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琺瑯質の瞳を持つ乙女(20)


 イワンは虎徹に時間をくれないかと頭を下げた。
「なんで俺?」と虎徹は腑に落ちないような顔をしていたが、イワンの頼みを快く了承してくれて今ここに居る。
お前たちが特別外出許可を得てまでして行きたかったところってここだったのかと言った。
ええ、とイワンは応えた。
そこはゴールドステージ海の見える丘公園の敷地内にある墓地だった。
イワンが大きな花束を供える白い墓石にある名前に見覚えはなかったが判った。
エドワードが誤って射殺してしまった、女性の墓だったのだ。
「あの日は5年前にエドワードと僕が、彼女を殺してしまった日でした」
 そうか。
虎徹は小さく呟いた。
「エドワードは脱獄の後から面会する度に僕に、ここに来たいと、俺は行かなきゃならないと」
 二人は黙祷する。
そうして暫くしてから、イワンがぽつんと言った。
「あの後、エドワードが何処に行っていたのか教えてもらったんです」
 誰に?
虎徹が墓石の前に跪くイワンを優しく見下ろしながら聞く。イワンは墓石をじっと見詰めながら話し出すのだ。
「司法局に来られたのは、エドワードが射殺してしまった女性の妹に当たる方でした。 エドワードは脱獄してもう一度刑務所に戻ってからずっとご家族の方に謝罪の手紙を出していたのだそうです。 そしてご家族の方にどうしても聞いてもらいたい事があると嘆願し妹さんがそれを了承したのだそうです。ずっとやり取りをしていて誠実な方だと。あれは事故だったのだとそう――いつしか理解したいと想うようになったと」
「・・・・・・」
「二人はここ2年近く文通を続けていて、彼女はエドワードに言ったのだそうです。『いつか姉の墓の前で懺悔して下さい。そして私と会う事を誰にも告げず会いにきて下さい。その時こそ貴方の誠意を信じます』と。それがつい先日の事で驚いたと。彼女はもっと先の事だと思っていたらしいですから――」
 妹さんはエドワードの疑惑記事をテレビや新聞で見て、自分がエドワードに望んだ事を後悔されたそうです。そして自らエドワードの無実を証明しに来てくれた。どんな理由があろうとも僕は監視者としての義務を怠り、エドワードは司法が定めた律を破った。それでも恩赦を与えてくれた管理官に感謝します。
僕の方こそどんなに報いても足りないのに、ユーリさんは言うんです。 僕とエドワードに借りがあるからこの機に返すって。なんなんでしょうね。
 イワンはずっと跪いていたままだったが、柔らかく微笑んでその墓石に頭を下げた。
「僕は裁判を観ていなかったので知らなかったんですけどエドワードは裁判の時ずっと、イワンが悪いって、僕が何もしなかったからあんな事になってしまったのだと・・・・・・ご家族の人にもずっと言っていたんだそうです。――彼女が、・・・・・エドワードが誤って射殺してしまった方の妹さんが、エドワードがあれは誰かのせいじゃなかった、自分自身のせいだったのだ、やっと解った、あれはイワンのせいじゃない、俺自身のせいだったって――そう・・・・・・真摯に謝りにこられたと仰ってくれました」
 エドワードは言えなかったでしょう。僕にこそ、いや誰にも。
僕はそれを聞いた時胸が詰ってしまった。僕のせいだと罵って喚いて・・・・・・いや僕はそれでいいと思ってた。でもエドワードはずっと苦しかったんです。僕のせいで罪を背負ったのには代わりが無いのにエドワードは僕を許してくれてたんだとそう思ったら、ああ聞かなくて良かった、僕は信じていて良かったんだって。
「そう、――思って涙が止まらなくなってしまった。良かった、聞かなくて・・・」
 良かった――。
虎徹はそういって蹲りすすり泣くイワンの傍らに自らも跪きその肩を叩いた。そして横からやんわりと抱きしめて「良く信じた」と言った。
それからイワンは告白するように続ける。聞いて虎徹自身も胸に擦るような痛みを覚えた。それは誰でも犯してしまう可能性のある些細な過ち、いやしかし重い過ちであったから。
「そして同時に自分の不甲斐なさに震えました。どうして――あの時僕はエドワードの助けを呼ぶ声に応えてやらなかったのかと。僕はずっとエドワードの事しか考えてなかったけれど、エドワードを見殺しにしたあの瞬間、この人のお姉さんを――一人の人間をも同時に見殺しにしていたんだって気づいてしまったんです。僕はあの時何が何でもエドワードを助けに行くべきだった。本当に悲しいのは亡くなられた彼女だ。僕もエドワードもそれに気づくのに本当に長い時を無駄にしてしまいました。許してください、許してください」
「折紙・・・・・・」
 一番先に考えなきゃならないことは、エドワードの行為でも僕の後悔でもなく、亡くなった女性、犠牲者であるべきだったんです。
こんな単純な事実に僕は全く思い至れなかった。エドワードも僕も自分たちの不幸を嘆くばかりで、亡くなった女性の事など真実考えもしなかった。
だからこの葛藤も苦しみも当然だったんです。僕たちは苦しまなきゃならなかった。彼女には苦しむ事すら許されなかったのに、僕たちは本当に贅沢だ。僕らは二人ともヒーローなんかじゃなかった。ただの卑怯者だったんです。
「それなのに、妹さんもご家族も、エドワードも僕を許してくれた。タイガーさん、僕はヒーローでいていいんでしょうか」
「それだけ沢山の人たちがお前の過ちを許してくれてるのなら、這い蹲ってでもヒーローで居るべきじゃねぇのか、折紙」
「はい」
 自分の肩に添えられた手が熱い。そしてとても嬉しかった。
イワンは右手をそっと自分の肩を抱く虎徹の右腕に沿わせると、ただありがとうと何度も呟いた。
「タイガーさんも、ヒーローたち全員が僕を信じてくれた。僕が信じているエドワードを信じてくれた。本当に感謝してもし足りない。ありがとうございます」
「お前が信じるものを俺たちが信じないわけが無いだろう」
 虎徹はイワンが頭を垂れる墓石に目を向ける。 そして彼もまた謝った。
「助けてやれなくて済まなかった」

 怖かったろう、辛かったろう。生きたい未来があったろう。
あなた方市民の生活を護る為に我々はここに在り、手を尽くし気持ちを尽くして日々大切に過ごしているけれど時折そうした不幸は多くの人の上に落ちてきます。
間に合わずに失った命も数あるけれど、それでも諦めることも仕方ないと忘却することも出来はしないのです。沢山の後悔と共に我々はそれでも歩いていきます。歩みを止めるわけにはいかないのです。どうか許してください。許してください、許してください。
もし我々にできる約束があるとしたらそれは忘れない事。失われた命の重さがいかほどかをけっして忘れずに生きていく事だと思うのです。

「行こう、折紙」
「はい」
 立ち上がる虎徹に促されてイワンも立ち上がる。
振り仰ぐと澄んだ真っ青な空を行く、灰色の鴎たちの翼があった。
ああ、なんて空だろう。
眩しさに目を細め、イワンは仲良く戯れ飛びシュテルンビルト遠く遥か沖へと向かって去っていく鳥達を見送った。
 綺麗だ。
冷たさの和らいできた墓地を渡る風がイワンの頬を撫でていく。イワンは心の中で墓標へと誓った。

また来ます。今度は罪を償い自由になったエドワードと共に。
その時には僕と彼との未来も少しは展望が開けているだろう。そしてその未来はけして暗いものではないはずだ。新しい何かを、僕たちの新しい関係を再び始めればいい。
そして今度こそ間違うまい。彼の期待も自分自身も裏切るまいと。

 先に歩き出していた虎徹が振り返る。
その視線に気づくとイワンは笑顔になって駆け寄って行く。
気がつけばシュテルンビルトの遅い春はもうすぐそこだ。


 そういつかきっと、僕らの願いは叶うだろう。




虎と兎のシュテルンビルト事件簿
【琺瑯質の瞳を持つ乙女】amethyst eyes
Thank you.



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