ファンサービスとお遊び

 雷翔が邸に出勤する日と、水嶋の出勤が重なることは実は少ない。雷翔は水嶋や三宮から話を聞いて、それとなく日をずらしているからだ。というのも、水嶋が出ている日は大抵進藤も邸にいるからだった。
 水嶋の精神を砕くことに、進藤は利用できる。けれども実を言うと、水嶋が進藤と話していたり、進藤を見ている光景に出くわすのは、雷翔の精神に負荷がかかることなのだ。
 雷翔の心は、医者曰くほとんど病気らしい。当人にはそうまで狂っている自覚はないけれど、医者から安定剤を飲むように厳命されることもある。自覚がないので雷翔は滅多に従わないが。
 昨日もカウンセリングをサボり倒しているのがマネージャーにバレて病院に連行され、口うるさく薬を飲めといわれたばかりだ。進藤がいない邸で水嶋の姿を探しながら、雷翔は溜め息をついて頭を掻いた。自制ができているのだから、とやかく言われる筋合いはない。
 今日は珍しく、進藤が不在なのに水嶋が出勤しているらしい。これ幸いと構い倒そうと思って、雷翔は水嶋を探している。
 庭へ向かって伸びる廊下を歩いていると、前方に小柄なメイドの後ろ姿を発見した。何やら重いものでも抱えているのか、よろよろと危なっかしく歩いている。

「――なァ」
「ひゃあっ?!」
「……おいおい」

 水嶋の姿を見なかったろうかと思い声をかけた途端、メイドは足を縺れさせて盛大にこけた。
 ばしゃりという水音のしたほうを見れば、転んだメイドの先にポリバケツが転がっている。廊下に敷かれた絨毯の色が、歪な地図を描いて濃くなっていた。
 メイドが抱えていたのは、どうやら水の入ったバケツだったようだ。

「……お前、大丈夫かよ」

 倒れたままふるふる震えているメイドがさすがに心配になって、雷翔はメイドの傍らにしゃがんでもう一度声をかけた。
 雷翔の声に顔を上げたメイドは雷翔を認識すると、ずいぶん可愛らしい花顔を真っ赤に染め上げた。

「え、あっ……ス、stellaのレイ……?!」
「あァ、俺んこと知ってんだ。――つーか、お前男か」

 メイド服を着ているから女だと雷翔は思っていたが、よくよく見ると少年の体つきだ。少年は恥ずかしげに頷いて、上目遣いに雷翔を見ている。
 少年の明け透けな好意の視線に、雷翔は唇をにんまりつり上げた。蠱惑的な笑みだ。少年の花顔がさらに赤くなっていく。
 足音が背後から聞こえてきたのは、雷翔が少年の好意に単なるファンの感情とは言いがたいものを見つけたのと同時だった。

「……またか、中川」
「あっ……ご、ご主人様……」

 少年は中川というらしい。中川は慌てて身体を起こした。三宮は呆れ返っているのか、中川を見下ろす視線が冷たい。

「お前、これで失態は何度目だ」
「そ、その……」
「なに。こいつ万里ちゃんが呆れるくらい失敗してんの」
「どういうわけか庭で蔦に絡まったりしてる。何度もな」

 本当にそれはどう言う状況だ、と雷翔が笑うと、中川が細い身体をさらに縮めた。申し訳なさそうというよりも、ちらちらと雷翔を窺っている様子からは、雷翔にまで呆れられないかと不安がっているように見受けられた。

「あー……万里」
「何だ」
「今回は俺のせいかも」
「あ?」
「彬ちゃん知らねえかなって思って後ろから声かけたら、驚いてスッ転んだから」
「助け舟を出してやるつもりか、気違いが」
「ひでえ言い草。助け舟のつもりもねえなァ。何があったかを説明しただけだから」

 からから笑いながら三宮を見上げていると、三宮は少し黙考して雷翔に命を下してきた。

「だったら連帯責任ってことで、中川とここ片付けろよ。あと、水嶋ならもう帰った」
「あぁ?! なんで!」
「ライブが近いからって言ってたぞ。ま、そりゃ建前で、お前から逃げたんだろうがな」

 意地悪く言う三宮に、雷翔はいらだちに任せて舌打ちをする。

「っだよ、せっかく進藤の野郎がいねーのに……くそ。――つか、ライブ近いのはマジだけどな」

 だから当日になってステージに上がれないような精神状態になられては困るからと、マネージャーに病院まで連行されたのだ。処方された薬は自宅のテーブルに投げ置いたまま放置している。

「それは把握してる」
「なんなら万里ちゃん、ライブ来いよ」
「残念ながら身体が空いてねえんだ」
「残念がってねえだろ。あー……くそ。ムカつく。せっかく思いっきり彬と遊べると思ったのによ」
「そりゃ残念だったな。ちゃんと掃除しとけよ」
「はァあ……是的」

 一気に気分が萎えた。雷翔は頭を掻きながら溜め息をつく。
 中川が心底申し訳なさそうに謝ってきたのは、一通り惨事の片付けが終わってからだった。

「あ、あの……ごめんなさい。僕のせいで、レイ……さんにまで掃除させちゃって……」
「驚かしたの、俺だし、それは構わねえけど。――中川、だっけ」
「は、はいっ。中川晶です」
「アキラ? うちの彬ちゃんと同じ名前か」
「字は違いますけど、そうです」
「ははァん。それで俺が彬って言うたび反応してたわけか」

 雷翔が水嶋の名前を口に出す都度、もじもじと俯いて目元を赤く染めていたことを指摘する。中川は恥ずかしげに顔を伏せた。
 身長差があり過ぎて、中川が少し顔を俯かせると、雷翔からは彼の表情が窺えなくなる。それがなんとなく面白くなくて、雷翔はずいぶん低い位置にある中川の顎を取って上向かせた。中川の顔と身体が、どうやら緊張から強張った。

「あ、の……だって、レイさんに僕の名前、呼ばれてるみたいで……違うってわかってても、嬉しくて……」
「中川ちゃんさァ。stellaのファンだろ」
「あっ……はい。一番好きなのはレイさん、です」
「は、嬉しいこと言ってくれるなァ。――俺のこと、ただ好きなバンドのギタリストってだけ?」
「え……っ」

 腰を屈めて顔を近づけてやれば、中川はこのまま顔から発火するのではないかというほどに赤くなった。

「俺のこと、ソウイウ意味で、好きだろ」
「……っ、あの、それはっ」
「図星なんだ?」
「……ご、ごめん、なさいっ……」

 中川のファンとしての好意の中に見つけたのは、雷翔に対する恋愛感情だった。
 薄く笑うと、中川は可愛らしい顔をくしゃりと歪めて、大きな眸に涙を溜める。

「何で謝ってんの」
「だって……顔も名前も知らないような僕に、そんなふうに思われてるなんて、気持ち悪いはずだから……。それにレイさんは水嶋さんのことが、好きだし……」
「俺は確かに彬を愛してるけど、中川ちゃんの好意を迷惑だとか気持ち悪いとかは思わねえなァ。俺らの誰かに惚れてるファンっていうのは、中川ちゃんだけじゃねェし」

 作品やライブ、メディアを通じて、遠く華々しい世界の住人に恋をしてしまう人間というのは、少なからず存在する。憧れを通り越すだけなら無害なものだ。ストーカーや嫌がらせといった実害に発展しなければ、ファンからの恋愛感情は雷翔にとってどうでもいいことだった。

「報われる見込みのない俺を好きでいたいってんなら、好きにすりゃいい」
「……はい」
「――まァ、」

 言って雷翔は唇が触れる寸前まで中川に顔を近づける。中川の大きな眸に、自分の姿が映り込んでいるのが見えた。

「サービスくらいは、してやってもいいけど?」
「サー、ビス……?」
「こういうこと」

 妖しく笑んで、雷翔は中川の唇を奪った。中川は驚いたように目を見開いていたが、抵抗するでもなく雷翔の舌を受け入れている。
 中川の息が続かなくなるまで、雷翔は執拗に中川の口内を犯した。歯列をなぞる、口蓋を舌先で撫でる、そのいちいちに中川はまるで情事の最中のように甘く喘ぐ。
 中川の好意を踏みにじる最低なことをしている、という自覚はある。けれどそれは「一般的に見て」という認識であって、雷翔に罪悪感はない。
 雷翔にとって大切なのは水嶋だけだ。他の人間の心がどうなろうが、知ったことではない。雷翔に対する水嶋の態度と同じようなものだが、相手の好意を一応は受け止めている自分のほうがまだましだと雷翔は思っている。

「んうぅっ……」
「……は。なに、腰砕けた?」

 唇を離すと、中川がその場にくずおれる。雷翔はそれを抱えて防いでやりながら嘲笑した。抱きとめていると、硬いものが足に当たるのだ。

「キスだけでこれかよ。ガキのくせに敏感なのか淫乱なのか。どっちにしろ救えねーなァ、中川」
「あ……あ、だって……レイさんに、こんなことされて嬉しいから……」
「はァ? 俺を好きだって気持ち踏みにじられてたんだぜ? それで嬉しいって、馬鹿じゃねえの」

 それでもキスされて触られて嬉しい、と抱き着いてくる中川を、雷翔は理解できなかった。
 もし水嶋が雷翔の好意を踏みにじったら、雷翔は誰の目があろうともその場で水嶋を暴行して犯す。水嶋に限っては、自分の気持ちをないがしろにされることが許しがたい行いだからだ。
 他者がどれだけ雷翔の心をないがしろにしようとも、それは相手が愚かになるだけだからまったく構わない。だが水嶋だけは。

「……ま、いいけどな。好きにすりゃ」
「あっ……」

 するりと首筋を指の背で撫で上げてやると、中川が期待しているような声で喘いだ。見上げてくる双眸は、明らかに雷翔の熱を望んでいた。

「うちの彬ちゃんも帰っちまったっていうし、せっかくだから遊んでやるよ」

 わざと酷薄に笑っても、中川に灯る熱は揺らがない。救いようがないな、と内心呆れながら、雷翔は中川を抱き上げて目についた部屋に入った。

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