単純に、嬉しかった。女の子として扱われることが。二次性徴や思春期なんて関係なく、性に疎いまま身体ばかりが大人になっていく。置き去りにされた女の子である自分。その手を取ってくれたのがゼロスだったのは、間違いない。 「つ、付き合わないかって…、その…」 「一般的には、恋人同士になりましょう、ってことだよな」 肩を抱かれたまま、あたしは狼狽した。そんなことを言われたのは、むろん初めてだったからだ。 「だって…あたしたち、昨日初めて会ったばかりだよ?」 「愛に時間は関係ねーんじゃねーの?」 愛。耳がかあっと熱くなる。 「…わかりやすい反応だな」 ゼロスは笑った。 昨日の今日で、この男があたしを愛してるとは到底思えなかった。多少の好意はあるにせよ。 「まー、今すぐ返事をよこせとは言わねーからよ。ちょっと考えてみろ」 視線を太陽に戻した。テセアラ随一の女たらしと名高い彼からの、思いがけない告白。しかしその顔は涼しげで、何の動揺も表さない。 ゼロスは立ち上がった。今まで触れていた部分に風が通る。寒い。 「そろそろ、朝飯、食うか?」 笑っていた。 朝食のあと、あたしはゼロス邸をあとにした。振り返るあたしに「またな」と片手を挙げた。ごくごく普通の動作で。 「しいな…、何かあったの?」 あたしの肩でコリンは心配そうにしていた。 「ど、どうして?」 「だって、食事のときの態度、ゆうべと今朝じゃ全然違うよ?」 「そんなこと…」 「コリンにはわかるよ。しいなのことだもん」 「……」 押し黙ったあたしに、コリンももう何も聞かなかった。 「はい、今日の報酬」 「わ、だいぶ多いねえ」 驚くあたしに研究員は笑った。自嘲気味だ。 「こないだ迷惑かけたから、特別手当だって」 研究員の顔に貼られた大きな絆創膏を見、あたしも苦笑いした。 「そうかい。で…」 「故郷に送金してくれ、だろ?」 「悪いね」 同じやりとりを何回したことやら。この研究員はよくあたしを気にかけていてくれている。 「…前にも言ったけど」 「言わないでおくれ」 ためらいがちな彼の言葉を、あたしは遮った。言いたいことは解っている。 「じゃあ、また」 「しいな…」 あたしは踵を返して早歩きした。その場から少しでも早く離れたかった。コリンが肩に登る。ちらりと研究員のほうを見たが、彼もコリンも何も言わなかった。 拒絶していた。あたしは一匹狼みたいなところがあるからと、人と距離を置いた。深く係わり合うのは怖かった。失うことが怖くて、手に入れることを禁じていた。 今しがた精霊研究所から出ていった影を、ゼロスは目で追った。 「…しいな」 少し肩を強張らせて、彼女は早歩きしていた。その軌跡を辿ると、先日怪我を負った研究員が立ち尽くしている。そちらに足を運ぶ。 「よう。怪我、大丈夫か?」 「あっ、神子さま! 先日は大変ご迷惑を…」 「構わねーよ。それより、今しいなが行ったろ?」 「あ、はい」 「何か怒ってなかったか?」 研究員は顎に手を当てる。言っていいものか悪いものか迷っていた。 「その…、しいなはここには研究の協力者として来てもらってるわけなんですが…」 話すことにする。彼女を理解する人間が少しでも多くいたほうがいいと判断したのだ。 「ここでは報酬を払っています。召喚士なんてそうそういないわけですから、結構高額です。まあ、体内のマナにダイレクトに影響する実験なので相当きついとは思います」 ゼロスは眉を寄せる。 「そうして苦労して得た報酬を、彼女は全て故郷に送っているんです。自分のためには一切使わずに。過去に故郷と何があったかは教えてくれないし…」 罪ほろぼし。たくさんの失われた命を全部背負って、せめてお金くらいはと、自分の幸せを省みずに働いているのか。 「それで、あまりにも心配になってしまったので、少しくらいは自分のために使ったらどうかと言ったら…怒らせてしまいました。余計なお世話、だったんでしょうね」 「…なるほど、な」 研究員は自分より年下だが自分より背の高いゼロスをちらりと見上げた。 「あの、神子さま?」 「あ?」 「この前の件から…しいなと付き合いが?」 「ああ。あるぜ」 研究員はほっとした。人との交流が新たに出来ることは、しいなにとってはいいことだと思っている。 「性格も明るいし人はいいんですが、どうも他人と距離をとってつっけんどんな態度を取るんですよね。あれでもコリンとの契約が成功してからだいぶ丸くはなったと思うんですが…」 ゼロスは軽く目を細めた。睨むように鋭く。 「はっはーん、あんたはしいなが好きなんだな?」 「えっ!?」 一気に顔が赤くなる。一目瞭然だ。 「わかるぜ。いい女だもんな」 口元はニヤついているが、目は笑っていない。研究員は俯いたために気付いてはいないが。 |