「別に、あんたの元に帰ってきたんじゃないよ」
「素直じゃねーな。…おかえり」
 歯を見せて笑う。今度は髪をくしゃくしゃに撫でた。
「…ただいま」
 その答えに満足したようだ。手を下ろす。
「このまま泊まってくか?」
 三度めの溜息。
 その台詞で理解した。もともと、この男はあたしを抱く気はなかったのだと。
 あたしが答えずにいると、少し顔を近付けてきた。
「泊まってけって。…さっき寝てたら嫌〜な夢見ちまってな。気分悪かったんだ」
 甘えている。珍しいことだった。
「ま、その気分悪いのも、愛するハニーの笑顔で吹っ飛んだけどな」
 軽口を叩きながら上着を脱いで放り投げる。うまい具合にソファにかかった。そのまま仰向けに、あたしの太ももに頭を乗せる。
「こら、甘えるんじゃないよ」
「たまにはいいだろ」
「あたしが寝れないんだよ」
 口元が、ふ、と息を吐いた。あたしに泊まる気があると理解したようだ。
「俺さまが寝るまででいい。な?」
「まったく…しょうがないねえ」
 四度目の溜息と共に吐き出された言葉に、ゼロスは子供のように笑った。
 指を紅い髪に差し込んで軽くすく。ゼロスは心地良さそうに目を閉じた。優しく耳に触れ、マッサージする。
「あー、それ気持ちいい。眠くなる」
「ここかい?」
「ん〜…」
 あくびがひとつ。
「…しいな」
「なんだい?」
「おやすみのキスとか…」
「早く寝な。あたしの足が痺れる前にね」
「つめてーの」
 目を閉じたままだった。眠りに落ちるまでそう長くはなさそうだ。
 膝枕をして、男の髪や耳を触る。傍から見れば恋人同士に見えるだろう。しかし、傍で見る人がいればこんな真似はしない。それはお互い承知の上だ。
 あたしははっきり断った。あんたとは付き合えないと。
 すう、と呼吸が変わった。寝息。赤い眉と睫毛。すっと通った鼻筋。厚くもなく薄くもない、バランスの取れた唇。
 五度目の溜息。一体何人の女が、彼のこの顔を見たやら。
 そっと膝枕からゼロスの頭を降ろす。小さく呻いて横向きになった。ふたりが横になっても十二分にスペースのあるキングサイズのベッド、ゼロスの顔が向いたほうに横になる。
 天蓋を見つめる。今まで何回この天蓋を見ただろうか。あたしが何度か見たこの天蓋を、他の女の子は見たことがないらしい。
 顔を横に向けた。無意識に身体を丸めて眠る人間は、防衛本能が強いらしい。大の字になって寝ていそうなイメージがあったから、こんなふうに眠るゼロスを初めて見たときは意外に思った。

 恋ではない。あたしたちの間にあるものは、郷愁や共感の延長線上にあるものだ。
 互いに求め合うものは愛じゃない。慰めと、安らぎ。情に微かに似たもの。
 男とか女とか、そういうものではない。少なくとも、あたしはそう思っていた。



「しいな、起きて」
 その声にうっすらとまぶたを持ち上げる。
「…コリン?」
「起きてよ」
 目の前にはコリンの顔。その向こうに見えたのは、よく知った天蓋。
 身体を起こし、まぶたをこする。昨夜のことを思い出した。
「なんでゼロスなんかの部屋で寝てるの?」
 嫉妬心を燃やすコリンに、あたしはまだ寝ぼけた頭で質問をした。
「…ゼロスは?」
「とっくに起きてるよ」
 疲れていた上に、テセアラに帰ってきた安心感で、だいぶ熟睡できた。
 大きく伸びる。
 はっきりしてきた頭でコリンを見ると、まだ怒っているようだった。
「別に何かされたわけじゃないよ。あいつを信用できないのはしょうがないにしてもさ」
 言いながらベッドを降りる。コリンはまじまじとあたしを見た。
 少しシワになった服を簡単に伸ばし、身嗜みを整える。そういえば、髪はおろしたままだった。
 リボンを手に取ってドレッサーに向かい、引き出しから櫛を出す。勝手知ったる…という感じだ。
 ノックもなしにドアが開いた。
「よう、起きたか」
「おはよう」
 鏡に映るゼロスに挨拶をする。
「やってやろうか、髪」
「自分で出来るよ」
 苦笑いしながら髪をとかす。
「今度スタイリングしてやるよ」
 腕組みして壁にもたれ掛かり、準備が終わるのを待っているようだった。
「結構だよ」
「…残念」
 鏡の中で肩をすくめた。
「飯は?」
「…ロイドたちはどうするんだい?」
「さあな。多分城で食うだろうよ」
 時計を仰ぎ見る。少し寝坊気味だ。
「…じゃあ、簡単に頂こうかな。ロイドたちには悪いけど、お城の食事はちょっと、ねえ」
「おう、食ってけ。ウチのシェフの飯も久し振りだろ」
 きゅっとリボンを結ぶ。立ち上がると、ゼロスももたれ掛かっていた背筋を正した。
 にやけながら近付いて来る男との間にコリンが割って入る。敵意剥き出しの形相に、ゼロスは薄く笑った。
「小さな騎士、か。しゃあねえな」

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