セピア 第二話




 当たり前のことだが、雪だるまは融けてしまった。
 ゼロスと初めて会ったあの日、雪だるまを持ち帰り部屋に飾ったが、翌朝には壁や床の染みとなってしまっていた。
 なんとも形容しがたい気持ちに泣きそうになりながらも、残されたバケツやボタン、枯れ枝も大切に取っておこうと引き出しにしまった。
 …バケツやボタンは、返すべきかも知れない。
 メルトキオに来て一年近く経つ。初めて友達が出来た。それに戸惑いを感じながらも、嬉しかった。ゼロスに抱いた憧れに似た淡い気持ちには、しいなはまだ気付いていなかった。

「あ…」
 しいなは足を止めた。精霊研究所からテセアラ城へ向かう途中、貴族街からマーテル教会へ歩くゼロスを見付けたからだった。
 ゼロスがなんともなしにこちらを見た。すぐにぱあっと笑う。
「しいな!」
 お供のセバスチャンを置き去りに、しいなに向かって走り出した。
「おはよう、しいな」
「あ、うん、おはよう…」
 積極的で馴れ馴れしい。やっぱり少し苦手。そんなふうに感じながら、しいなは応えた。
「…お城に用事?」
 しいなの身体が向いているほうを振り返り、ゼロスは問う。
「う、うん…」
「ふーん?」
 首を傾げたゼロスの視線がちくちく痛い。
「ぜ、ゼロスは?」
「ぼく? これから教会だよ」
 ちらりと視線で示す。それからしいなの耳元に唇を寄せた。
「結構ね、神子ってめんどくさいみたい」
 呆れたしいなに、ゼロスはやはり歯を見せて笑った。
「お城の用事はすぐ終わる?」
「あ、うん。そんなに時間はかからないと思うけど…」
「じゃあ…待っててくれる? ぼくのほうも、そんなに時間はかからないはずだから」
 駆け寄ってくるときの笑顔や、耳に近付く唇、そうやって待ち合わせをしたがったり…そんなことにどきどきしてしまう自分に戸惑いながら、しいなは頷いた。頷きのあとにゼロスが破顔したことにも。
「じゃあ…、そうだな、教会の前の、一番大きな樹の下ね!」
 言い残し、ゼロスはすぐに踵を返す。待っていたセバスチャンが会釈をしたので、しいなも頭を下げた。
 執事の元に戻ったゼロスが二言三言交わし、しいなを向いて手を振った。



 肩が凝る。突き刺さる視線から解放され、しいなは樹の幹に体を預けた。太陽は頂点に向かってじわじわと地表を暖めていた。
 春はもうすぐそこ。暦はまだ冬。
 ゼロスのことをぼんやりと考えた。雪の中に映える彼の髪。春は花の中に、夏は青い空を背景に、秋は夜の帳を受けて、それぞれ美しく浮かび上がるだろう。
 自分とは違う。闇に生きる隠密、そして咎人の自分。過去を思い出し、じんわりと泣きそうになる。
「――ごめん、遅くなったね」
 はっとして声がしたほうを向いた。眉尻を下げたゼロスと、影のように寄り添うセバスチャンがいた。
「う、ううん、たいして待ってないよ」
「ならよかった」
 ほっとしたように笑って、やはり突然しいなの右手を掴んだ。
「ちょっ…」
「セバスチャン、ぼく、しいなと遊んでくるね。お昼には帰るから」
 しいなの言葉を故意にか無意識にか遮り、ゼロスはセバスチャンにそう告げる。少し考えたのち、壮年の執事は頷いた。
「…かしこまりました。充分にお気を付け下さい。しいな様、よろしくお願いいたします」
 たとえ年端もいかない少女でも、主の友人として敬意を払われる。しいなはぎこちなく頷いた。
「さ、行こう?」
「だから…きゃっ!」
「話はあとあと。時間なくなっちゃうよ」
 強引。手を引かれ、なされるがままにしいなは付いていく。
「もう…」
 もはや照れよりは呆れのほうが大きかった。

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