グロリアス・デイズ(中編)2



「ネズミ……本当に、帰ってきたの? 今、どこに住んでいるの?」
思わず、涙声になる。
会いたかった。
けれど、四年前と同じように接していいものか迷っていた。彼はもう『子ども』ではないのだから。

「この近くにアパート借りてる」
「そんな……ぼくの家にまた住めばいいのに」
「そうもいかないだろ」
苦笑するネズミは、見上げるほどの背だ。
「……本当に背高くなったね」
「そりゃあ、四年も経てば」
「……なんか違う人みたい」
「……怖い?」
そうやって問うネズミの瞳は優しい。長い睫毛が影を作っている。
「……分からない」
「この傘持って行きな」
ネズミは紫苑に自分の傘を押し付けた。
「えっ? そうしたらきみが濡れちゃうよ」
「おれはアパート近いから大丈夫。あんたこそ、それ以上濡れたら風邪ひくぞ」
「駄目だ! この傘はきみのものなんだから、きみが持つべきだ」
「……相変わらずあんた、頑固だな。じゃあ送っていく。それでいいだろう?」
それなら……ということで、紫苑は渋々頷いた。お互いの精一杯の譲歩だ。
こんな人通りの多い道で立ち往生したまま口論など、不毛過ぎる。


自然にネズミと紫苑は相合傘をする構図となった。ネズミの肩と触れ合う度、胸が高鳴って緊張を要した。
「なんかあんた大人しくなった?」
ネズミにそう言われるまで、無言のまま歩いていたことに気づかなかった。
「え……そうかな」
「無理しなくていい」
そう言うネズミがまた離れて行ってしまいそうで、とっさに紫苑は彼の制服の袖を掴んだ。彼が今傘を持っている方の腕だ。
「どうした?」
「いや……だってまた、遠くへ行っちゃうんじゃないかって」
「あんたに負担をかけるようであれば、そうするよ」
「負担じゃない!」
「ムキになるなって」
「……ネズミ、左肩濡れてる」
ネズミは紫苑に雨がかからないように、傘を自分の方へ傾けてくれていたのだ。だから紫苑と触れる反対側の腕が濡れていた。
ネズミのさりげない優しさに気づいて、また赤面する。


「……ボーイフレンドはできたか?」
唐突にネズミが尋ねて来た。
「なっなんで」
「さっき告白されてたじゃないか」
「やっぱり、ぼくのことを『天然だな』って言ったのはきみだったのか。悪趣味だぞ、見てたのか」
「紫苑に声をかけようと思ったら、修羅場だったのもので。成り行きを見守っていたのさ」
「酷い」
紫苑は頬を膨らませた。拗ねたような仕草で、ボーイフレンドなんてできないよと呟いた。
「……きみこそ、ガールフレンドはできた?」
恐る恐る、紫苑はネズミに尋ねる。
「……四年前、言っただろ? 返事、聞きにくるって」
そう答えたネズミの瞳は真剣そのものだった。
すれ違えば誰もが振り返りそうな美しい人は、真っ直ぐ紫苑だけを見つめていた。
「あ……え……じゃあ」

「おれは今でも紫苑が好きだ。四年前からこの気持ちは変わらない。いや、たぶんそれ以上」
紫苑の指はネズミの裾を掴んだままだった。傍から見たら、恋人同士に見えることだろう。
この通りは人が少なくて、今はネズミと紫苑以外の人の影は無かった。
ネズミの歩みが止まる。紫苑も立ち止まる。
「さっき再会したばかりなんだ……分からないよ……まだ、自分の気持ちが」
紫苑は言葉を濁した。
自分はいつまでネズミを待たせるというのだ。
ネズミこそ、紫苑の気持ちに縛られて身動きが取れないのではないだろうか。今、一番楽しい時間を紫苑が縛り付けているのだ。
煮え切らない自分自身に腹が立った。
あれほどネズミとの再会を望んでいたというのに、いざ会ってしまうと自分の気持ちが分からなくなる。
自分はネズミを困らせてばかりだ。彼は自分を追い越して、大人になってしまったように思える。


「……そうだな、確かに。まだ再会して数分だしな」
「ご……ごめん……四年も待ってくれたのに」
四年も、変わらず自分を想ってくれていたというのに。
「いいよ。紫苑がおれに対してそんな表情をしてくれたってだけで、収穫はあったさ」
「え?」
そんな表情? 一体自分はどんな顔をしている?
「気づいてないの? あんた今、項まで真っ赤だよ」
「え!」
咄嗟に両手で自分の頬を挟み込む。熱い。熱でも出たみたいだ。
頬に当てた紫苑の手に、ネズミの手がそっと重なる。
「うわ、熱い」
逆にネズミの手のひらは冷たい。反射的にびくりと、硬直してしまった。
「……嫌か? 怖いか?」
紫苑の手に手を重ねたまま、ネズミは確認を取る。
黙ったままでいると、ゆっくりネズミの手が離れた。
「あっ」
離れてしまったネズミの大きな手が恋しくて、思うがまま彼の手を掴んでしまった。そうして手を繋いだ形になる。



「……手、握ってるけど……嫌じゃないの?」
「わ、わかんない。分からないけれど離れて欲しくないって思ったんだ」
自分の心が抑制できない。ネズミの前だと自分自身が不安定になる。
紫苑の言葉に、ネズミは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「おい……あんたそんなこと軽々しく言うなよ。理性が効かなくなる」
「え……だって本当に、ネズミが離れるのが嫌で……緊張するけれど、離れる方がもっと嫌で……」
「そうだ、あんた天然だったよ。忘れてた」
呆れ顔で言うネズミの頬は、ほんのり色づいていた。

「ね……ネズミ、あのさ」
「何」
「き、嫌われるのを、承知で言うんだけれど……」
「? 何?」
「だ、抱きついてもいい?」
今度はネズミが硬直する番だった。
「ごめん、変なこと言って」
言い切る前に、ネズミは紫苑の細い身体を抱き締めていた。
傘がスローモーションのように水たまりへと落ちる。
ネズミの匂いが鼻腔をつく。あっという間に自分はネズミの腕の中だ。
温かい。緊張する。でも、安心する。怖い。でも、愛しい。
「……あんた、小さくなった?」
「きみが大きくなったんだ」
肌を振動させて声が届く。
「でも……温かくて柔らかい」
「なんか……言い方いやらしい」
「健全な男子高校生なもので」
思わずふふっ、と笑ってしまった。
顔を上げると、ネズミがこちらを見つめていた。愛しそうな顔をして。
ゆっくりと顔を近づけ、こつんと額を合わせる。
嫌じゃなかった。近くて、落ち着かなくても、彼と紫苑を隔てる距離がもどかしかった。


紫苑が瞳を閉じると、ネズミはそれを合図に紫苑の紅い唇に自分のそれを重ねた。
「ん、」
鼻から抜けるような自分の声に、恥ずかしくなった。
薄く開いた唇の隙間から、ネズミの熱い舌がぬるりと侵入してくる。彼の舌に翻弄される。
口の中を愛撫され、紫苑は自分の身体が熱くなるのを感じた。
「あ……」
抵抗しようと思えば、出来たはずだ。けれど、紫苑は抵抗するどころか、おずおずとネズミの舌に自分の舌を絡ませてきた。ネズミはたどたどしいその行為が嬉しくて、なおいっそう紫苑の口腔内を貪った。
二人は雨の中、夢中になってキスをした。


やっと二人の唇が離れた時、すっかり紫苑は息が上がってしまっていた。そのまま、くたりとネズミにもたれかかった。

「ごめん……紫苑……つい我慢できなくて」
「いや……謝らないで」
気恥ずかしくなってしまい、ネズミの顔をまともに見ることができない。
ネズミとのキスは気持ちが良かった。あんな大人のキス、したことがなかった。
ネズミは一体どうやってあんなキスを覚えたのだろうか。
自分以外と……キス、したのだろうか。そう思うと、どうしようもなく胸が痛くて泣きたくなった。



この気持ちは何だろうか。

都合が良すぎる自分に嫌悪する。
けれども、それ以上に目の前にいるこの男を手に入れたいと願った。



ああ、自分は女なのだと自覚する。







(後編へ続く)


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