銀河へ逃避行1



紫苑というやつは少々変わっていて、いつまでも夜空を飽きることなく見つめている。


「おい、風邪ひくぞ」
この寒空の下、わざわざ小さなベランダに薄着のまま出て行って、しばらくそのまま帰って来ない。
紫苑という少年とネズミが同じ寮の相部屋になってから、数週間が経つ。ベッドが二つ、勉強机が二つ、本棚が二つ、それぞれ揃っているネズミ達の部屋は二人部屋だった。
育ち盛りの男子高校生二人が、一緒に住む部屋としては狭い。


今までネズミは二人部屋を一人で使っていた。
しかし、先日大規模な部屋替えがあって、ネズミはよく噂を耳にする少年と相部屋になったのだ。
紫苑は特異な外見に、天才的な頭脳を持つ生徒だった。その類まれな才能のせいか、噂が一人歩きをしているような人物。実際のところの紫苑の性格は未だによく分からない。
クラスメイトの一部が、紫苑のことを「気味悪い」と称して、影で「宇宙人」と呼んでいることは知っていた。


紫苑は授業が終わり、この部屋に帰ってくると読書をしているか、飽きもせずにああやって星空を眺めているのだ。
曇りや雨の日は、諦めて室内で読書をしている姿をよく目にした。人付き合いは苦手らしく、紫苑はあまり喋ろうとしない。
それは干渉されることがあまり好きではないネズミにとって、好都合だった。



今日も彼は消灯時間を過ぎても、まだ空を見上げている。一体何が楽しいというのだろうか。
「おい、紫苑」
彼の名を呼ぶと、びくりと大げさに肩を震わせた。
「……え?」
「おれは寝る。さすがに風邪ひくぞ」
そう言って、紫苑に彼自身の持ち物であるダッフルコートを投げてやる。運動神経は並か、それ以下らしい紫苑は危うくコートを落としそうになった。
「おやすみ」
「……お、おやすみ」
目をぱちくりさせて、紫苑は就寝の挨拶を返す。ネズミはからからとベランダのガラスの引き戸を全開にした。
ふわり、あくびを一つしてベッドに潜り込む。布団はすっかり冷たいし、開けたベランダの引き戸から夜の冷気が部屋へと流れ込んでいた。



しばらく目を瞑っていると、すぐそばに人の気配がした。
「……何?」
目は開けずに尋ねた。誰が自分の顔を覗き込んでいるかなんて、すぐ分かる。
「ネズミ、どうして?」
「何がだよ?」
そこでようやっと、ぱちりと両目を開けた。紫苑が幽霊みたいな顔をして、そっとこちらを伺っていた。

「どうして、ベランダの引き戸を開けておいたの? 寒いだろう」
「寒いさ。でもあんたが外にいただろう」
「閉めたらいいじゃないか。きみまで寒い」
「おれがあんたを閉め出したみたいになるだろうが」
紫苑はわからない、とばかりに首を傾げた。
「……ネズミ、きみは優しいね」
「はあ? おれが?」
「うん。今朝、ぼくがいつまでも寝ていたら、起こして食堂まで一緒に行ってくれた。一緒に朝食を食べてくれた。放課後、先に帰っていたきみは後から帰宅したぼくに『おかえり』って言ってくれた。さっきだってそう、風邪をひくってコートを持ってきてくれた。引き戸を開けておいてくれた」
紫苑はつらつらと続けた。
なんだかんだ言いつつ、ネズミは紫苑を気にかけていた。何故だか知らないが、気になるのだ。
「……普通じゃない?」
「普通じゃないよ。ぼく、こんなことされたことない」
彼は至極真面目な顔をして、じっとネズミを見つめた。なんとなく気恥ずかしくなって、ネズミはあらぬ方向へと視線を泳がせた。


「……あんたの前のルームメイトは、こんなことしてくれなかったの?」
ネズミとしては当たり前のことをしたつもりだった。しかし、紫苑は目をきらきらと輝かせてネズミを見つめてくる。その視線に、一体何の意味が込められているのか分かるはずもなく。

「……前のルームメイトの人とは……あんまり話をしなかった」
「ふぅん。あんたが空を見つめている時、引き戸を開けてはくれなかったわけだ」
「うん。鍵を閉めていたよ」
当然だよ、と言うふうに紫苑は頷いた。その言葉に、ネズミは勢いよく起き上がった。
「は? じゃあ、あんたそれ本当に閉め出されているじゃないか。部屋の中に入れてもらえなかったのか?」
「朝になったら、鍵を開けてくれたよ」
「一晩中外にいたのか? この寒空の下に?」
信じられない、とネズミは眉間に皺を寄せた。ふざけているにしても、度を超えている。あんな薄着で外に閉め出されたら、風邪どころの騒ぎじゃなくなる。
「いつもじゃないよ、たまにだよ」
「……その前のルームメイトもルームメイトだけれど、あんたもあんただ。そんなことをされて黙っていたのか?」
「だって……一人じゃ、何もできない……」
そう言って、紫苑は目を伏せた。泣いているのかと思ったが、光る雫は見えなかった。
「あの人たちは……たまに、嫌なことをする。痛いことをするから、ぼくは……今ほっとしている。ネズミと同じ部屋になれて良かった」

「あの人たち」と言うことは元ルームメイトの他に、そいつの仲間もいた訳だ。複数対紫苑一人など、分が悪すぎる。
紫苑が元ルームメイトに何をされたのか、深く追求はできなかった。紫苑の表情が次第に暗く、固くなっていることが分かったからだ。
なんとなくその姿に庇護欲をそそられて、ネズミは紫苑の冷たい白銀の髪を梳いた。

紫苑はきっと同情なんて求めていない。
ほんの少し、他人と違うやつで、ほんの少し、他人とずれているやつで、けれどもごく普通の少年だった。
優しくされて戸惑っているだけの、優しい少年だった。
夜風に晒された冷たい紫苑の髪は、さらさらと触り心地が良かった。紫苑も黙って、されるがままになっている。気持ちよさげに目を閉じているように見えて、それが小動物を彷彿させた。



「あんた、いつも夜空を見ているけれど……星好きなの?」
一歩、ネズミが珍しく相手の領域へ踏み込んでみた。紫苑は淡く微笑んだ。
「うん、好きだ」
紫苑の心の底からの笑みを見た気がして、ネズミは全身が熱くなった。
――なんだ、笑った顔も悪くない。
そんなことを考えてしまうあたり、ネズミも大概紫苑を気に入っているらしい。自分でも意外だった。


「……あんた、夜この寮を抜け出す度胸ある?」
試すように、ネズミは唇を歪めて笑った。おぼっちゃんには無理か、と言うような目線を投げかける。
それを受けて、紫苑は唇を尖らせた。
「ばかにするな」
どうやら男としての度胸はあるらしい。




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