施設育ちの菅原の朝菅三杯目

※前にフォロワーさんと話してた「出会う前に夢の中で出会ってた朝菅」設定



 夢を見た。薄暗く狭いアパートの一室だった。窓も色あせたカーテンも閉め切られた部屋は、まとわりつくような熱気に支配されている。外界の情報が一切入ってこないが、この暑さならきっと真夏なのだろう。
 菅原はその部屋でぐったりと横たわっていた。畳の硬い感触が後頭部に触れている。視界に入る手はやけに小さく稚い。稚い割に子供特有の丸みはどこにもなかった。

(……ああ)

 子供のころの夢だ、と菅原はぼんやり思う。ただでさえ蒸し暑い室内で、腹部がひときわ熱を持っているように感じられた。おそらく、母親が連れ込んでいる男に暴力を振るわれた後を夢に見ているのだろう。
 力の入らない体を横たえたまま室内を見渡してみるが、丸い食卓や化粧台、小さなタンス、畳まれた寝具や古ぼけたキッチンなどの味気ない生活感があるだけで、男の姿はどこにもない。
 これが何歳ぐらいの記憶か知らないが、菅原に暴力をふるって日頃のうっぷんを晴らすのは、決まって男だった。母親はそもそも菅原には興味がない。ふと思い出したように母親らしいことをするときもあるが、たいていはコンビニで買ったらしい食料を投げ渡して終わりだった。
 時折、菅原のことも可愛がる男を連れ込むこともあって、その時は菅原は普通の子供のように過ごせた。父親がいれば、いつもこういう風に過ごせたのだろうか、と心のどこかで思ったこともあるような気がする。
 どうやら1Kのこの部屋に一人きりなのだから、起き上がって窓を開け放てばいいのだけれど、菅原には自ら動こうという気力がわかなかった。確か、幼いころは常にこういう生き方だった。殴られるのは嫌だし腹が立つので最初は抗っていたが、反抗すればするだけ暴力はひどくなる。どうあがいても大人の男の力にはかなわない。それを知ってから、菅原は理不尽な暴力に抗うことをやめた。ただ黙して嵐が過ぎ去るのを待っていれば、余計な刺激をしないのでその分の暴力は減った。それでも過剰な暴力を振るわれるときはあって、血を吐いたこともあった。何度か病院に運ばれることもあり、医師の通報がきっかけで菅原は暴力から解放された。
 養護施設で暮らすようになってもしばらくは受動的だった気がする。とりあえず暴力を振るわれることを前提として過ごさなくていいと理解するのに、どれくらいかかったかは覚えていない。

(そういえば)

 昔はよく夢を見ていた。起きた時には夢を見た、ということ自体を覚えていないような夢だった。最近になって中身を思い出せるようになった、今思い出せば笑える夢だ。
 子供の菅原は広い一軒家のリビングにうずくまっていて、そこに年上の男が入ってくる。少年と言った方が近い風体の彼の家らしいので、彼にとっては菅原の夢への介入は帰宅のようなものだった。
 その少年というのが実は朝比奈だったのだから、朝比奈と心身を重ねた今では乾いた笑いしか出てこない。屋敷で出会う前からつながっていたなんて、いったい何の冗談だ。
 は……、と笑うように息を吐く。

「……朝比奈」

 目を閉じて、今は遠い男を呼んだ。
 すると何かあたたかいものが背中を撫でる感覚がして、菅原は驚いて目を開ける。目を開いてまた驚いた。眼前には朝比奈の寝顔があったのだ。暗い視界でも間近だから判別できた。すっかり成長しきった現代の朝比奈が、隣で静かな寝息を立てている。
 視線だけを巡らせて居場所を確認した菅原は、夜の暗さに満たされたここが朝比奈の家の寝室であることを思い出した。夢の中との落差に一瞬だけ混乱して、菅原は数度瞬きを繰り返した。
 横臥している朝比奈の右腕が、菅原の背中に回っている。どうやらこの男は寝ながら無意識に菅原の背中を撫でたらしい。俺はここにいるのだと、菅原を安堵させるかのような手つきで。ひょっとすると夢の中で呼んだと思っていたのだが、実際に声に出ていたのかもしれない。それにしても寝ていながら反応するとは恐れ入る、と菅原は半分呆れの溜め息をこぼした。

(どんだけ大事にされてんだか……)

 朝比奈は、朝比奈蓮介という存在すべてで菅原への思いを表してくれている。それが少しだけむず痒かった。
 菅原もちゃんと大事にされている分を返してやりたいけれども、どうにも性格が邪魔をしてうまくいかない。早くから裏社会になじんでいたからか、それとも持って生まれたものなのか、菅原は素直になるということが極端に下手だ。自分の欲望には忠実なくせに、他人に対してのプラスの感情に関しては持て余してばかりいる。

「……朝比奈」

 吐息だけで朝比奈を呼ぶ。今度は朝比奈は反応せず、背中に触れる手も動かなかった。
 菅原は数秒逡巡した後、そっと額を朝比奈のそこに合わせてみた。それからゆっくりと鼻先をすり合わせ、しばらくそうしてからやっと、唇を重ねた。
 軽く触れるだけのキスを何度か繰り返して、菅原はまた眼を閉じる。甘さを含む行為をしてやれるのは、こうして朝比奈が寝入っているときに限られる。彼の意識がある時では、やはり素直に愛せないのだ。
 ほんの少しだけそれを申し訳なく思いながら、菅原はもう一度意識を暗闇に沈めた。

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