Novel | ナノ

琺瑯質の瞳を持つ乙女(19)


Finale

 ザントマン事件解決から1週間が経過した。
クレスペルはその特殊なN.E.X.T.能力を封じる為にアッバス刑務所へ投獄され、プローブを埋め込まれる処置を施されたらしい。
裁判は来月始る。S国は彼を見捨てるだろう。彼はシュテルンビルトではなく首都に移送されそこで裁かれることとなる。シュテルンビルトと違うそこでは恐らく死刑を免れまい。50名以上に及ぶ犠牲者を出した連続殺人、痛ましくも残酷なその事件はそう、兎に角終わったのだ。



 彼の一連の事件動機は、一体のHFDだった。
銀糸の髪と白磁の肌を持つ美少女人形は、F国の誇るフェイクマスターだった 故トリシモ・M・グローヴ女史が制作した銘入りと呼ばれるHFDの最高傑作の一つだった。
「夢見る銀の月(Dreaming Silver Moon)」と名づけられたそれは、「謳う銀の月(Singing Silver Moon)」というもう一つの傑作HFDの対の作品として作られて完成直後何者かに奪われそれきりこの世から消えてしまったものでもあった。
それをクレスペルがどうして手に入れたかは判らないが、彼はそれを密かに隠し持ちいつしか妄想にとり憑かれるようになっていった。
 夢見る銀の月は眼を開かない。元々そのように作られた人形で、テーマは恐らく眠りだったと思われる。
あまりにも完璧で狂いの無い人間そのものの人形を愛でるうちに、クレスペルはこの人形が事実生きている自分の娘だと思うようになり、アントーニアという名前をつけた。更にはアントーニアがそのうち瞳を開けて自分に微笑みかけるに違いないと想うようになっていく。やがて待ちきれなくなったクレスペルは無理矢理この人形の眼を開かせて、中に入っているものが琺瑯質で作られた薄紫の玉であった事に正気を失うほどショックを受けるのだ。初めの内は気が狂ったようにFHD特注の宝石であつらえた眼球を大量に入手し、片っ端から嵌めていくという作業に没頭した。だが当然だが彼女は起きる事が無くクレスペルは妄想の中一つの掲示を受ける。
 本物の生きた眼球を入れれば彼女は目覚めるだろう。
クレスペルはこうしてシリアルキラーとなった。求めるものは完璧で美しい眼球。これとは思う美しい目をした人を片っ端から殺して眼を奪い、夢見る銀の月へと宛がった。だが直ぐに駄目になる。彼は次々と目を交換する必要に迫られいつの間にか妄想は進み、彼女にぴったりな眼を宛がえば彼女は真実人間となるに違いないと思い込むようになっていったのだ。目覚めないのは瞳が気に入らないからだ。では夢見る銀の月が欲しているのはどんな瞳か――試行錯誤を繰り返し彼はついに悟った。
HFD記念館に今でも飾られている「謳う銀の月」を見てその瞳に嵌るアメシストに感嘆した。
そうか、今まで間違っていたから彼女は起きなかったのだ。 謳う銀の月の瞳は唯の宝石だが、私のアントーニアには本物の生きたアメシストを入れてやろう――。



 ユーリ・ペトロフは首都へ送る報告書を作成しながらこのおぞましい殺人者について考えを巡らせていた。
捕まって尚、彼は自分の妄想の産物である夢見る銀の月への執着を悔いる事は無かった。あれは妄想で生きているに違いない。自分のした事を振り返る力もないのだ。
シュテルンビルトでの逮捕である場合、通常の場合はシュテルンビルトでの法が適応される。しかしザントマンは国際指名手配犯でありS国大使という立場もあった為間違いなく国際裁判になる。首都においての裁きの上であるのなら、正義の鉄槌は必ず下される。むしろ私が手を下す事はこのシリアルキラーにとっては逆に救いになるのではないか。晒し者にしありとあらゆる苦痛を与えた上で死刑になるのが望ましい。では私が抹殺するのはクレスペルではなく虚構だろう。

 その夜「夢見る銀の月」はクレスペルと共に首都へと送還途中にルナティックによって焼却された。非常に芸術的価値の高い人形であったので関係者一同は揃って落胆した。しかし何にも増して狂乱し絶望のどん底へ叩き落されたのはザントマンであるクレスペル本人だった。銀の月が消失したという事実を知るや否や彼は絶叫し卒倒した。自分が手を下した者への憐憫も良心の呵責も無かったこの男を唯一痛めつける得るのはこの人形だけだった。

彼は事実上死んだも同然となった。ザントマンは狂った月に魂そのものを葬り去られたのだ。



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