[神々しい夢special]劉雷翔



 ――黒。
 どこを見ても、世界は一面ねっとりとした黒で塗りつぶされている。
 ひたすらの暗闇だ。ここが部屋なのか、それとも屋外なのか、何がしかの空間であるのかも把握できない。
 雷翔は立ち尽くしたまま、真横に手を伸ばしてみた。手のひらも指先も、空をかすめる。真上もぶつかるものがない。とりあえず、背が高く手足のすらりと長い雷翔が窮屈に感じるような場所ではないらしい。

「……?」

 では果てはあるのだろうか。
 気になって歩いてみようとしたけれども、足が動かない。――動かせなかった。まるでその場所に固定された銅像だ。
 この足はもう動かないのだと、雷翔はなぜか理解できた。
 動けなければ何もできない。果てを確かめることも、暗闇に何があるのかも。

「……ギターさえありゃァな」

 手に取れば鼓動を伝える彼らがいてくれたのなら、手持ち無沙汰な暗闇でも暇つぶしができる。
 自分の姿も認識できない空間でさえ、雷翔の中には音が溢れて鳴り止まない。音楽は常に、雷翔とともにあるのだ。

「――……外に形あるものだけが、音色を生むものではない」

 内側を巡る音に耳を傾けていると、かつて父親に言われた言葉が蘇ってきた。
 外に形あるものだけが、音色を生むものではない。己の内側に溢れる音は、体を通して表現される。

「楽器がなければ、自分自身が楽器となればいい」

――歌え、雷翔。心で。奏でるのではなく、歌う。心が震えるままに。それが音楽だよ。

 幼い頃には理解できなかった父親の言葉だ。雷翔はこれをずっと理解しようとしていた。
 けれど、ずっと理解できなかった。いくら考えても分からなかった。父が楽器を演奏することを歌うという意味を。

「――……」

 雷翔は『歌う』。自分の内側から流れ出る音を止めるような無粋はしない。
 父の言葉を理解できたのは本当に最近のことだ。そもそも頭で理解しようとすることが間違いだった。
 心の震えが止まらない。歌唱は本業ではないのに、どこまでも伸び伸びと声が出る。
 どれだけ声を送り出しても疲れない。喉が嗄れることもない。いつまででも歌っていられそうだった。
 ああ、これは夢なんだな、と雷翔は唐突に自覚する。この音色を記録出来ないのが残念だ。起床した時、この新曲と心の震えを覚えていられたら最高だろう。

「へえ、結構いい声で歌うじゃねーか」

 ひとつのまとまりになった音色を歌い終えたとき、聞き慣れた不遜な声が暗闇を震わせた。

「万里?」

 首を巡らせても、三宮の姿は見えない。彼もまた、この暗闇に溶け込んでいるのだろう。

「お前、どんな夢見てんだよ。こんな真っ暗闇ん中に縛り付けられてるって」
「さあ。俺に言われてもなァ」
「お前はバンドで歌わないのか?」
「歌ってるさ。ギターでな」
「ふゥん」

 喉を通して歌うよりも、ギターの弦を弾いて歌う方が心地よい。
 雷翔はそうはっきりと確信した。今すぐにギターに触りたくて仕方がなかった。
 これなら動けそうだな、と思って一歩踏み出せば、足は天女の羽衣のように軽かった。

---

「おい」
「ん……?」
「起きろ、雷翔」

 肩を揺さぶられて、雷翔は目を覚ました。ざわざわと雑音の奔流が耳に入ってくる。
 顔を上げると、隣には呆れた顔の水嶋がいた。揺り起こしたのは彼らしい。

「あァ……彬か……」
「講義終わったぞ」
「あー……寝てた……」
「お前に甘い教授で良かったな。スタジオ行くぞ」

 水嶋はくあ、と大きなあくびをする雷翔の腕を掴んで立ち上がらせる。
 スタジオ、と聞いて雷翔の意識は一気に覚醒した。
 慌てて支度をしだす雷翔を、水島が胡乱に見てくる。

「何か音が溢れて止まんねェ。歌いたい」
「……へえ」

 雷翔は鞄を肩に掛けて、水嶋を置き去りにしそうな勢いで教室を飛び出した。
 夢の中で溢れた音を、一刻も早く歌いたくて仕方なかった。

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