールしただろう」

 全身ずぶ濡れで部屋に戻った菅原を、午前中から部屋を訪っていた朝比奈が迎えた。呆れたような顔で、仕方のない奴だというように苦笑している。

「コンビニ入る前までは晴れてたンだよ」

 菅原は言い訳にならない言い訳を返す。
 所用で仕事場まで出かけた帰り、酒と煙草を買おうとコンビニに立ち寄った。それまでは雲のほとんどない、碧羅の天と言うに相応しい晴れ空だったのだ。しかし支払いを済ませて外へ出てみれば、果てなく広がっていた青は目を疑うほどの曇天と化していた。
 風も強く冷たくて、これは、と思いすぐに出発したのだが、ギリギリで間に合わなかった。

「駐車場からエントランスまでで、こんなにびしょ濡れになるとはな」

 朝比奈は脱衣所から取り出してきたバスタオルで菅原の髪を拭きながら、ある種感嘆する。

「確かに、物凄い雨音だ。夕立というよりも嵐だな」
「こんだけ強きゃ立派な凶器だわ」

 大きい粒が強風に押され、勢いよく肌に当たって痛いほどだった。これが雹であったら確実に流血沙汰だ。

「すぐ風呂を沸かそう。そのままだと風邪を引くだろうからな」

 言って微笑んだ朝比奈は、菅原にバスタオルを渡して風呂場に消えた。
 菅原はバスタオルをシューズボックスの上に置いて、濡れて貼り付いたシャツを脱ぐ。腕から抜き去っただけで、布がたらふく飲み込んだ水分がびしゃりと音を立てて玄関に落ちた。
 顔を顰めてシャツを玄関に捨て置き、あらためてバスタオルで身体を拭いた。

「菅原、すぐに……おい」
「あ?」
「服を脱ぎ捨てるな」

 戻ってきた朝比奈は、放置したシャツを見咎めて呆れ顔をした。

「廊下に置かないだけマシだろうが」
「……そうだが。ほら」

 朝比奈が洗濯籠を差し出してくる。菅原は肩を竦めて、シャツを拾って籠の中に入れた。

「で、何だって」

 がしがしと髪を拭きながら、朝比奈の言いかけた続きを促す。

「ああ。すぐに沸くだろうから、その間にシャワーを浴びるだろうと」
「あー……そうするわ」
「そうか。着替えは用意しておくから――」
「――っは、くしッ!」
「……風邪を引かないうちに、早く入れ」
「…………おう」

 鼻をすする菅原に朝比奈はやんわり笑んで、バスタオル越しに頭を撫でた。
 頷いた菅原は靴を脱いで部屋へ上がり、数歩歩いてぴたりと止まる。ぐしゅりと濡れた音を立てるソックスが気持ち悪い。
 面倒げなため息を吐き出してソックスを抜き去り、朝比奈が持ったままの洗濯籠に放り込んだ。
 そのまま脱衣室へ入ってズボンと下着を脱ぎ、バスタオルと一緒に備え付けの洗濯機へ投げ入れる。
 すっかり冷えた身体がかたと震えた。菅原は広々としたバスルームに入ってシャワーを出す。少し待てば、外の雨ほど勢いのない水はだんだんと温まり湯になった。頭から温水を浴び、それでようやく一息つけたような心地になれた。
 ひとつ溜め息をついてから洗髪やらを済ませているうちに湯が沸いたようだ。朝比奈が声をかけてきた。

「菅原。沸いたから早く温まれ」
「あァ」
「着替えも置いておくからな」
「んー」
「ああ、それと夕飯は何がいい?」

 身体に残る泡を流している最中に聞かれる。何でもいい、と答えると、「ならあるもので適当に作っておく」と返された。
 まさに勝手知ったるという感じだな……と、菅原は湯船に身を沈めながら喉で笑った。
 ――付き合い始めた当初は、正直言って火遊びのつもりだった。ほんの少しだけ本気の、公僕を恋人にしてみるというハイリスクな火遊びだ。部屋に入れるつもりはなかったし、合鍵を渡す気だって更々なかった。
 ――けれど。
 いつしか部屋に上げるようになって、好きに使わせるようにもなり、合鍵さえ渡した。不在の間に訪われても不愉快でなくなった。部屋のあちこちに、朝比奈の私物が増えた。公人でもなく、個人でもなく、『恋人』としての朝比奈蓮介の居場所が、菅原の部屋に作られていった。逆も然り、朝比奈の家にも菅原の居場所が出来ている。
 ――朝比奈は麻薬のような男だ、と菅原は思う。まだ少年と呼べるような歳の頃からこの荒んだ世界に入り込んでいた菅原にとっては、人体にとっての麻薬と同じようなものだ。朝比奈の――優しさは。
 最初の火遊びに気付いていたのかどうか、とにかく朝比奈は菅原に惜しげもなく愛情と優しさを与えた。それは乾ききってひび割れた大地に水がしみ込むようにして、菅原の中に入り込んだ。嗤って馬鹿にしていたものを受け入れている自分に驚いたし、何よりも不愉快で朝比奈に辛く当たったりもした。そうすれば朝比奈も離れていくだろうと思っていたのだ。なのに朝比奈は離れようともしなかった。辛抱強く耐えて、結局は菅原に根負けさせた。
 朝比奈さえいなければ、出会わなければ一人でいられた。自分の立ち尽くしている地面が乾いていることに気付かないでいられたからだ。乾きに気付いてしまえば、また水が欲しくなる。だから朝比奈は麻薬なのだ。猛毒だと解っているのに欲しくなるから。

「…………」

 菅原は永く深い息を吐きながら、濡れた前髪を掻き上げた。――そろそろ、上がってもいいだろう。充分に身体は温まったし――先程の摂取量ではまったく足りなくて、もう餓えが来てしまっている。
 まったく貪欲になったものだと、菅原は自嘲気味に唇を歪めた。


 泊まっていくんだろう、と当然のように言えば、朝比奈はきょとんと目を丸くした。今更何を聞いているのか、ということらしい。
 朝比奈との逢瀬で毎回そう言う雰囲気になる訳ではない。と言ってもならない方が珍しく、互いに疲れをおしてでも繋がりたかった。大抵は朝比奈の方から誘ってくるしそれが常になっていたけれど、今回は菅原から望んで主寝室のベッドを軋ませた。

「――は、ァ……」

 どくりと内奥に注ぎ込まれる熱を感じながら、菅原は深く息を吐いた。非生産的な熱気の終わりを惜しむようにして、萎えきらない朝比奈のものを締め付ける。朝比奈が息を詰めた。悪戯を咎めるように茶色い瞳が見下ろしてくる。菅原はふっと笑い、朝比奈の頭を抱き寄せた。

「すがわ――」

 何か言おうとする朝比奈の唇を奪う。充足しているこの瞬間に、言葉というものは必要なかった。ただ朝比奈の体温を感じているだけでいい。乾いた大地が水を吸い込むように、触れあったそこここから菅原は朝比奈を摂取する。
 無言で朝比奈を求める菅原に、やがて朝比奈も応え始める。朝比奈は一度口付けを中断し、菅原から自身を引き抜き横になった。それから菅原を優しく、けれど力強く抱きしめて再度唇を重ね合わせる。繰り返し、角度を変えて何度も食み合う。菅原は朝比奈の広い背中に手の平を滑らせ抱き返した。

「ん……は……っ、菅原……」
「黙れよ」

 喋ろうとする朝比奈の唇に、かぷりと噛み付いた。また触れ合い、甘噛みするだけのキスを繰り返す。多分会えなかった分を埋めているのだと、朝比奈を渇望する横で冷静に思った。セックスもしたかったが、二度目に入るよりもこうして戯れのようなキスを続けていたい。きっと肉欲で埋めきれない部分の方が多いのだ。
 朝比奈の手が頬を撫でる。情欲を伴わない手付きで肌をなぞられれば、直接的な交わりでも行き届かなかった部分に水が与えられる心地になった。

「……アンタは毒だな」

 キスの合間にそっと呟く。怪訝そうな顔をする朝比奈の目元を、指の関節で撫でた。

「ドラッグみたいなもんだよ。依存症になっちまう。断ち切ろうとしても断ち切れない」
「……お前も似たようなものだと思うが。そして俺より質が悪い」
「は?」

 朝比奈の苦笑はどこかあたたかいものだった。悪くない、と思っているときの顔だ。菅原はすでにそれがわかるようになっている。

「俺は……お前がいない人生など、もう考えられん」
「……」
「お前はひどく自分勝手だし、人を玩具のように思うところがあるし、人を振り回すのが好きだし……思っていることを吐き出さずに溜め込んで勝手に終わらせようとする、面倒な奴だが」

 面倒とまで言うか。苦々しく顔を歪める菅原とは反対に、朝比奈の表情は柔らかく優しいものだった。

「だから俺のために動いてくれたときは嬉しいし、振り回されてくれたときも、思いをぶつけてくれたときも嬉しい。その嬉しさは、俺にとって麻薬そのものだ」
「……――、」
「お前を愛せることも嬉しいんだ、菅原。もうお前なしではいられない」

 だから、と朝比奈は真面目な、しかし柔らかな声で言う。

「菅原。ずっと俺といてくれ」

 冀うように、指先と手の甲に朝比奈の唇が落とされた。薄暗い部屋の中、朝比奈の双眸は迷いなく菅原の目を真直ぐに射抜いている。
 以前ならば何を馬鹿な、と一蹴していたセリフだった。嗤ってやろうと開いた菅原の口は、けれど意思とは裏腹な答えを朝比奈に与えた。

「……考えてやる」

 しかし特段、驚くことでもなかった。菅原は完全に朝比奈に絆されているのだから、この返答はむしろ当たり前だ。逆にはっきり了承しなかったことの方が、驚くべきことのように思えた。
 朝比奈はふわりと微笑んでから、ありがとう、と菅原の頬に口づけた。
 ――いつまで周囲に隠し通せるかわからない。バレてしまえば身に危険が迫る。だが、たとえ祝福されず糾弾される関係であろうと、菅原には朝比奈を手放す気など更々ない。ハイリスクな火遊びは、すでに命をかける価値を持っていた。
 まったく、本当に麻薬そのものだ――。菅原が浮かべた苦笑は、朝比奈の見せたものと同じ色をしていた。

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