当たり前のことだが、雪だるまは融けてしまった。 ゼロスと初めて会ったあの日、雪だるまを持ち帰り部屋に飾ったが、翌朝には壁や床の染みとなってしまっていた。 なんとも形容しがたい気持ちに泣きそうになりながらも、残されたバケツやボタン、枯れ枝も大切に取っておこうと引き出しにしまった。 …バケツやボタンは、返すべきかも知れない。 メルトキオに来て一年近く経つ。初めて友達が出来た。それに戸惑いを感じながらも、嬉しかった。ゼロスに抱いた憧れに似た淡い気持ちには、しいなはまだ気付いていなかった。 「あ…」 しいなは足を止めた。精霊研究所からテセアラ城へ向かう途中、貴族街からマーテル教会へ歩くゼロスを見付けたからだった。 ゼロスがなんともなしにこちらを見た。すぐにぱあっと笑う。 「しいな!」 お供のセバスチャンを置き去りに、しいなに向かって走り出した。 「おはよう、しいな」 「あ、うん、おはよう…」 積極的で馴れ馴れしい。やっぱり少し苦手。そんなふうに感じながら、しいなは応えた。 「…お城に用事?」 しいなの身体が向いているほうを振り返り、ゼロスは問う。 「う、うん…」 「ふーん?」 首を傾げたゼロスの視線がちくちく痛い。 「ぜ、ゼロスは?」 「ぼく? これから教会だよ」 ちらりと視線で示す。それからしいなの耳元に唇を寄せた。 「結構ね、神子ってめんどくさいみたい」 呆れたしいなに、ゼロスはやはり歯を見せて笑った。 「お城の用事はすぐ終わる?」 「あ、うん。そんなに時間はかからないと思うけど…」 「じゃあ…待っててくれる? ぼくのほうも、そんなに時間はかからないはずだから」 駆け寄ってくるときの笑顔や、耳に近付く唇、そうやって待ち合わせをしたがったり…そんなことにどきどきしてしまう自分に戸惑いながら、しいなは頷いた。頷きのあとにゼロスが破顔したことにも。 「じゃあ…、そうだな、教会の前の、一番大きな樹の下ね!」 言い残し、ゼロスはすぐに踵を返す。待っていたセバスチャンが会釈をしたので、しいなも頭を下げた。 執事の元に戻ったゼロスが二言三言交わし、しいなを向いて手を振った。 肩が凝る。突き刺さる視線から解放され、しいなは樹の幹に体を預けた。太陽は頂点に向かってじわじわと地表を暖めていた。 春はもうすぐそこ。暦はまだ冬。 ゼロスのことをぼんやりと考えた。雪の中に映える彼の髪。春は花の中に、夏は青い空を背景に、秋は夜の帳を受けて、それぞれ美しく浮かび上がるだろう。 自分とは違う。闇に生きる隠密、そして咎人の自分。過去を思い出し、じんわりと泣きそうになる。 「――ごめん、遅くなったね」 はっとして声がしたほうを向いた。眉尻を下げたゼロスと、影のように寄り添うセバスチャンがいた。 「う、ううん、たいして待ってないよ」 「ならよかった」 ほっとしたように笑って、やはり突然しいなの右手を掴んだ。 「ちょっ…」 「セバスチャン、ぼく、しいなと遊んでくるね。お昼には帰るから」 しいなの言葉を故意にか無意識にか遮り、ゼロスはセバスチャンにそう告げる。少し考えたのち、壮年の執事は頷いた。 「…かしこまりました。充分にお気を付け下さい。しいな様、よろしくお願いいたします」 たとえ年端もいかない少女でも、主の友人として敬意を払われる。しいなはぎこちなく頷いた。 「さ、行こう?」 「だから…きゃっ!」 「話はあとあと。時間なくなっちゃうよ」 強引。手を引かれ、なされるがままにしいなは付いていく。 「もう…」 もはや照れよりは呆れのほうが大きかった。 |