パシフィック・リム <4>相方の条件(2) 今日のメニューはビーフストロガノフとポテト、トマトスープとコーヒー付。 昼の休憩時に虎徹は再び食堂で、気のない風にポテトの残骸をフォークで突きつつ行儀悪くコーヒーを啜っていた。 勿論先程まで考えていたことの続きを考えていた訳だが――。 「どうしたんだ、虎徹」 行儀が悪いぞ、と突然声が上から降ってきて虎徹は振り返った。 にっと笑う。 「なんだ、おっかさんみたいだなお前」 「食べるのか食べないのかはっきりしろ、って母ならいうだろうな」 「今日はオリガ士官いないんだ」 「ああ」 ユーリは顎で司令部のある方を指した。 「斉藤氏とロトワング教授も呼ばれてたから最終作戦についてだろう」 そっか。 虎徹は敢えて最終作戦の内容を聞かない。 自分にバディが出来るまでは誰も話さないと知っていたからだ。 コーヒーを一口啜る。 「バーナビーとの相性はどうだ?」 自分の前に腰かけて昼食を取り始めたユーリが不意にそう聞いてくる。 まあ聞かれるだろうなあとは思ってたので虎徹は「うーん」と言った。 「ブレイン・ハンドシェイクのシミュレーター起動をどーにも指令が許可してくれなくてさあ。良く判んないんだよな」 「まあでもシミュレーターのものは疑似的なものだから、実際のイェーガー搭乗時のシンクロとはまた違うし――」 自分たちのような一度でもバディを得た者にはなんとなく直感で判る部分があるだろう? という。 「まあ虎徹はあれだ、最初から最良の相手が居たから違うのかな?」 「そんなことはない。確かになんとなく判るさ。少なくとも見せて貰った十二人の中から選べっつんならバーナビーがデータ上でも最良だと思う。肉体的にもNEXTの数値からしても」 だが・・・・・・。 ユーリは顔を曇らせた虎徹を勝手に解釈したらしく、そんなに最良に拘らなくてもいいんじゃないかと言った。 「その、言ったら悪いがその後があるかどうかも判らないんだ。一回こっきりのドリフトであるのなら、相性が悪くてもできなくはない。極端な話NEXTであればいいってことになる」 「でも俺は任務を知らねえんだもん、やっぱどうしても出来るだけ最良の相手とバディを組むべきじゃね? その一回でコケたら笑えないんだから。それとも失敗していいわけ?」 「いや、失敗は許されない」 ユーリはそうきっぱりと言って笑った。 「ドリフト開発者は最初の頃多分一回こっきりだと思って――下手をすればパイロットは次々交代させればいいだろう的に開発した可能性があるからな」 「そもそもあれ、最初は一人で動かせると思ってたんだろ、そうだろ? そりゃ普通はまさか脳みそ半分こしないと動かせないなんて思わんだろうよ」 虎徹は別にその開発者の知り合いでもなんでもないが一応フォローしておく。 何故かというと自分も、最初の怪獣来襲時に「これで終わり」と信じ込んでしまった凡人の一人だったから。 だがユーリはそれもお見通しだったようで、「自分もそう考えていた」と告白した。 「どうにも人間っていうのは、思いもよらない災害や悪いことを軽く考えようとする悪い癖があるみたいだからな」 違いないと虎徹も笑い、でもそういう凡人の中にたまーに、違う視点で物事を考える奴がいるから敵わないんだよと続ける。 「兄貴はトレスパッサーがサンフランシスコに現れた時から嫌な予感がするって言ってたぞ。これで終わりじゃないだろう――始まりに過ぎない、とさ。だからバディの選定にうるさかったんだ。初期の頃はホラ、その「いっかいこっきり」ってのが主流だったから適当に相手を見繕ってただろ? NEXTの特性とか相性とか当時はまだ判ってなかったししょうがないところはあるんだけどさ。ただこれは後から聞いたんだけど俺がパイロット候補に上がった時は結構渋ってたらしい。身内を戦場に出したくないってのは誰もが思うもんだろうから。オリガ士官もそうだろ? 当たり前だろう」 「まぁね」 ユーリは大仰に肩を竦める。 「私も何度かパートナーを変えた。なのに結局一番しっくりきたのが母親ときてる。そのせいでいまだに学生気分を味わえる」 その発言に虎徹がぶっと吹いた。 「そりゃあいい、お前があんまり老け込んでないのはそのおかげだろ」 「ドリフトの相性の良さはどうしても親族に傾くところがあるのはもう仕方がないな。イェーガーのドリフトシステムがメンタル直結だから。まあそれは置いといて、別に他人でもダメな訳じゃない」 ふと、食堂にざわめきが広がった。 新入りが到着したらしい、最後のパイロットチームだと誰かが言った。 昨日到着してドックに収容されたばかりの中国籍のイェーガー「ドラゴン・サイクロン」、そのパイロットを務める イワン・カレリンと黄宝鈴の二人だった。 彼らはオペレーターが基地内を案内しているのだろう、先導されながら食堂の端へと連れ立って歩いていき、やがて出て行った。 虎徹は丁度いいと話を続ける。 バディは肉親であることが最強と現在言われているが、かつてパワーだけならそれ以上の数値を弾きだしたバディがいると。 ユーリも「ドラゴン・サイクロン」のパイロット二人を暫く見ていたが、虎徹の発言にそういうことかと頷いた。 「ああ、黄宝鈴とイワンか。あの二人はやっぱりそうなんだろうな」 見りゃ判るさと虎徹も肩を竦め、ユーリがそうかと困ったように笑った。 「イェーガーを降りろと、二人に言えれば楽だが、な」 「・・・・・・」 残りわずか三機――「ワイルド・タイガー」が再起動中なので事実上、現在二機のみ。 「ドラゴン・サイクロンがもしも、だぞ、もしも、だが敗れたらどうする? パイロットの予備は選定してあるのか? あの機は既に一度パイロットが交代してるんだろ? 何か特別誂えでNEXTの数値が従来の基準値を下回っていても操縦できるとかなんとか」」 「いや、二人だ。あの機体は確かに特別でね・・・・・・、NEXTの基準が緩いっていうのもまずあるが、そもそもあれは元来四人でコントロールするものなんだ。お前がいない間に二人を失った。お前たち兄弟を教訓に開発したものだったのだがあまり意味はなかった。いや――それでも二人は生還した。意味がないわけではなかったが損失は変わらなかった」 痛みも苦しみも。 そうしてあの二人は失った二人の為にも二人でコントロールすることを選んだ。 「俺らを?」 ユーリは頷く。 「イェーガーは一人の人間が操縦できるものではない。ドリフト適合者(NEXT)であろうともだ。生還した貴様でも二度は無理だろう。それぐらい人間の脳に負担をかける。だからこそこのバディシステム「ドリフト」が作られた。パイロットが痛むのは数ある戦闘ではっきりしていた。初代のレジェンド・タンゴでもそうだ。ニューラル・ハンドシェイクを行う事自体が既に危険な賭けなんだからな。そもそも我々人間は、自分の頭の中に他人を入れるようにはできていない。できるのは選ばれたヒーロー、その資質がある者だけだ。だからこそできるだけ損失は避けたい。だったら最初から予備を一緒に乗せておけばいいのではないのか。フォローする人員を増やせばいい、脳の負担も減るだろう。その分機能も増やせる・・・・・・村正の悲劇の後イェーガー開発陣はそう考えた。そうして考案されたのがあのイェーガーにだけ搭載された独自の「クアドラプルシステム」だ。あれはそういう実験機でもあったんだよ。そもそもイェーガーですら補填が難しいんだ・・・・・・人的被害は補填で済まされるようなものじゃない。だからこの局面であれだけ傷ついて戦線離脱をしたお前をわざわざ呼び戻すことになってしまった。私は反対したんだ。お前が嫌なら戦わせたくなかった、本音はな」 「そうだな、もう二度と他人を自分の頭には入れたくないと、そう思ったよ」 そうしみじみと言う虎徹の声を聞いてユーリは言い淀む。 その気配を察して虎徹はいいから聞けよと笑った。 「その・・・・・・村正は苦しんだ、のか?」 「そうだな」 虎徹は目を伏せる。 「驚愕と恐怖、だな。大半が。苦しんだかというと長く――はなかった。あっという間だったから。でもその瞬間、自分の半身がもぎ取られるのがわかったよ。あれは自分自身でもあったから。身を裂くような痛みはあった。でもどれもこれも長くは続かなかった。そしてそれが、とても悲しかったんだ」 「辛かったんだな」 「ああ」 ユーリはそして成程と得心する。 「お前は最初から、自分と組む相手を心配して――」 ドリフトとは精神共有である。 その時、自分の体験と相手の体験が混ざり合う。文字通り精神を共有し、記憶もろとも二人は一つとなるのだ。 「このままブレイン・ハンドシェイクを行ったら、バーナビーにあの最悪な痛みをくれてやってしまうことになる。果たしてそれに彼は耐えられるだろうか? 俺はそれが怖い」 「ウサギ追いか」 ウサギ追いというのは相手または自分の記憶をニューラル・ハンドシェイクによる意識共有時に深追いしてしまうという現象だ。 極まれにあるのだが、そうやって深追いしていった結果、戻ってこられなくなる者がいるのだ。 下手をするとそのまま廃人になってしまう、最も危険なドリフトの副反応でもあった。 「俺は爆弾を抱えてるんだよ、それも特大の」 「選抜時に当然そっちも適合数値が高い(ハンドシェイク副反応耐性)者が選ばれている筈だろう?」 「それでもアルバートは失神したんだろ? そうなんだだろ?」 ユーリは確かにと考え込んだ。 何事にも百パーセント大丈夫ということはないのだ。特に精神世界の理に触れるものであるのなら。 誰もが自分の心の奥底を本当には知らない。何が影響し、何がどうなるのか本人ですら絶対に判りっこないものなのだからと。 先に話しておくべきなのだろうか? ある程度ショックを与えないように? だが村正の件はさすがにPPDC所属者なら誰でも知っている事柄である。 まあ、知識と実際の意識共有とでは全く違うから話しておくことがショックを受けない、という保証には全くならないのだが・・・・・・。 「成程ね・・・・・・」 そいつは難しい問題だなとユーリも考え込んだ。 「まあしかしなんだな・・・・・・」 ユーリは気まずさを隠す為に咳払いし、話は少しずれるが、と話し出した。 「最良ではなく最善でいい、と自分が思うところに話を戻すが、その、友情、っていうのは少し弱いな。パワーも安定も今一つな感じがしないか?」 なんだよお前は、俺にバーナビーと寝ろとか言ってんじゃねえだろうな? と虎徹がユーリを睨み付ける。 「んなことできねーよ。時間もねーのに、無理矢理そういう関係になったって意味ねーだろ。ああいう愛とか恋とかっつーのは強制されて出来るもんじゃないし、俺だけ盛り上がってもしょうがねえじゃん」 まあそうだけど、そういう既成事実ってのは思ったよりもパワーが上がるのは間違いないぞと言い訳する。 「別にお前とバーナビーにどうにかなれって言った訳ではないんだが」 当たり前だ! 「大体なあ、恋人や夫婦ってのには落とし穴があるぜ」 虎徹はユーリの台詞に釘を刺す。 「ハンドシェイクの副作用――意識のブラックアウトには各個人の適正他にその時の戦闘内容やら複雑に要素が絡みこんでくるけど、心理的な問題でダメになるのは俺の経験じゃあ恋人同士や夫婦組が大きかったイメージがあるぜ? あれほどメンタルが行動に直結するのはそこいらの関係者しかないだろーよ」 「例えば?」 ユーリが一応聞いてくる。 虎徹も知っていると判っていてわざと詳細に答えるのだ。 「愛とか恋とかってやつは、上手くいっている場合は問題ないが、上手くいかない時には一番まずい関係ってやつさ。相手を信頼するのと依存するのは違う。ユーリあんたの言う、親子関係の「母親が支配的」ってのより相当まずいぞ。何しろ一緒に暮らすってところの意味からして違うんだから。親子関係と恋人関係って奴はそもそもスタートからして違う。親の支配がない親子関係なんか存在しないんだからな? だから最悪距離を取るのも互いに納得しやすいが、恋人同士のあれやこれやは一旦拗れると修復するまでイェーガーに乗れないぐらいダメになるぜ」 「まあ、ああそうだな」 「だから、適正にパワーを求めるのは基本的に間違ってるんだと俺は思う。その、なんだ感情面での距離感ってのかな。そういう意味では最初の頃――レジェンドを含めてどのバディも 純粋に適正だけで組ませていた、あるいは親友――同性同士であるっていうのは理に適ってるんだよ。多分信頼っていうものを純粋に突き詰めるとそこに行きつくんじゃないか? そしてその信頼関係は安定してる。今回の任務遂行の為には、パワー向上よりも俺は安定を求めるべきだと思うね」 「男性脳には男性脳の、女性脳には女性脳の良さがあるだろう。まあ適正者の選定に余裕があれば半々にすることもできたのだろうがな」 ユーリはこの土壇場になってそんな風に判ることが多いな、と虎徹に笑った。 「道理で君たち兄弟が最強だと思ったよ」 「まあ、そだな・・・・・・」 それから暫くの間二人は無言だった。 ユーリは食事を終え、最後にコーヒーを啜るがぬるい。 虎徹もポテトを突くのはやめていたが、コーヒーを舐めるようにして飲んでいた。 きっとぬるいを通り越して冷たいのだろうなとユーリは思う。 やがて虎徹がぽつりと、コーヒーに目を落としながらこう言った。 「なあ、ユーリ、人類には希望が残っているか? この作戦で人は――我々は本当に勝てるのか? こんな悲劇は終わるんだろうか」 「判らない」 ユーリは素直に言った。 「もはややれることはやりつくした。だが今はこの作戦に賭けるしかない。命の壁がシドニーで破られて各国で暴動が起きているそうだ。イェーガーでなければ怪獣には対応できないと全世界に配信されてしまったしな。それでも政府はこれが一番有効な手段だと言い逃れるしか――。今更のように各国がこの作戦に協力すると言っている。本当にもう後がないんだ。今更我々もいちかばちかなのだと知らしめてどうなる」 「だが、それでは人類を騙していることにならないか? 俺たちは所詮政府と同じだ。それは人類に対する裏切りじゃないだろうか?」 「それでも人類には希望が、灯が必要なのだ。立ち上がる原動力が!」 例えそれが幻でも、一瞬の燈火、消えることが前提のものであろうとも。 ユーリが強い瞳で虎徹を見据えている。 その瞳に虎徹はああ、こいつも変わったもんだなあと思った。 そりゃそうだよな、イェーガーパイロットになるのは当時居た五十人のNEXTの中で最も遅かったけれど、其のおかげで無駄死にせずに済んだ。 そして自分がいない間に彼は、自分をはるかに超える戦いを続けてきたのだ。 「華燭の英雄だな」 虎徹は自嘲気味に笑う。 ユーリ、お前はホントにすごいやつだよ。なのに俺と来たら・・・・・・。 そこまで追い詰められてもなお、環太平洋防衛軍(PPDC)の戦士たちはは希望を失わずシュテルンビルトに結集して、戦い続けてきた。 沢山の脱落者が出ても尚、諦めずに、多くの仲間を道中失いながらそれこそ最後の一人が死に絶えるまで、きっと――そうとも俺はその脱落者だ。事実自分は一度折れた。 「こんな風に逃げ出した俺でもまた希望になれるのかな」 「なれる」 ユーリは力強く言った。 「パイロットが英雄として祭り上げられていた時代は終わった。「ワイルド・タイガー」がナイフヘッドの戦いに敗れたとき――あれが転換期だったのだろう。それでも人類は滅ぶわけにはいかないのだ。戦え。どうせ滅ぶのならあがけ。私はそうして戦ってきた。戦え」 「ああ」 「それに一人ではない。我々は常に二人――だ」 半身をもがれる痛みを知っている。 虎徹は「そうだな」と呟き、あんな体験は二度はごめんだと心の奥底で思った。 大切な人をもがれる痛み、大切な人の痛みと苦しみを共有するということも。 「帰ってきてくれて感謝する、虎徹。私は本当は怖くて堪らなかったんだ。だから君が戻ってきてくれて嬉しかった。これで私は任務に付ける。もう大丈夫」 君が一緒にそこへ行ってくれるなら。 伸ばされた手を虎徹は右手で掴み、強く握った。 ひたと自分に注がれるアレキサンドライトの不思議な瞳。そこに浮かんでいるのは紛れもなく深い信頼で虎徹の胸を打つ。 侮っていた、訓練所で最も弱く、バディが見つからず一度はパイロット候補から外されかけたユーリの事を内心バカにしていた。 お前には戦えない、自分には出来ると己惚れていた――今から十年程昔の話。 まだまだ青かった自分はなんと愚かだったろう。この男は本物の戦士だ。 こちらこそありがとう。お前がここに居てくれた運命に感謝する。 虎徹は心からそう思った。 [mokuji] [しおりを挟む] Site Top |