「すっ、好きっていうか、妹みたいに思ってるだけですっ」
「へえ? なら俺さまの女にしても問題ないよな?」
「えっ?」
 研究員は唖然とした。そういえば、今目の前にいる人物は。
「し、しいなは簡単には落とせないと思いますが?」
 研究員の虚勢。
「だから燃えるんじゃねーか」
 ゼロスの嘘。
「ま、あいつのことは俺さまに任せてくれや」
「み、神子さま」
 軽く手を振って立ち去るゼロスに、研究員は一抹の不安を覚えた。



「しーいなっ」
 呼ばれて、あたしは振り向き、身体を緊張させた。
「ゼロス…」
「よっ」
 近寄るゼロスに後ずさりする。
「…そう警戒するなよ。別に取って食おうって気はさらさらねーからよ」
 警戒してしまうのは仕方ない。あの日からまだ一週間も経ってないのだ。
「な、何の用だい?」
「つれねーなぁ。約束忘れたのか?」
「…約束?」
 ゼロスはがっくりと肩を落とす。
「手料理作ってくれるって言っただろーが」
「あ…」
 忘れていた。というかあの告白で吹っ飛んでいた。
「このあと、暇か?」
「…まあ、予定はないけど」
「なら、決まりだ。食材買って俺さまんち行くぜ」
 勝手に決めて勝手に歩き出して促す。あたしは力無く「まったく…」と呟いて後を追った。

 タコ以外の好き嫌いはないと言う。まあ、社交界の人間はそうも言ってられないのだろう。
 お金はゼロスが出してくれた。彼いわく「俺さまが食べたくて作ってもらうんだから、俺さまが出して当たり前だろ?」だそうだ。ふたり分の食材を買うということは、思ったより照れ臭かった。青果物店のおばさんは顔馴染みのようで、からかわれたりもした。
 荷物は全部ゼロスが持ってくれた。さりげない優しさは、女性の扱いに慣れている証拠だと思う。
 調理場には料理長さんだけがいた。前回泊まったときに知り合った、恰幅のいいおじさん。ミズホの料理にとても興味を持っていた。
 調理器具の使い方や調味料の位置を教えてくれ、エプロンも貸してくれた。エプロン姿のあたしにゼロスは何か言いかけたが、言葉はなかった。
 リクエストは「おまえがミズホでいつも作るような家庭料理でいい」ということだ。ゼロス自身もミズホ料理に興味があるのだろう。幸いにも、ふたり分作るくらいの調味料はある。ゼロスと料理長さんに見守られながら、あたしは調理を開始した。
 料理長さんの分も作ろうかと提案したが、やんわり断られた。作り方を見せてもらえれば、それで充分だと言う。もしゼロスが気に入ったなら、ミズホの調味料を送ると約束した。
 作っている間、ゼロスは壁にもたれかかりながら黙って見ていた。時折、邪魔にならないようにと隣で待っているコリンと二言三言会話を交わしているのが解った。

 ゼロスは食卓に並べられたメニューを見つめた。興味津々、という表現がぴったりの目だ。
「いただきます」
 あたしが手を合わせると、ゼロスもそれに倣った。
「…うまい」
 魚の煮付けに手を伸ばしたゼロスは、感動したように呟いた。食文化も全く違うし、ましてや彼は貴族だから口に合うか心配していたが、杞憂だったようだ。
「いや、マジでうまいな、これ。初体験な味だけど、全然違和感ねーし」
「食べながら喋るんじゃないよ」
 あたしは苦笑いした。
「この肉とポテトの煮物の味付けは?」
「それは砂糖と、醤油って調味料がベースさ」
「このスープは?」
「それは味噌。どちらも穀物を発酵させて造る調味料だよ。基本は豆だけどね」
 見る見る皿を空けるゼロスになんだか嬉しくなると同時に、貴族がこんなに行儀の悪い食べ方をしていいものか、再び苦笑いしてしまった。
「…ま、普段食べつけてないものだから特別おいしく感じるのかもね」
 ゼロスは手を止め、フォークであたしを差した。…行儀が悪い。
「んなことねー。シンプルだけど、料理はしっかりしてる。素材に合わせた調味料の使い方もうまい。毎日食べられる味だ。この舌の肥えた俺さまが言うんだから間違いない」
 毎日食べられる味…。あたしはあやうく箸を取り落としそうになった。意識し過ぎだ。
「おまえと結婚する男は幸せだな」
 がつがつと食べながら何ともなしに言った台詞に、今度こそ箸を落とした。そのあたしを見て、ゼロスは笑う。
「…俺さまんとこに嫁に来てもいいんだぜ?」
「バカ言ってんじゃないよ!」
 テーブルを挟んでいたため殴ることは出来ない。その代わりに札を投げ付けた。ぺたっとゼロスの口に張り付く。
「冗談も休み休み言いな」
 札をはがして、やはりにやりと笑う。
「冗談…じゃないぜ? ハニー」
 あたしは箸を拾い上げながらゼロスをじろりと睨む。まったく悪びれる様子も見せない。
「そういや、今日の宿はどうすんだ?」
「え? っと…まだ決めてないけど」

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