星の棲み処(8) 次の日の朝起きると、タイガーは自分の家に帰ると言い出した。 「さすがに部屋を掃除しないとまずいと思うんだ。もう1週間も家に帰ってない。冷蔵庫の中身がヤバい」 「明日帰ればいいんじゃないですか?」 と、バーナビーは引き止めてみたが、 「いやっ、俺の部屋はうだうだやってたら、1日じゃ掃除が終わらない。少なくとも1日半は必要だ」 という。 まあ、確かにそうかもなと、バーナビーは思った。 「で、傷は大丈夫なんですか」 「大丈夫だ。明後日には必ず出社する」 「そんなこといって、家に帰って速攻ビールとか飲まないでくださいよ」 「うむっ。大丈夫だ、飲まない」 「なんか、うそ臭いなあ・・・」 まあ、多分飲みまくるんだろうなとは思ったが、追求しないでおいた。 もう大丈夫だろう。 一緒に部屋を出たタイガーは、出社するバーナビーに世話になったなーと明るく言って、そのままゴールドステージから出て行った。 さて、後残り2日でデスクワークを全部やっつけなければいけない。 別にそんな規定はないのだが、バーナビーは必ず実行すると決意していた。 会社にいき、がつがつと書類に埋もれていると、呼び出しがあった。 どうやら自分に面会があるらしい。 何かの取材ですか?と聞いてみたら、受付嬢はそうではないと言う。 「非公式ですが、司法局ヒーロー管理官がいらしてます」 バーナビーはすぐに時間をあけるので、管理官を応接室に通すようにいった。 果たして、管理官はユーリだった。 「すみません、お待たせしました」 「いえいえ、今回のジェイク事件の施設破損、各社の負担金額が大体算出できましたので、その結果をお持ちしました」 「ドームを一つ全壊させたような感じですかね」 「ドームはともかく、柱の方が問題でして、先に柱の修復を行ってます。これはシュテルンビルト財政からも当然捻出しますが、ドームの方は7社に請け負っていただくことになりますね」 「解りました。社長の方に渡しておきます」 「負担金額の割合など、不満があるようでしたら訴訟も可能です。よろしくお伝えください」 「解りました」 その書類を受け取ると、ユーリは薄く微笑んだ。 「ところでバーナビーさん、先日の件です」 やはり、と思う。 この負担金の話は別に担当者がいるのだ。 そもそもヒーローであるバーナビーがわざわざ中継して受け取らなくてもいい類の書類である。 だから、これはカモフラージュで、実際はバーナビー個人の依頼を果たしに来たのだろう。 「頼まれていたワイルドタイガーの件ですが、確かにそちらが言うような事故がありました。なので特別にこちらをお届けに参りました」 「あ、ありがとうございます」 「なにかこの事件、気になる事でも? ウロボロスに関係しているとか?」 「い、いえ、そういうわけではないです。今回の事件とはまったくかかわりの無いことです」 「それならば安心いたしました。ところでこの文書は極詳細といいまして、割とプライベートな部分を特に編集したものです。ヒーローになってからの経歴詳細はもともとありましたが、家族詳細や、ヒーロー業とは関係ない部分でのまあ、事故とか、お悔やみとかですね。しかし、本人に内密とのことでしたので、私としてはどうかとは思います。 本人にはお話にならない方がよいと思いますよ。それと、アポロンメディアの方にはもう申し渡しましたが、一応プライベート情報ということなので、流出はなさらないよう。 そちらの企業の良識に期待しております」 「・・・・・」 バーナビーは茶色い封筒を受け取ると、ユーリ管理官に会釈をした。 携帯が鳴って、タイガーは部屋を掃除していた手を止めた。 冷蔵庫の中身は大半が酒だったが、やはりいろんなものが駄目になっていた。 なので、上の段から食べれなくなったものを順次捨てていく。 「えーよっこせと」 よっこせとか言い出すと、おじさんの始まりだとか、楓が言ってたなあとか思い出したが、まあどうでもいい。 携帯にバイソンの待ちうけが出ていたので、アントニオからだと知れた。 「おう、なんか久しぶりだな。 元気か? 首の具合はどうだ」 「虎徹、お前の方こそ大丈夫か?」 「あー、大丈夫。今度こそホント、完全回復」 「お前今まで何処行ってたのよ」 「バニーちゃんちに居候してたぞ」 「・・・・・・」 「うえっ、なにその沈黙」 「いや、お前大丈夫だったのか? あーそのー、バーナビーが酷く心配してたぞ、お前の事」 「あー、そうな、心配させてたな。悪い事をした。そのうち埋め合わせしないとな」 「んー、そういうことじゃないんだがな・・・」 「えっ?何よ、何が心配? ソッチのことは心配する必要ないぞ。俺たちはお前らと違って健全な付き合いだから」 「なっ、馬鹿野郎ッ!」 ネイサンとの事を暗に言っているのだろう。 そう思い当たって、アントニオは耳まで真っ赤になった。 タイガーがげらげらと笑い出した。 「いやいや、俺たちも別に不純な関係じゃないぞ」 「あー、解ってる」 「まあ、電話じゃなんだな。おい、来週飲みに行こうぜ」 「ああ、了解。そんじゃな」 携帯を切って、それをソファーに放り投げると、タイガーは自分も少し横になった。 まだ本調子ではないのだから、加減しながら動いておこう。 明後日にはまた、ヒーロー家業に戻って、この街を守らなければならないのだから。 そうだなあと、タイガーは思う。 バーナビー、彼も飲みに誘おう。 最後に別れるとき、なんだか寂しそうに見えた。 昨日の夜の告白は、正直虚を衝かれた。 バーナビーが久しぶりに小さい子供のように思えた。ああいうときは出来るだけ一人にしない方がいい。 俺にも覚えがある、そう昔。 5年前。 その夜、家に帰ってから、バーナビーは茶色い封筒を開けた。 ある暴行傷害事件が起きた。 その被害者は一人の平凡な男。 どうして彼がその日そこにいって、そんな事件に巻き込まれたのかは誰も知らない。 何故なら彼はその事件を告訴しなかったからだ。 普通の人間であるのなら、命を失っていたような怪我だったが、彼はそのわずか数時間後に再び失踪している。 恐らくN.E.X.Tの能力で、身体機能の回復を計ったのだろう。・・・いや、もしかしたら、本人の意思とは関係なく、回復したのかも知れない。 その暴行は、記録されうる限り非常に残酷で、最も無残なもののひとつだったという。 しかし、彼はその最中一度もN.E.X.Tを使わなかった。 N.E.X.Tによって傷害事件を起こしたり、殺人事件を起こした場合は問答無用でヒーローとしての資格を剥奪されるが、自身の生命が危ぶまれる場合においてはその限りではない。 彼の能力であるのならなおさら、逃げ出すことは容易だったはずだ。 だから、理由はそれだけではなかったのだろう。 彼は明らかに、N.E.X.Tを使うことを放棄していたのだ。 まるで、自殺したいかのように。 ―――――鏑木・T・虎徹 彼はその日、妻を失っていた。 誰にでもある小さな日常、小さな幸福。 彼はそれを守ろうとして、そして守れなかった。 失うまいとして、叶わず失ったのだった。 それは誰にでも訪れる可能性のある、些細な不幸だったのかも知れない。 だがその取るに足らない些細な不幸が、彼にとっては世界を転覆させるに等しい出来事だった。 その時彼が何をどう感じたのかは知らない。 ただ、それでも彼は足掻いたのだ。 絶望を、自分から幸せをもぎ取っていった何かを、この喘ぐような慟哭を。 その悲しみが、彼の中の何を破壊してしまったのか、知る者は誰も居ない。 その後ワイルド・タイガーは何事もなかったかのように、世間の前に復帰したが、以前とは確実に違っていた。 人々ははっきりとは気づかなかったが、それでも彼の中の本質が変化したのを知りえたのだろう。 彼の人気は翳りを見せ始め、そしていつしか、彼はヒーローとしては落ち目になったと誰もが思うようになった。 盛りを過ぎて、いまやもう引退を待つばかりだと。 会社も引退を幾度も進めたという。それでも彼は、頑として頭を縦には振らなかった。 まるでなにかに駆り立てられるかのように、彼はヒーローとして若い時以上に、危険な行為を省みなくなった。 誰かを守る。 それこそ命がけで。自分の命を顧みず、ただ邁進した。 まるでこの世にある全ての命を自分の手が救わなければならないと、そう妄信しているかのように。 しかし、彼を現実で知る人々にとっては、余りに痛々しい姿だった。 人を救うことを命題に掲げながら、その実、それはまるで死に場所を探すような、あるいは自分を粗末にするような、 そんな危うい、悲しい姿にしか見えなかった。 バーナビー・ブルックスJrは、眼下に広がるシュテルンビルトの町並みを見つめていたが、その景色が不意ににじむのを感じ、目頭を抑えた。 [mokuji] [しおりを挟む] Site Top |