施設育ち菅原の朝菅

※菅原が施設育ち設定


 家族、なんてものの尊さを説かれると、あまりの不可解さに虫酸が走ったものだった。幼少期は特にだ。

「……まあ、長男だしな。両親も本心では望んでいるんだろうが」

 朝比奈は東雲に向かって苦笑する。東雲も曖昧な笑みを返した。

「親に恩返しする、って言うんなら、さっさと好い人見つけて結婚して幸せになるべきなんでしょうけどねえ」

 恩は返そうと思うが、結婚しようという気になれない。言って東雲は紫煙を吐き出す。
 たまたま裏庭に三人揃っての休憩中、東雲が同僚の結婚話を持ち出した。見合い婚だとかで、東雲が「朝比奈さんにも見合い話とか結構来そうっすよね」などと言い出したから、こんな妙な空気になっている。
 菅原は煙草を吸いながら、二人の話を聞き流していた。まったく無益な、くだらない話だ。真面目に聞いている必要などない。

「孫を抱きたいだろう親には悪いが……、俺は……な」

 朝比奈がちらりと菅原を見て、表情を和らげる。菅原はそれにきちんと気付いているが、何かしら反応してやる気が起きなかった。

「はいはい、ごちそうさまです。菅原さん以外を選びたくないって言うんでしょ」
「東雲っ」

 朝比奈は、はっきり言うのは気恥ずかしかったらしい。少しだけ顔を赤らめて東雲を咎めた。

「で、その菅原さんはどうなんすか?」
「……何が」
「や、ご両親に結婚しろー、とか言われないんですか。つーか、女の子から寄ってきそうですけど」
「いねえよ」

 菅原は短く切り捨てる。東雲も朝比奈も、目を瞬かせている。

「親はいねえ」
「え……」
「そういうことを言ってくるような奴はいねえよ」

 父親は菅原が産まれてすぐに出て行った。水商売の母親は家に男を連れ込んでは、幼い菅原の前で快楽に耽った。ろくな世話をされた覚えもないから、菅原の存在など見えていなかったに違いない。
 母親が連れ込む男の中には、菅原に暴力をふるう者もいた。二面性のある彼らは、決まって母のいない時に鬱憤の捌け口に菅原を選んだのだ。
 物心ついてから、痣の消えた日などほとんどなかった。時には骨を折られもした。死にかけたこともある。
 男女が虐待で捕まったので、菅原は養護施設に送られた。決して良いところとは言えなかったが、きちんとした食が保証されているだけ菅原にはマシだった。
 以来親の話は聞いていないし、姿も見ていない。
 だから菅原には、親はないのだ。

「それは……?」
「さあな」

 今更、その過去に関して何を思うこともない。すでにどうでもいいことだ。こうして一人で生きていける力を手にしているのだから。
 東雲は複雑そうに頭を掻いて、話題を全く関係ない食べ物の事に切り替えた。応じる朝比奈は心配そうにこちらを何度も見てくる。
 昔のことは話していて楽しいものでもないから、朝比奈にも話していない。しかし何かしらの深刻な事情を感じ取りはしたのだろう。菅原が親のことで悲しんでいると思っているのなら、とんだ濡れ衣だ。
 菅原は朝比奈に向かって、「馬鹿だな」と言うように嘲笑を向けた。
 菅原にとって親も家族も理解し難い言葉だった。言葉として知っていても、平凡な家庭も幸せな家族も得体の知れないものでしかない。両親というのは自分を産んだ人間たちで、母親というのは幼子の前で男のものをくわえこみ楽しむだけの人間、という認識しか持っていない――持ちようがなかった――から、家族愛だの無償の愛だの言われても知らない言語にしか聞こえないのだ。

(親に愛されなかったことが、どうして哀れまれるのか理解できねーんだから、悲しみようもない)

 煙草を携帯灰皿に押し付けてから、背中を木の幹に預けて目を閉じる。昨夜は仕事が長引いたので、少し眠い。
 親の話などをしたせいか、一瞬だけ夢を見た。
 広くない部屋の中で、恥もなく声をあげて腰を振る母親の夢だった。夢と言うより過去を見た、という方が正しいような気がした。

「菅原」

 朝比奈の声がすうと夢にまで入り込み、菅原の意識を呼び起こす。
 なぜだか少しだけ安堵したような心地で目を開ける。目の前には朝比奈がいて、東雲の姿はなくなっていた。

「疲れているのか?」
「……?」
「寝ていたぞ。十分かその程度か」

 菅原は内心瞠目した。ほんの少しの間、目を閉じていただけだと思っていたのだ。
「そうか」相槌を打って、軽く欠伸をする。中途半端に寝たせいで思考に靄がかかってしまった。
 朝比奈は目を柔らかく細めて、菅原の頭を撫でた。

「……家族って何だ」

 ぼんやりしたままぽつりと訊ねる。

「なに?」
「俺は知らない。たまにアンタが話すような家族なんて、異常に思える」
「……ごく一般的な家族だと思うが」
「その一般的ってのを、理解できない。最初にアンタみたいな優しさをくれたのは、間違いなく親じゃなかった」

 いくら記憶を遡っても、よみがえるのは喘ぐ母親の姿ばかりだ。優しさも愛情も、親からもらった覚えがない。

「……そうではないと思うが」
「あ?」
「亮次」

 急に名前を呼び捨てにされて面食らう。朝比奈が菅原を名前で呼ぶのは、覚えている限り初めてのことだ。
 驚くのと同時に、僅かだけ心の奥底が甘くしびれたけれど、菅原はそれに気づかない振りをした。

「その名前は、誰に貰った?」
「……さあな。母親とは思えねーけど……――」

 ゆっくり頭を撫でる朝比奈の手に、何かが想起された気がした。少しだけあたたかさを感じる、おそらくは記憶のかけらを。
 ――あれも、こんなふうに大きくて優しい手だった。

「……」
「菅原?」
「……父親だろうな。名前つけたの」

 ふいにそう感じた。
 朝比奈はひどく柔らかな眼差しで微笑む。

「記憶になくとも、そうやって優しさも愛情も、お前はもらっているんだろうと、俺は思うがな。少なくとも父親には、愛されていたんじゃないか?」
「……アンタの持論はどうでもいい。愛してたってなら、どうして――」

 どうして一緒に連れて行ってくれなかった。
 零れ出た言葉に、菅原は自分で驚いた。親を求めるような恨み言を言ったのは、これが初めてのことだ。

「……は、」

 ため息をついて、自嘲の笑みを浮かべる。

「ただの体面だろ」
「菅原」

 いさめるように呼ばれる。

「愛されていたわけがない。結局どっちも、ガキの世話なんて面倒だったんだよ」

 ずっとそうだろうと思ってきた。そうやって心の親に関する部分を、無意識に麻痺させてきた。だからこれからも麻痺したままでいい。一人で生きていける今更、必要のない部分なのだから。
 朝比奈は軽く息を吐いて、菅原の髪を梳いた。

「では、俺はお前が愛されていたと思っていよう」
「はあ?」
「お前が受け止めたくないなら、俺が預かっておくさ。老いてからでもいつでも受け取れるようにな」

 ずっとそばにいる、という宣言にも聞こえて、菅原は朝比奈から目を逸らした。嬉しさを感じたと悟られるのは癪だ。

「……死ぬまでアンタ預かりだろうな」
「それでもいいさ」

 朝比奈は笑って、触れるだけの優しい口付けを落とした。

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