朝菅+主そら前提主菅
丁度その場に居合わせた倉科は、ただおろおろと二人を見比べるしかできなかった。
「……」
「…………」
倉科は応接室で、菅原と接客についての話をしていた。GWに菅原の店のひとつで接客をさせて貰って、以来為になる話を教えてもらうようになった。
菅原は店でしてきたちょっとした悪戯をする気配もなく、きちんと物事を教えてくれている。
今日も同じようにして話していたところに――朝比奈が入ってきたのだ。
二人は顔を合わせるなり睨み合って動かない。朝比奈と菅原はお互いを蛇蝎のごとく嫌いあっていてとんでもなく不仲だというのは、既に屋敷内では常識になっていた。
(どうしてこんなに仲が悪いんだろう)
菅原はどうかわからないが、少なくとも朝比奈は大っぴらに人を嫌う男ではないと倉科は思っている。
朝比奈はいつだって年長者として他の執事たちを見守っているし助けてくれるのに、菅原にだけは警戒心を露わにする。
菅原も何だかんだで結局は優しいのに、朝比奈を見る目はひどく冷たい。
外は初夏の太陽が燦々と輝き暑いくらいだけれども、この部屋だけがまるで極寒の雪国だった。
困り果てて冷気に震える倉科の頭を、菅原の手のひらがぽふと叩いた。
「じゃあな」
「あ――……はい」
菅原が朝比奈から視線を外したことで、部屋に充満していた重圧は消え去った。菅原は朝比奈の存在が見えていないかのように、朝比奈の横を過ぎて応接室を出て行く。
「倉科。あいつに何もされなかったか?」
菅原がいなくなるなりいつもの父親みたいな朝比奈に戻って、倉科は内心安堵した。それからきょとんと首を傾ける。
「何かって……? 菅原さんには、接客のためになることを教えていただいてました」
「それならいいんだが……」
「あの……朝比奈さん」
「ん?」
「菅原さんも、いい人だと思いますよ?」
だからあんなに嫌う必要はないのだと言外に言えば、朝比奈は苦笑して倉科を撫でた。
「そうか。悪いな」
「いえ……」
倉科は、朝比奈が本当は菅原も優しい人間だと知らないから嫌っているのだと思っていた。けれども朝比奈の苦笑は、朝比奈も菅原の優しさを知っているように思わせる。
であるならば、何故二人は仲が悪いのだろうか。じっと朝比奈を見上げる倉科の頭を、朝比奈はまた撫でて苦く笑った。
――倉科は、菅原が裏社会の人間だというのを知らない。そして二人の不仲の裏に潜んでいる真実にも、気付く機会を与えられていなかった。
※
菅原は広い廊下で首を回して軽く溜め息をつく。たった数分の接触でこれだけ肩が凝る。だから屋敷内で朝比奈に遭遇するのは嫌なのだ。
不仲を装うのは別に構わないし、敵対しているふりをしていなければ互いに危険の伴う間柄なのも重々理解している。
気が重いのは、睨み合いの裏で朝比奈が心底菅原に詫びているのがどこに表れていなくともわかってしまうからだ。菅原は朝比奈を思い切り睨みつけて邪魔者のように思うことに何の罪悪感もないのに、朝比奈はそうではない。
あの男はひとたび恋人の顔になれば、屋敷で出くわしたときのことをいちいち謝って来る。不仲の提案を持ち出したのは菅原の方だというのに。
それが面倒といえば面倒だった。気が重くなるのはそのせいだ。
もう一度息を吐いて、帰ってしまおうと菅原は更衣室に足を向ける。
「菅原」
その背中に、三宮の声がかかった。
菅原は足を止め、数秒間を置いてから振り向いた。
「……何です。何もないんなら帰りたいんですが」
「部屋に来い」
三宮は意地悪げに唇を歪めている。この男の気紛れはひどく迷惑だ。菅原はやはり間を置いて、渋々頷いた。
さっさと踵を返す三宮の後を、ゆっくり追う。
――いくらでも何度でも、好きにすればいい。今更朝比奈以外の熱を感じたくないなどと、潔癖なことは言わない。全体、菅原の貞操は緩い。
ただそれでも、絶対に譲らないものはある。どれだけ身体を明け渡そうと、心は自分だけのものだ。
三宮の私室に入るなり奉仕を命じられて、菅原は無表情で跪き机に寄りかかる三宮のものを取り出し口内へ迎え入れた。受け身として奉仕するのは慣れたものだ。
どこをどう刺激すれば手っ取り早く快感になって、さっさと済ませられるかも熟知している。三宮に奉仕した回数はさほど多くないが、その数回で、自分の持つ技術が三宮にも通用することはわかっていた。
ただひたすら義務的に三宮の熱を高めていると、ふいに頭上から嘲笑が聞こえた。菅原は眉を顰めて三宮を見上げる。
「朝比奈さんにもこうやってやってんのか?」
「……はぁ?」
できる限り不愉快さを顕わにして、菅原は三宮から口を離した。
当然三宮にも、自分と朝比奈が恋人であることは話していない。
「何であの警官が出てくるんですかね」
「やらねぇのか」
「客として俺の前に現れんなら、相手してやりますけどね」
三宮に対しては何がボロになるのかわからない。話をしているのは危険なので、また三宮を口に含もうとするが、頭を押さえられて阻まれた。
「俺が気付かないとでも思ってんのか?」
「あぁ?」
「付き合ってんだろ、おまえら」
三宮は嗤ってはいるが、これは既に確証を得た上で確信している目だ。
こうなれば誤魔化しも無駄だろうが、だからといって認めることなどできようはずもない。
「……ついに頭がおかしくなっちまったんですか、ご主人様。アンタ、俺がどんな人間か知りながら巻き込んだんだろう。なのによりにもよって、警察官と付き合ってるだぁ?」
「ああ、お前がそう言ってるなら当然だから疑わなかったがな。朝比奈さんって結構わかりやすいから」
――あの馬鹿。
菅原は表情を崩さずに、胸裏で言葉の限り朝比奈を罵倒した。
「朝比奈さんにお前が裏社会の人間だって教えたのは俺だから、警戒して嫌いあってんのは不思議じゃなかったんだが」
「ッん、ぐ……っ」
三宮は思い出したように、菅原の口腔に熱いものをねじ込んだ。視線だけで続けろと下命され、菅原は仕方なしに質量に舌を這わせる。
「朝比奈さんは善人だからな。頑張って隠してたけど、いつからかお前への敵対視に申し訳なさが滲んでた。見る奴が見ればわかる」
三宮はその朝比奈の手落ちから辿って、二人の関係を突き止めたのだろう。
まったく厄介な人間に悟らせてくれた。菅原はもう一度心中で朝比奈を罵った。
三宮が関係を知ってどうするつもりなのか聞き出したかったが、そうしてしまえば認めることになる。少なくとも朝比奈は三宮のお気に入りだ、彼の不利になるような真似はしないだろう。
とにかく早く済ませてしまおうと、より喉奥に三宮をくわえ込む。三宮の息も取り繕いきれず荒くなり、そろそろ終わるだろうかというころ、唐突に私室のドアがノックされた。
「三――ご主人様。朝比奈だが」
「ああ、朝比奈さん。ナイスタイミングだな。入んなよ」
とんでもないことを言い出した三宮を睨みつけてやりたかったが、菅原は眉を顰めるだけにとどめた。
菅原も人のことを言えないが、三宮には性的羞恥心というものが著しく欠如しているようだ。
朝比奈が扉を開けて入室してくるのと同時に、菅原は三宮のものから強制的に口を離された。
「な――」
おそらく、朝比奈が菅原の姿を認めたのは、三宮の白濁が菅原の顔に散らされた瞬間だったろう。
菅原は再び口元に差し出されたものの残滓を吸い出しながら、ちらりと横目に朝比奈を見る。朝比奈は扉を開けた体勢のまま呆然と立ち尽くしていた。
「借りてるよ、朝比奈さん」
「っ三宮!」
あからさまな挑発に乗った朝比奈は怒鳴る。菅原は残滓を嚥下して眉間に皺を寄せた。
(台無しだ、馬鹿野郎が)
そこで怒っては、認めまいとしていた菅原の行動が無駄になるだろうに。三宮を口から離し下着の中に押し込めて、軽くため息をつく。
こうして顔に吐精したのも、朝比奈への挑発なのだろう。咄嗟に思いついたのか計画的かはともかく、相変わらず意地の悪い男だ。
「……俺はもう帰っていいんですかね」
手で顔を拭いながら訊ねる。
「朝比奈さん、ドア閉めて」
三宮は菅原を一瞥してから朝比奈に下命する。まだ帰らせない、という返答だろう。
朝比奈は双眸に怒りをたたえながらも、ことさら静かに扉を閉めてみせた。
「駄目じゃん、朝比奈さん。せっかく菅原が頑張って否定してたのに、俺に怒っちゃ」
「――……っ」
朝比奈は臍を噛むように顔を歪める。何のことを言われているかすぐさま理解する程度には、冷静さが残っていたらしい。
申しわけなさそうにこちらを見てきたので、菅原は白眼視を返してやった。
「……三宮。頼むから菅原の不利になるようなことだけは、してやらないでくれ。――この通りだ」
(開き直りやがった)
バレてしまっているのなら、ということだろうが、それでも否定を続けていれば建前上は不仲でいられたはずだ。
腹いせに、このまま朝比奈の目の前で三宮とセックスしてやろうかと思う。もちろん思うだけで、下命されなければ実行には移さないけれど。
三宮は頭を下げる朝比奈を笑った。
「そりゃあ、警察官と恋人だ……なんて知られたら、菅原の立場は悪くなるだろうな」
「……」
特に菅原を目障りに思っている輩からすれば、菅原を排する大義名分になる。彼らは大喜びで菅原の支援者を言いくるめて菅原から引き離し、菅原の居場所を奪っていくことだろう。
なかには警察官との恋愛を裏切りと見なして、最悪命を奪おうとする者も現れるかもしれない。
思えば随分とリスキーな人間を選んだものだ。絆されて好きになってしまったのだから、今更言っても詮方ないことだが。
「俺は俺のものを、俺のものじゃない奴に好き勝手されるのは好きじゃないんだよ、朝比奈さん」
「……それは?」
朝比奈は顔を上げる。
「最初から他言するつもりはねーよ。俺の方までほじくられちゃたまらないからな」
「なら何故追求した」
菅原の心情と朝比奈の言葉が一致した。
「強いて言えば、報告する義務をおろそかにしたことへのお仕置きだな」
「はぁ? プライベートなことまでアンタに報告する義務ね……ないでしょうが」
「些細なことならな。だがこれは一大事だろう。敵同士のはずなのにいつの間にか恋人になってたなんて」
三宮はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。面白い玩具を見つけた、と言わんばかりだ。
「……三宮、お前……暇なのか」
「は? 暇なわけないじゃん。息抜きだよ、息抜き」
まったく悪びれない三宮に、朝比奈はどっぷりと深い息を吐いた。
「付き合ってられん……。菅原は連れて行くぞ」
三宮は笑ったまま肩をすくめた。これ以上引き留める気はないらしい。菅原は立ち上がって、さっさとドアに向かう。
「三宮。山野井が来ていないからといって、人のもので遊ぶなよ」
「……」
背を向けていたのではっきりとしたことは言えないが、きっと三宮は面白くなさそうにしたのに違いない。何も言い返さないのがいい証拠だ。
しかし他者に向かって恋人をモノ呼ばわりは気にくわない。菅原を追いかけるように退室しようとする朝比奈の鼻先でドアを閉めて、菅原は浴室に向かった。帰るにしてもまずは三宮の痕跡を洗い流さねばならない。顔を洗うくらい使っても文句は言われないだろう。
「菅原っ」
すぐさま追ってきた朝比奈が隣に並ぶ。開き直ったこの男は、最も警戒していた三宮に知られてしまった以上、執事たちの目を気にすることをやめたようだ。
菅原はひとつ舌打ちをした。
「簡単に気取られやがって」
「……すまない」
「俺は人を玩具にするのは好きだが、人に玩具にされんのは大嫌いなんだよ。覚えとけ木偶の坊」
「木偶っ……そ、そうだな……以後気をつける」
横目に睨みながら言うと朝比奈の頬は引きつったものの、すぐに眉尻が下がった。
「……ついてこなくていい」
「だが……」
「いきなり隣歩いてたら変だろうが」
「別に構わないだろう。三宮には知られてしまったのだし」
「俺が構う。屋敷じゃ話しかけんな」
「菅原……っ」
二人きりでは滅多に会えず、屋敷で会えても不仲のふりで、朝比奈は相当何かが溜まっていたのだろう。まるで大好きな餌を目の前にして待てを命じられた犬のようだった。
「不仲を装えと言わないだけ、アンタにゃ気が楽だろ」
「それはっ……そうだが。もともと屋敷でもほとんど会えないだろう」
珍しく不満げな顔をする朝比奈が何だか少し幼くて、菅原は喉で笑った。
「だから。そのたまに出勤が重なったとき、俺を嫌うふりをしなくていいんだぜ? 重畳だろうが」
「……それは願ってもないが」
まだ納得いかない様子の朝比奈が面倒になって、先んじて脱衣所の扉を開ける。振り向いた先の朝比奈は複雑そうな顔をしていた。
「コイビトのお願いをきけたんなら、キスのひとつもしてやるよ」
自分からの接触をほとんどしないから餌になるだろうと思ったが、それでも朝比奈は簡単に頷かなかった。
「あれはお願いではなく命令の体だったろうが」
「めんどくせーなアンタ」
「なっ」
「……後で話そうぜ。俺はさっさと顔を洗って帰りたい」
「あ、ああ……」
菅原は呆れた息を吐きながら扉を閉めた。
あれは本当に面倒な男だ。にもかかわらず――
(……めんどくせーのに嫌いじゃないってんだから、俺もいよいよ気が狂ったな)
自嘲したつもりだったけれど、洗面台の鏡に映りこんだ菅原の笑みは、思いの外やわらかい微笑だった。