「うわあ…」
 湖だった。きらきらと水面が輝いている。
「ぼくのお気に入りの場所。素敵でしょ?」
 青々と繁った森を抜けた先の、静かな湖畔。高く上がり白くなった太陽の光。ゼロスは得意げにしいなを見る。
「きれい…」
 白い花に口元を緩めるしいなに、ゼロスは微笑んだ。
「お花、好き?」
 手を離し花の傍に膝を着くしいなの隣に座り、ゼロスは顔を覗き込む。
「…うん」
「ぼくも、好き」
 どきりとする。厄介な少年だ。
「あ、あのさ、雪だるまのボタンとか…あたし、預かってるんだけど、返したほうがいいよね?」
 ゼロスはまぶたをしばたたく。
「…わざわざ、雪だるま、持ってったんだ?」
 あっと声を上げて、しいなは俯いた。耳が赤くなるのが自分でもわかった。黙り込むその姿にゼロスは目を細める。
「…持ってていいよ」
「え…?」
「しいなが、持ってて。ね?」
「でも」
「持っててほしいの、ぼくが。だから、持っててよ」
 問答無用で持っていろ、と言っているに等しかった。やはり呆れ返り、しいなは苦笑いする。
 いたずらっぽく近い距離で覗き込んでくるゼロスに気付き、しいなは慌てて次の話題を探した。
「あのね、あたし…、ミズホってとこが故郷なんだ」
「……」
 ゼロスは何も言わなかった。
「ミズホの忍は、テセアラ王家に仕える隠密なんだ。あたしもそう。今はまだ修行中みたいなもんだけど…」
「…どうして?」
 しいなは顔を上げた。
「そんな簡単に話しちゃいけないことなんじゃないの?」
「…あんたが神子だって解っちゃったから。あたしだけ知ってるのって、何て言うか…公平じゃないっていうか」
 ゼロスはふっと息を吐く。
「よかった」
「え?」
「ぼくが神子だってことに恐縮しちゃったのかなって思った」
「…なんで?」
 しいなのキョトンとした顔に、ゼロスは吹き出す。
「ううん、意味が解らないならいいんだ」
 笑われたほうは眉間にシワを寄せた。
「なにそれ」
「…やっぱり、しいなは、思ったとおりの子だね」
「……?」
 ますます訝しそうにするしいなに、ゼロスはふふっと笑う。
「ぼくもひとつ白状するね。…しいながミズホ出身なのはすぐに解ったよ」
「えっ?」
「ごめんね、黙ってて」
「な、なんで解ったのさ?」
「…名前と、服装。どっちも珍しいから」
 しいなは顔を赤くした。ミズホ出身のくのいちということを告白するのに、それなりの心の準備をしていたというのに…。
「あたし、バカみたい」
 しいなはふっと息を吐き、穏やかな湖面を見つめた。
「別にしいながバカなわけじゃないよ」
「そう?」
「うん。ぼくが少し鋭くて、しいなが少し鈍いだけ…いたっ!」
「殴るよ!」
「いたた…、殴ってから言わないでよ」
 肩を押さえながら、ゼロスは涙目で訴える。しいなは唇を尖らせていた。
「バカにしてるじゃないか」
「してないよ…。鈍いところも、しいなの魅力のひとつじゃない?」
 これで何度目か、しいなは頬を染めた。
「…バカ」
 ゼロスは優しく微笑み、湖に目を向けた。風が紅の髪を撫でる。
「…鋭いからって、いいことばかりじゃないかも知れないじゃない?」
「…ゼロス?」
 黒の髪も風に揺れた。
「ごめん、意味わかんないよね」
「…うん」
「鈍いから? おっと」
 しいなの拳をひらりとかわす。
「このっ…!」
「あはは、残念でした」
 そのままゼロスは街に向かって駆け出す。
「そう何回も殴られないよ」
「待てえ!」
 しいなも逃げるゼロスを追った。



「…走ったらお腹空いちゃった」
「自業自得じゃないか」
 ゼロスは空を見上げる。

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