朝菅前提ラン菅

お題:love is a moment(http://love.jeez.jp/love/)
※支部に上げたラン菅系列

 いつからか、自然と目で追うようになっていた。滅多に会えない、住む世界が違うと感じさせるその男を。
 彼はランディと同じで、三宮万里に執事として雇われて働いている。だけれど執事の仕事は誰もが副業のようなものだ。ランディ自身も、その彼も月に数度しか出勤しない。

「桜、綺麗に咲いてるな……」

 三宮邸に向かう途中でランディは呟く。屋敷までの道中にある公園には染井吉野が植わっていて、それが見事に淡く柔らかな色の花を咲かせている。薄ぼんやりとした春の青空と視界一杯に広がる桜花(さくらばな)は、互いに溶け合って日本の春というものを美しく演出していた。桜の開花がニュースになるこの国が、ランディはとても好きだった。
 見惚れながら歩いていると、見事な桜花(おうか)の下でピクニックシートを広げて、手作りだろうお菓子を食べている親子を見かけた。小さな女の子はちらちら振ってくる桜の花弁にきゃきゃはしゃいでいる。掴もうとしてクッキー片手に立ち上がり、花びらとの追いかけっこにすっかり夢中だ。母親らしい女性は女の子の様子を微笑みながらカメラに収めていた。
 ――と、ジャンプした女の子の手からクッキーが零れ落ちる。女の子は雪のような花弁に気をとられていて、クッキーを落としたことに気付かない。そのままシートに落下したクッキーの上に着地してしまった。女の子は一瞬固まって、足元を確認して火がついたように泣き出した。ママのクッキー、しきりにそう言って大粒の涙を零しているようだった。母親は女の子を抱きしめて、何事か囁いてもう一つクッキーを渡してやる。女の子はぐずりながら頷き、母親の膝の上でクッキーを食べだした。
 のどかで微笑ましい光景だ。そう言えば最近、母の焼いたパイを食べていないことを思い出す。今度の休みには顔を出そう、と一人うなずいて、ランディは屋敷へ向かってひた歩く。

「……花見、かあ。屋敷の人とも行きたいな」

 三宮邸に務める男たちは揃って個性的だ。彼らといるのはとても楽しい。

「……誘ったら、来てくれるかな。菅原さん」

 ランディはぽそりとひとりごちる。ここのところ菅原は、ランディの視線を捕らえて離さない。その理由に気付けないほど、ランディは鈍くなかった。
 できれば二人きりで花見をしたい。誘うのも、他の誰にも聞かれないようなところがいい。邪魔はされたくない。
 とはいえ菅原とはそこまで親しい訳ではない。ランディは菅原の連絡先も知らなかった。となれば屋敷で誘うほかにはないのだが、果たして桜が散るまでに出勤が重なってくれるだろうか。

「……それが目下、一番の問題だよなあ」

 ランディは溜め息をついて頭を掻く。出来るなら今日出勤していてくれ、と願いながら、ランディは昼前の春の道を進んでいった。


 きっと今日は幸運の女神でも自分の頭上にいるのに違いない。ランディは強く思う。
 というのも、屋敷に来るなり菅原に会えたからだ。相変わらず気怠げな雰囲気と野性味を併せ持つ菅原は、仕事でする以上に元気よく挨拶したランディを鬱陶しげに見やった。

「……うるせえ」
「えっあっ……す、すみませんっ」

 少し棘のある溜め息をついた菅原は、親指の付け根の辺りで頭を押さえた。

「頭、痛いんですか?」
「あー」

 生返事を返す菅原の顔色はやや悪い。

「具合が悪いんだったら、帰った方がいいんじゃないですか?」
「呼び出されたンだからそうもいかねーんだよ」
「そうですか……」

 せめて薬を貰っては、と言うと、病気じゃないと菅原はゆっくり言った。

「……二日酔い」
「え」

 仕事の付き合いで記憶が怪しくなるほど飲まされたらしい。

(酔った菅原さん……見てみたい)

 これは誘う場所が増えた。ランディはやけに輝かしい笑顔になる。菅原に胡乱そうに見られてすぐに少しだけしおれたが。

「あ、あの、菅原さん。体調悪いときにこんなのもアレですけど……」
「あ?」
「あの、今度俺と花見に行きませんか!」
「あぁ?」

  菅原は訝しそうに眉をひそめる。

「つうか声でけえよ」と低く言われ、ランディはとっさに声を潜めて謝った。

「あの……屋敷に来る途中、公園があるんですよ。そこで桜が、とても――とても綺麗に咲いていて」

 少しだけ頬を赤らめながら語るランディの話を、菅原は静かに聞いていた。

「だから、あの……菅原さんと花見でもしたいな、って思いまして」
「……ふぅん。引く手あまただろうヒーロー様が、なんでまた俺を選ぶかね。誘うなら、もっと賑やかでバカ騒ぎが好きな奴らにすればいいだろ」

 たとえば五十嵐だとか東雲だとか。花見を盛り上げてくれるだろう名前を挙げる菅原は、ランディが菅原と二人きりで花見に行きたがっているなど思いもよらないようだった。
 それもそうか、とランディは思う。この屋敷が特殊なだけで、ふつう友人でもない男と花見になんて行きたがらないだろう。職場丸ごと、というならともかく、二人だけでなんて。

「そう……ですけど。でも俺は、菅原さんと二人で花見がしたいです」

 はっきり告げると、菅原の青い双眸に驚愕がともった。ほんのわずかに見開かれた眼がランディには珍しく、思わずまじまじ見つめてしまう。
 数秒だけ菅原は黙る。細められた目は困惑か、躊躇か、あるいは迷惑に思っているのではないかと不安に駆られた。いきなり特別親しくない男に誘われれば、それは迷惑に思うだろう。
 慌ててランディは発言を無かったことにしようと口を開きかける。やっぱり、と声になる前に、菅原がいつも通りの余裕げな、それでいて皮肉っぽい笑みを作った。

「いいぜ」
「え……」
「花見。誘われてやっても」

 今度はランディの瞳が見開かれた。菅原の言葉をかみ砕き理解すると、斜面を水が流れるように頬が赤く染まっていく。

「ほ、本当ですか!」
「うるせえ」
「あっ、すみません……嬉しくて」

 頬の上気するランディを理解できない、とでもいうように菅原は片眉を上げた。

「じゃあ、あの、次のオフすぐなんで……菅原さんって確か、だいたい夜仕事でしたよね? 昼間なら誘って大丈夫ですか」
「日によるけどな。……まぁ余計なもんもついてくる可能性があるってのは、頭に入れとけ。がっかりしねーようにな」
「……? はい」

 余計な物、という時の菅原の表情はどこか柔らかく見えた。まるで何かを慈しむような――愛おしむような顔。

「……」

 連絡先を交換して菅原が背を向けて行っても、ランディはその場に立ち尽くしていた。念願の菅原のアドレスと電話番号を得たというのに、心はまったく浮足立たない。先ほどの菅原の表情が、しこりのようになっていつまでも心に残っていた。


 心に残った蟠り――菅原のあの優しい表情の理由は、その日の夕方に明らかになった。ランディにとって最悪の《理由》は、しかし頭のどこかでは予想していた気がする。
 時間の経過につれ重石のようなものは軽くなっていった。次第に菅原と花見に行けるという事実に浮かれ、足取りも軽やかに飛ぶようだった。出くわしたほかの執事にはずいぶん訝しがられたが、ここで話してはせっかくの逢瀬が台無しだ。あれよあれよという間に「みんなで行こう」という話になるだろう。みんなで賑やかに――というのも悪くないしむしろ好きな事だが、今回ばかりは断固拒否する。

(菅原さんと、二人っきりでの花見なんだ。デートみたいなもんだし……。告白、もしてしまおうかな。菅原さんは男同士でもあまり気にしなさそうだし……気にしてたらご主人様の命令だからって、女装して俺にフェラしないだろ)

 ランディは一人頷いて、鼻歌を歌いながら窓を拭いたり部屋の掃除をしたりしていた。目撃されて気味悪そうに見られても、有頂天のランディには気にもならなかった。
 そうやって浮かれていた夕刻だ。一息つこうと訪れた裏庭で、見てしまった。どうしてか、ランディは咄嗟に物陰に隠れてしまった。

(え……あ……うそだろ)

 裏庭には先客がいるようだった。木の陰に隠れるようにして、二人。ランディのいるところからは隠れきっておらず、二人が何者かは明瞭だった。

(朝比奈さん、と……)

 談笑していたらしい朝比奈の影が、もう一人に重なる。そのもう一人――が問題だった。

(す、がわら、さん……)

 ランディは呆然と立ち尽くす。
 何度目を凝らして見てみようと、戯れるようにキスをしている二人は朝比奈と菅原で間違いない。しかもどう見ても、菅原は朝比奈を受け入れている。自ら朝比奈に触れ、精悍な顔を引き寄せている。
 眼を逸らしたくとも逸らせない。血の気が失せていくような感覚とともに、目眩がした。
 愕然としている自分の中で、冷静な部分が「そういうことだ」と囁く。
 ――菅原のあの表情を見ただろう。
 ――あれは朝比奈への愛情の現れだったのだ。
 そんなわけ、とかぶりを振っても直ぐさま否定が飛んでくる。
 ――真昼に見たのと同じ顔をしているだろう。あれで遊びなんて言えるはずがない。
 ランディは朝比奈の頬を撫でる菅原の表情をじっと見る。意地悪そうに笑っていても、涼しげな色の目はどこかあたたかい。
 打ちのめされたような気分で、ランディは俯いた。
 昼にあの顔を見たときから、こうなる予感は確かにあったのだ。それは朝比奈との逢瀬を目撃してしまうということではなく、忍ばせた恋心が決して実りはしない、菅原がランディを振り向くことはない、という確信めいた予感だったけれど。

(だからって……ああも好き合ってるって解るところを見てしまうのは、きつい)

 立っていられなくなって、壁に背を預けてずるずると座りこむ。頭を抱え込んで、うめくように息を吐いた。あんなところを見てしまっては、万に一つも可能性など無いと思い知らされる。
 いつも真面目で執事全員の大きな兄のような朝比奈は、誰に対しても優しくて、誰のことも見守るような目で見ている。丸い茶の双眸に慈愛の色はあれど、あのような――心底(しんてい)から愛しいと訴えかけるような目など、見たことがない。
 菅原はいつだって皮肉げだったり、意地悪そうだったり、そんな表情ばかり目立つ。性質のどこかは三宮や三日月にきっと似ている。決して本気にならず、気紛れにちょっかいを出して遊んでいる――そんな人間に見えて、何だかんだで面倒見がよかった。特に倉科には接客業についてあれこれ聞かれては真面目に教えているようだった。素っ気ないけれど、若年の執事から見れば彼もある種兄のように映るだろう。

(全部ただの、印象で)

 朝比奈だって特定個人を愛するだろうし、菅原だって本気で人を好きになることもあるだろう。何故かそれを、完璧に失念していた。
 ランディは出来るなら、菅原の《本気の相手》になりたかった。本気にならない菅原の、本気に。けれどその場所は、すでに埋まっているらしい。

(…………どっか悪い部分のある人なら、俺の方がいい、きっと菅原さんもわかってくれる……なんて思えたろうけど)

 朝比奈は善人だ。ランディには彼の欠点らしい欠点が見当たらない。あの体躯で甘味好き、というのもかわいくて和む。実直だから真直ぐに菅原を愛してくれるだろう。――いや、きっと今もひたむきに菅原を愛している。菅原に触れる朝比奈の手の優しさ、菅原を見つめる目の切ないまでの柔らかさとあたたかさが何より物語っていた。
 ランディは疲れたように深く長く息を吐きだした。気落ちは――もちろんしている。悔しい、とも思う。朝比奈よりも先に菅原と親しくなれていたら、もしかしたら可能性があったかもしれない、とも。

(……しばらくは、諦めきれそうにないな……)

 泣きそうな顔で苦笑する。

(でも――言うだけは言おうか。好きですって)

 そうして菅原にはっきり断ってもらって、気持ちに踏ん切りをつけたいと思う。決着を菅原に委ねるようで少し卑怯かもしれないけれど、ランディにとってはそれが一番、後腐れなく笑えるようになる近道だった。

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