バンパイヤ 2.ヒトであるように(2) 獣に変身する不思議な男を拾ったあの夜。 朝目覚めてバーナビーと対峙し、もともと動くのすら無理のあった虎徹は再び意識を失い、その後24時間程目を覚まさなかった。 心配したとおり、虎徹は高熱を出してしまい、それは恐らく腕の深い傷のせいだったのだろう。 甲斐甲斐しく世話をしてやって、やっとのことで目を覚ましたと思ったら、その男は「出て行く」と言ったっきり本当に出て行きそうになり、すったもんだの挙句にバーナビーが殴り倒して強制的にベッドに戻した。 自分の状態を把握したのか、険のある金色の瞳でバーナビーの一挙一動を見守っていた男だったが、その世話の間に名前を聞きだすことには成功した。 鏑木虎徹。 それがその男の名で、出身は極東圏の日本だという。 何処から来たのかとの問いには、日本から、との後全く答えず、バーナビーは手詰まりになる。 やがて体力を取り戻した3日目、虎徹は徐にベッドから這い出すと四つんばいになりバーナビーを鋭く威嚇した。 それまでも何かしら、こちらの隙を伺っている、警戒されているとは思っていたが、まさか攻撃してくるとは思わず、少し油断したのもあって正直びっくりした。 金色の瞳に亀裂が入ったような光が宿り、バーナビーが制するとびりとパジャマが破れる音がした。 虎徹には来客用のゆったりとしたパジャマを着せていたが、それの手足の部分が裂け、どうやら手先の部分が獣化したのが解った。 そして耳が尖った獣のそれになり、ふさりとした尻尾が覗く。 ずるりとズボンが不機嫌そうに動く尻尾でずりさがり、半裸の状態になった虎徹が物凄い勢いで飛び掛ってきた。 咄嗟に両手でガードしたが、その力は尋常ではなかった。 所謂半獣化状態なのだが、獣とない交ぜになったその状態でも、ヒトの数倍は怪力になるらしい。 そう悟った瞬間バーナビーは己のハンドレットパワーを発動させていた。 Five minutes One hundred powerとは、その名の通り5分間だけ身体能力を100倍発揮できるという、肉体強化系最高峰のNEXTである。 このNEXTを前に、ヒトの数倍は怪力になったであろう虎徹もたまったものではなく、瞬時に捻じ伏せられ、徹底的に叩きのめされた。 その時に彼の目に宿ったのは恐怖でも畏怖でもなく、ただ純粋な驚きと、何故か奇妙な喜びだったのをバーナビーが知ることになるのはもう少し先になるのだが、兎に角徹底的にやっつけた。 虎徹をこてんぱんに伸して屈服させ、その身体を引きずって鋼鉄製の首輪を嵌めてやった。 こんな危険な生き物を野放しにしておくわけにはいかない。 またヒトに戻ったら、首輪は外してあげます。 でも、中途半端に獣だったり、全部獣だったりした場合には、首輪必須ですから! と叫ぶと、虎徹はきゅーんきゅーんと甘えた鳴き声を発てて服従のポーズを示した。 それは、平伏してバーナビーの足の甲を舐めるという卑屈な行為でもあった為、バーナビーは酷く面食らうことになってしまった。 「ちょ、貴方一体何してるんですか」 「マイッタ、コウサン・・・、お前、ツヨイ・・・」 そう、たどたどしく言葉を紡ぎ、見上げてくる。 その金色の瞳には、すでに敵意も険もなく、ただ、潤んだように光っていた。 「マケタ、ごめんなさい、もう逆らわない、お前がリーダーだ。 ミトメル、ダカラ」 「もう、暴れませんか?」 バーナビーが聞くと、平伏したままこくんと頷く。 バーナビーはやれやれと、身体を離した。 それからそろそろと後退ると、安全な位置を確保して虎徹にベッドに戻るように命じる。 虎徹は言われたとおり大人しくベッドに戻ると、少し重そうに首輪の鎖を丁寧に伸ばして絡まらないようにした。 それから布団にもぐりこみ、コレデイイ? と伺う。 バーナビーは頷いて、椅子をもってくると、ベッドから少し離れて腰掛けた。 銀黒の、柔らかそうな大きな耳がぴくぴくしている。 あれ、なんだか可愛いな?とバーナビーはふと思ってぶるぶると首を振った。 その後、バーナビーは淡々と虎徹に質問をした。 虎徹はうって変わって大人しくバーナビーの質問に答え、解った事は虎徹は日本から東海岸圏へ渡航した後、己の一族と共に東海岸圏の最も東側の山中深く、東洋街へと落ち着いたと事。 しかし、それに不満を感じた虎徹は独り仲間を離れ出奔してきたのだそうだ。 日本の天宮山地を故郷とした虎徹らは、夜啼き一族と呼ばれ、村民全てが獣化NEXTだったらしい。 それは興味深い事だとバーナビーは思った。 何故なら、NEXTが遺伝するということを、今まで聞いたことが無かったからだ。 NEXTは今から46年程前に突然現れ始めた、特殊な能力を持つ新人類とされており、それ以前は存在しなかったと思われていた。 しかし、虎徹の話を聞く限りそうではないという。 事実、虎徹の一族は、数百年以上昔から脈々とその血を伝えて来ており、祖先は全て完全に獣化できたと言うのだ。 それと、虎徹の変身する動物は犬ではなく狼だった。 それもニホンオオカミといい、日本では既に絶滅して久しい、非常に稀有な狼でもあったのだ。 夜啼き一族は代を経るごとにその血を弱め、今では完全に獣化できるものは稀になったと言う。 虎徹自身の完全獣化にも条件があり、それを満たさないと出来ない事。 普段は、このように半獣の姿、古来の伝承で言うところのライカンスロープ(狼人間)になってしまうという事を、虎徹はぼそぼそと語った。 「満月になんないと、駄目」 「満月。 伝承どおりですね・・・」 バーナビーが顎をしゃくり、虎徹がきょろりと伺うようにバーナビーを見る。 その動作にあわせて、耳がぴょこぴょこと前後に動いた。 布団の端っこの方がもこもこしているので、どうやら尻尾も振っているらしい。 鋭い爪の生えた手が、布団を少し持ち上げて、なんだかもじもじしている。 バーナビーはため息をついた。 「それ、自分で解除すること出来ないんです?」 「え?」 「ヒトに戻れませんか?」 「あー、ウン・・・」 暫く虎徹は眉間に皺を寄せて目を瞑っていたが、やがて手の爪が短くなり、手の甲から銀黒の毛が消失していく。 耳はするすると縮んで行き、髪の毛の中に隠れた。 やがて開かれた瞳は光を反射する事がなく、ただ稀有の琥珀の瞳が静かに自分を見つめていて、それはヒトのものに相違無かった。 「ごめん、これでいいかな」 「半獣化してると、言葉もたどたどしくなるんですね」 「あー、うん、そうだな」 バーナビーは立ち上がって、虎徹の首輪を外してやった。 「生体認証なんだ?」 「そう。 僕の指紋で外れます」 「外しちゃっていいの?」 「今は人間でしょう?」 苛々とそういうと、再び虎徹はゴメンと謝った。 「おま、お前は、・・・、俺をヒトとして扱うんだな。 俺、本当は獣だぞ。 どっちつかずなら、獣になりたいと思って、いた」 「貴方のそれは、NEXTです。 NEXTはヒトに決まっています」 バーナビーはそう答えた。 そうだ。そうでなくては、僕自身だって。 しかし、虎徹は自虐的な笑みを唇の端に浮かべ、それから小さく嘆息した。 「俺が怖くないか。 気味悪くないか。 ヒトだとどうして思える? 遠ざけたいと思わないのか?」 「別に」 バーナビーも少し投げやりな口調で言う。 それから随分と長い沈黙があった。 虎徹はじっと自分の親指の爪を眺めていて、やがて自分の喉に左手を這わす。 右手の傷はここ3日で驚くほど綺麗に治りつつあって、・・・それでもその傷は腕にぐるりと無残な痕を残していた。 「俺はお前を試した」 唐突にぽつりと言う。 バーナビーはえっとなった。 「お前の前に俺を飼っていたやつは、俺を罠に嵌めて鎖に繋いだんだ。 こんな首輪を嵌めて俺に服従を強いた。 大嫌いだった。 だけど、あいつは巧妙に俺に自分の言うことを聞く様に仕向けて、俺は馬鹿だからまんまと乗せられて、ヒトに戻ったらもっと酷い目に遭わされた。 この腕、どうなってたと思う?」 不意にそう聞かれて、自分を見つめる金色の瞳にたじろいだ。 疲れたように虎徹は笑い、バーナビーはその時始めて虎徹の身体が小刻みに震えているのを知った。 「ソイツは俺の腕に、鉄の棒を通したんだぞ。 ドリルでこうやって穴開けて、針金で鎖に繋いだんだ。 やめてくれって叫んでも駄目だった。 お前は変身するから。 形が変るから。 首輪でも手錠でも意味が無いって言ったんだ。 ホントは首に穴あけて針金通してやりたいって笑いながら言ってた。 でも首だと死ぬからって。 当たり前だ、俺を何だと思ってんだ」 絶句するバーナビーに虎徹は更に酷いことを言う。 「ある日俺はもう耐えられなくなったんだ。 どうにでもなれって思った。 だから俺は俺の腕を食いちぎった。 痛かったよ。 自分の腕を食みながら、涙が零れた。 憎くて憎くてたまらない、だけど逃げ出す事しか出来なくて、俺は泣きながら自分の腕を咥えて逃げ出した。 畜生、人間になんて二度と戻らないって」 「う、腕、どうしたんですか・・・」 そっと手を伸ばして、傷跡に恐る恐る触れる。 その仕草に虎徹はたじろぎ、そしてバーナビーの目から零れ落ちた涙に驚愕した。 「お、おい、なんでお前が泣く?」 「わ、判りません」 ぽろぽろと涙を零すバーナビーに、本当にわからないといったようにおどおどと、虎徹は顔を寄せる。 いつしかバーナビーは虎徹の横たわるベッドの横に腰掛けていたが、身を乗り出してその右手を握っていた。 「でも、貴方の話を聞いていて、本当の事なのだと思ったら、泣けてきて。 酷い。 今の時代にそんな酷いことをする人間が存在するなんて。 確かにNEXTは、恐れられたり忌避されたりすることがあります。 それで惨い目にあった人を僕は沢山知っている。 だけど、貴方のはその中でも更に酷い。 ありえないです」 「お前優しいんだな」 「お前じゃなくてバーナビーです。 それで? 貴方はその腕を後からくっつけた?」 うんと、虎徹が頷いた。 「逃げたあと、暫くしてからくっつけてみた。 俺さ、怪我には滅法強いんだ。 だからくっつくんじゃないかって思ってやってみたら、まあなんとか。 でも狼の姿をしてると結局前足になるから使うだろ? 庇ってもどうしてもそこに力入っちゃうからさ、傷が中々癒えなかったんだ。 バーナビーが俺を保護してくれて助かった。 本当はとても感謝してたんだ」 でも、と虎徹は言う。 「俺の中に流れる血の半分は獣だ。 獣には獣のプライドがある。 俺は一度ヒトに酷い目に遭わされて、無理矢理納得してないのに主人を決められて服従を強いられた。 お前は俺の恩人だけれど、お前をリーダーと認めるには戦って見極めるしかない。 だからお前に俺は挑んだ。 いきなり恩を仇で返すような事をして済まなかった。 でもお前は強い。 俺はお前が俺のリーダーであることを許す。 いや、俺の主人であって欲しい。 駄目だろうか」 「主人・・・、主人って」 混乱する頭でバーナビーは思う。 「ナハトヴァには掟があって、自分の命を救った相手には恩返しをしなきゃならない。 どっちにしろ、俺で出来ることがあるのなら、バーナビーにはなにか報いようとは思ってた。 でも俺馬鹿だから、何をもってすればお前に報えるのかが判らない。 俺のリーダーになってくれなくてもいい。 教えてくれないか?」 すでに涙がひっこんでいたバーナビーは頭を巡らす。 この男の出自である 夜啼き一族(ナハトヴァ)については良く判らないことが多い。 しかし、明らかに彼はNEXTに違いない。 変身系NEXTが存在するのは知っていたが見るのは初めてだったのだけれど。 さてどうする。 この状況は密入国だ。 東洋街は遠いけれど、家族がいるのなら、渡航証明書や戸籍は取り寄せられるだろう。 正式に手続きして、シュテルンビルトの国民にすれば話が早いのだが、この時バーナビーは非常に良くない事を思い出していた。 シュテルンビルトには、ロトワング教授がいる。 つい最近、シュテルンビルトに亡命してきたNEXT研究の第一人者だが、この男には暗い噂が付きまとっていた。 『変身人間に対する研究』 その研究を読んで見た時に、バーナビーは少なからず衝撃を受けた。 ロトワング教授は、NEXTの出現が46年前が最初に確認された例であるという、現時点の見解に意義を唱えていた。 古来から伝承されるように、半人半獣の半神、吸血鬼、狼男、そういった者が本当に存在していて、それは現NEXTとはまた違った、ルーツを持っているのではないかというのだ。 特に変身人間というものにロトワングは固執しており、実際にそういった能力を持つ者を切り刻んだというような暗い噂も耳にしていた。 それでもそれを黙認しているのは、バーナビーの義父であり、現シュテルンビルトのヘルシャーであるアルバート・マーベリックが、ロトワングをこのシュテルンビルトへ召還した本人でもあったからだ。 マーベリックのシュテルンビルトへの影響力は非常に大きく、多少不審に思ったとしてもそれを表で言うことは憚られる程だった。 バーナビーも、ロトワングは明らかにNEXTに対していい感情を持っていない、むしろ脅威に、シュテルンビルトにとって不穏の種になるのではと危惧していたが、結局マーベリックに意を唱える事は出来なかった。 ただ、距離を置くと言う消極的な抗議をするのが精一杯だったのである。 「・・・・・・」 嫌な予感がする。 この男は、あのマッドサイエンティストが執拗に狙っている所謂変身人間そのものではないか。 もしこれが知られたら、この男は今まで会ってきた酷いことより更に酷い目に会わされるのが目に見えていた。 腕ににドリルで穴を開けて、逃げられないように鎖で縛り付けておくだなんて。 それを聞いただけでも恐ろしいのに、ロトワング教授ならそれ以上の事をするだろうという奇妙な確信があって総毛立った。 どうしよう、どうすればいい? これをどうしたら保護出来る? 不意に難しい顔で黙り込んでしまったバーナビーに、虎徹は「?」と顔を摺り寄せ、突然べろりとその頬を舐めた。 「ひゃっ?!」 慌てて顔を抑えて跳び退り、まじまじと虎徹を見下ろすと、彼はベッドの中で、屈託無く微笑んでいた。 「どうした? バーナビー。 お前凄く美味しそう。 柔らかくて、いい匂いがする。 ヒトなんてどれもがのっぺりして不味そうだと思ってたけど、お前は違うな! 強い上に、美味しそうだなんて凄い。 柔らかくて白くて美味そうで、ウサギみたいだな」 それから虎徹はいいことを思いついたと、手を打った。 「バーナビーは呼びにくいから、今度からお前の事バニーちゃんって呼ぶな!」 「はあ?!」 バーナビーは抗議の叫び声を上げたが、虎徹は笑顔で無視する。 いつの間にかまた耳が狼のそれになり、しどけなく顕になった両足の間に柔らかそうな銀黒の尻尾が生えていて、夢中になってぱたぱたと振りまくられていた。 [mokuji] [しおりを挟む] Site Top ←back |