I - Giocoso

 雷翔は目の前で神経質に眉をひそめる眼鏡の男を見て、嘲笑うかのように唇をつり上げた。

「もう少しちゃんと着られないのですか」
「あいにく、堅苦しいの嫌いなんだよ」

 授業を終えて大学を出た雷翔の前に、橘と名乗るこの男は現れた。いわく、自分は三宮グループの関係者で、主人――三宮財閥のご当主様――が雷翔に会いたがっているという。
 水嶋と違って自分はほとんど女にしか好かれないのに、物好きなことだなと思いながらも、雷翔は橘の誘いに頷いた。会うだけならいいか、と気楽に構えていたのと、大財閥の当主に気に入られておけば何かと便利かもしれない、という打算があったからだ。
 三宮の邸に到着するなり、橘は雷翔を客室に連れて行き、着替えを渡してきた。それがいま雷翔の着ている燕尾服だ。
 雷翔は真っ白いワイシャツの胸元を大きくはだけさせ、首には私服の際つけていたネックレスがじゃらじゃらとぶら下がっている。ネクタイに至っては結んでさえいない。両耳にもこれでもかというほどシルバーのピアスが輝いていて、左の耳朶からは十字架を模した大きめの飾りが垂れて揺れている。

「いまからご主人様に会うのですから、せめてボタンはしめなさい」
「つーか、どうして俺がこんなカッコしなきゃなんねーわけ」
「――あなたに、この邸で執事として働いてもらうからですよ、劉」

 不可解な橘の発言に、雷翔は眉をひそめる。

「……あァん? 俺ギタリストなんだけど」
「月に何度かの出勤で構いませんし、もちろん報酬も払います」
「聞けし」
「悪い話ではないでしょう。――ここには水嶋も顔を出しますよ」

 誰かにかしずくなんて冗談じゃない――。とっとと会って嫌われてしまおうと考えていた雷翔の思考が一瞬、停止した。碧眼を見開いて橘を見下ろす。

「彬ちゃん、いんの」
「今日も出勤しています」
「――どうして彬が執事なんてしてる。あの傲慢野郎が誰かにかしずくわけねーだろ」
「それは当人から聞いてみては。――行きますよ。この際、着衣の乱れはもう言いません。ご主人様はお忙しい方ですから、お待たせすることはできませんし」

 雷翔は、踵を返し客室を出る橘のあとに続く。広く長い廊下を歩きながら、雷翔は零れ落ちてきた右側頭部の金髪を撫で付けた。
 インテリかと思いきや、案外がっしりとした背中の橘は、どうやら雷翔が水嶋を愛していることを知っているらしい。でなければ水嶋を餌には使わないだろう。
 水嶋への懸想は隠し立てしているわけではないから知っていてもおかしくない。stellaのファンの間では知れ渡っていることだ。ライブ中に高ぶり過ぎて水嶋にディープキスをしたことだって何度もある。一番大切なものは何かというインタビューで、水嶋だと答えたこともあるくらいだ。
 ただ、この男がビジュアル系とも言われるstellaのファンだとは考えにくいから、わざわざ調べたのだろう。まったく、ご苦労なことである。
 無言のまま歩いているうちに、橘が一つの扉の前で足を止めた。どうやら目的地に到着したらしい。
 橘は扉をノックして、中に声をかける。

「ご主人様。劉雷翔を連れてきました」

 入れ、と中から返答があった。橘は静かにドアを開けて雷翔に入室を促し、自分はそのまま立ち去っていった。
 広々とした部屋にはところ狭しと本棚が並んであって、どの棚も書籍やファイルできっちり埋められている。
 本棚に囲まれたデスクでパソコンの前に座っている若い男を見て、雷翔は、ああ、同類だな……と即座に感じ取った。この男も人を操ったり虐めたりして楽しむタイプに違いない。

「――よく来たな、劉雷翔」
「どーも、三宮万里サン」

 ずいぶん軽い挨拶だったが、三宮は特に気にした様子もない。面倒くさくはなさそうだ、と雷翔は笑みを深めた。

「俺を執事にしたいって聞いたんだけど、それはまたどうして?」
「後継者を育てようかと思ってな。めぼしい奴を執事として近くに置いて、教育してる」
「……俺もそのめぼしい奴だって? 冗談」
「冗談で言ってねえよ。お前、音楽以外にも才能あるんだろう」
「芸術方面だけにな」
「――芸術一家のサラブレッドか」
「係呀(そっ)! しっかり調べてんじゃねえの」

 雷翔の父は高名なジャズピアニストで、母親はバイオリニスト、母方の祖父は楽器職人、祖母は舞踊の指導者だ。父方の家族には音楽家を始め画家、彫刻家、女優俳優などがいる。

「目を付けた奴の身辺調査は当然だろう。――お前がいかれてんのも承知済みだ」

 人の悪い笑みを浮かべている三宮を、雷翔は鼻で笑う。

「承知してんのに候補に突っ込もうってか。あんたもたいがい、いかれてんじゃねえか、万里ちゃん」
「――……その呼び方はやめろ。お前の才能は芸術以外にも伸びると思うがな」
「ふゥん? ずいぶん高く買ってくれたもんだ。――だとしても、俺は音楽以外で生きていく気はねえよ」

 生まれたときから音楽が側にあった。ジャズを奏でるピアノの音であったり、クラシックを歌うバイオリンの音色であったり。
 常に音楽に包まれていた雷翔にとって、奏者として生きるのは至極当然のことだったのだ。奏でるのはもっぱらエレキギターだけれど、慣れ親しんだ曲たちをロックテイストにアレンジしてはライブで披露している。
 精神に異常をきたしているいまでも、自分を育んでくれた音楽が好きで大切なのは変わらない。

「あんたの後継者になる気はねえが、執事はやってやったっていいぜ。――うちの彬ちゃん、いるんだろ」
「ああ」
「どうやって、あの惚れてる男以外路傍の石くらいにしか思ってねえクソ野郎をかしずかせたんだよ、万里」
「執事になってやると言うのなら、まずその呼び方を改めろ」

 雷翔は気に入った人間は誰彼構わず名前で呼ぶ。雷翔のことを調べたのなら当然理解しているだろうに、三宮はお気に召さなかったらしい。呆れたように見上げてくる。

「堅苦しいこと言うなよ、ばーんり」

 あえて反抗してやると、三宮は溜め息をついて立ち上がった。そうして、来い、と顎をしゃくって続き部屋への扉を示す。雷翔は「Yes, Sir.」と軽く返事をして三宮の背中を追った。
 書斎から続く部屋には大きなベッドがあった。天蓋つきだ。口笛を鳴らすと、三宮は肩越しに振り向いて鬱陶しそうに眉を顰める。

「俺の趣味でこうなわけじゃねえ」
「じゃあベッド変えりゃいいだろ」

 指摘したが、そこまで天蓋を疎んじているわけではないと返された。

「――で? 俺を寝室に連れ込んでどうするって?」
「仮眠室だ」
「仮眠室ね。贅沢なことで。で、どーすんだよ万里」
「採用試験をする」
「採用試験? お前が呼んだのに?」
「形式的にどいつにもやってる」
「仮眠室で?」
「ベッドがありゃあ、どこでもな」

 雷翔へ向き直った三宮はにやりと笑う。どこか蠱惑的なそれに、雷翔は舌なめずりをして同種の笑みを返した。
 雷翔は、貞操観念というものを持ち合わせていなかった。

「やらしい試験なわけだ」
「俺に忠誠を誓えるかどうかを見るだけだ」
「どうやって?」
「――こうやって」

 三宮は雷翔の腕をとって、雷翔の身体をベッドに放り投げた。雷翔はされるがまま、おとなしくベッドに倒れ込む。
 身体を反転させて仰向けになると、三宮が覆い被さってきた。そのまま三宮は雷翔の唇を奪い、舌を絡めてくる。

(――慣れてんなァ、万里ちゃん)

 性感を煽るように、三宮は雷翔の口内を犯す。雷翔は他者に支配されるのは嫌いだったが、三宮の戯れに乗ってやってもいいか、と思い始めていた。
 こちらからも舌を動かし、キスをより深いものへとしていく。三宮の琥珀の目が面白げに細められた。が、雷翔の手が彼の尻を撫でるとすぐに不愉快げな顔をして顔を離してしまった。

「っは……。何でやめちまうかな」
「てめえ、どこ触ってんだ」
「ンー、万里ちゃんの尻?」

 言いながら両手で揉みしだく。三宮は舌打ちをして顔をしかめた。

「揉むな」
「感じねえ?」
「感じるわけねーだろ」
「彬ちゃんはこれでナいてくれるんだけどなァ」
「――水嶋が?」

 面白いことを聞いた、と三宮の顔に大書される。間違いなく試す気だ。なんとなく詰まらなくて、雷翔は付け加えた。

「ただし、俺がボロッボロにしてやって、犯してる最中にだけど」
「ボロボロね」
「係呀。さすがに商売道具だから、顔は殴らねえけどな」
「ああ……腹だの背中だのにあった打撲痕、あれお前か」
「――見たんだ?」
「あァ」
「は……あのビッチ。傷物にしときゃ、他の奴と寝ねえと思ったんだがなァ……」

 いらだちが破壊衝動に変わっていく。無性に暴力を振るいたかった。水嶋にだ。水嶋以外を痛めつけたところで、気が晴れないのは経験済みだ。
 それでも知らずのうちに指先に力が籠っていたらしい。三宮から「いてーよ」と苦言が飛ばされた。

「あァ……わりィ、万里ちゃん」
「だからその呼び方……まあいい。水嶋が自発的に俺に足開いたと思うのか」
「思わねェなァ。でもさんざっぱら犯してるから、快楽に弱くなってんだろ。最終的には喜んで犯されたはず。態度にゃ出さねえだろうがな」

 三宮は答えなかったが、面白げな表情を見るに、おおむねその通りだったのだろう。
 雷翔はまた三宮の尻を揉んで、舌先で三宮の顎をなぞった。

「彬ちゃんのナカ、よかったろ」
「それなりにな」
「あれ、別に俺が仕込んだわけじゃねーんだよ」
「――ほう」
「最初からああなんだぜ? 嫌がってるわりにうまそうに男をくわえこむ。あいつはマサハルとかいう男を抱きたがってるみてーだけど、彬は天性のネコだ。もう突っ込むだけじゃ満足できなくなってんだろ」
「そういうふうに仕込んだのは、劉、お前だろう」
「まァな。俺以外に突っ込まれてもよがるような淫乱になっちまったのは計算外だが。――さて、採用試験の続きしようぜ、万里ちゃん」
「……っ劉」

 雷翔は三宮の腰を掴んで彼を仰向けに倒し、三宮が体勢を整える前に覆い被さった。悔しげな色を表情ににじませる三宮に、雷翔の機嫌が上向く。
 三宮の中心に手を伸ばしながら、雷翔は淫靡な笑みを浮かべた。女はたいてい、これで雷翔の思うがままになる。三宮が同じように陥落するとは些かも思っていないけれど。

「まさか、俺に突っ込もうなんて思ってたんじゃねえよなァ。俺とお前なら、どう考えても俺が上だろ? 俺のが背ェ高いし、ガタイもいいし」
「ふざけんな」
「……万里ちゃん、処女か」
「…………違ぇ」

 三宮は牙をむくようにして唸る。よほど不本意な状況で処女喪失をしたらしい。

「だったらいいじゃねえか」
「だからよくねえって言ってんだ。退け」
「やだね。とりあえず、セックスすりゃあいいんだろ? 理性ぶっ飛ぶまで気持ちよくしてやるから、楽しめよ、万里……」
「っ……てめえ」

 耳朶を噛みながら言うと、三宮の身体が小さく跳ねた。それなりに開発された身体らしい。手間が省けるな、と雷翔は内心ほくそ笑んだ。

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