二人事3




こんなつもりではなかった。
こんなつもりではなかった。


「あんたなんか、居なくなっちゃえばいいのに!」

あんな非道い言葉、言うつもりなんか無かった。
自分自身が発した言葉に、深く傷ついた。
驚いた、自分が言った言葉に自分が傷つくことなんてあるんだ。


驚いたように固まったままの紫苑の姿が、目に焼きついていた。激昂して、こんな季節にアイスレモンティーを頭から浴びせてしまった。

自分はなんて醜くて、みっともなくて、最悪な女なのだろう。


喫茶店の重いドアを開けると、そこにはわたしの想い人が立っていた。

――ネズミ。


一気に背筋が凍る。
と、いうのも彼、ネズミの顔には一切の感情が無かったからだ。
無表情で自分を見るその姿は、まるでよくできた美しい人形のようだった。


「あ……」

何か言おうとして、口を噤む。今更何を言おうというのだ。
数時間前、自分はこの男に想いを打ち明け、玉砕したのだ。

目の前にいる男が恐ろしく感じたが、このまま立ち往生もしていられない。目を合わせないように一歩踏み出したところで、彼が声を発した。
「悪いんだけれど」
背の高い彼を仰ぎ見ると、艶やかに笑っていた。

「あいつ、おれのなんだ。だから、あんまりちょっかいかけないでくれる?」
あいつ、とはもちろんあの白い男の子のことだろう。


「……あなたって、独占欲の塊ね」
自嘲気味に笑う。頬の筋肉が引きつって、うまく笑みの形を作れなかった。

今度こそ、ネズミの脇を素早く通り過ぎる。
「ごめんね」
発した言葉は予想以上に小さな声だったので、彼まで届いたかは分からない。
この謝罪がネズミに対してのものなのか、紫苑に対してのものなのかさえ、今の自分には分からなかった。



幼い時から「可愛い、可愛い」「玉のような女の子」「器量がいい」と慈しまれ、愛でられ、
生きてきた。
そういった賞賛は、いつしか当たり前になった。

自分が他人より秀でていることが分かると、相手にもそれ以上を求めるようになった。
美しい自分に付き合う男性は、自分に見合うそれなりに美しい男でなくてはならない。

周りからちやほやされて生きてきて、すっかりプライドは無駄に高く、頑なな性格になってしまった。


最初はネズミのことなど、好きでもなんでもなかった。
ただ、彼が自分の恋人だったらどんなに素晴らしいことだろうと思った。
みんなが羨む人物が、自分の恋人なのだ。なんて幸せだろう。
今以上に、きっとみんなわたしを羨むに違いない!


周りの友達は「絶対お似合いのカップルになる」と褒めちぎって応援してくれた。
今、思えばあんなの応援でもなんでも無かった。ただ、わたしに合わせてくれていただけ。
本当に友達なのかさえ、分からなくなっていた。
彼女らは、心の底ではわたしを嘲笑っていたのかもしれない。



わたしの醜い自尊心など、ネズミはとっくに見抜いていた。

「おれじゃなくたっていいだろう、あんたの恋人は」
告白したわたしに、彼はそう言った。
「あんたのプライドを満たすためだけの奴なら、ほかにもいる。あんたはおれのこと、好きじゃないよ」
言っている意味が分からなかった。ただ一つ理解できたのは、今自分は振られたのだ。

否、自分は本当にネズミという男に惚れていたのだろうか?
自分の幸福感に浸っていただけではないのか?

「あんた、そういう紅よりもっと薄い色が似合うと思う。ローズピンクくらいの」
彼は整った己の唇を指して言った。


なんとも惨めな気分になった。
このむしゃくしゃした想いの矛先を、わたしは白い男の子に向けてしまったのだ。
そう、彼は悪くない。何も悪くないのだ。


あんなことをされて、言われて、文句のひとつも言わなかった。反論も、声を荒げることもしなかった。
優しい人だと思う。
逆に自分がどれほど醜い人間か、気づいてしまった。できることなら、気づかずにいたかった。


結局、自分は紫苑の恋敵にさえ、なれなかったのだ。



北風が自慢の髪を乱れさせた。銀杏並木が揺れている。
ぐしゃぐしゃになった頭など、もう気にもならない。直したところで、何がある。何もない。
誰も自分など見てくれないのに。




「あっ! やっと見つけたぁ」
「ちょっと、電話くらい出なよ」
「どこ行ってたの?」

前方から小走りで、友人たちがやって来た。
数時間前まで、わたしの恋路を応援してくれていた子達だ。
……本当に応援してくれていたのか定かではないが。

「……ほら! 今日は女子会だよ!」
「え?」
わたしは呆然と彼女たちを見上げる。

「ぱーっとやるよ! 今日はオール!」
「ほら、行くよ!」
彼女たちはわたしのサイドから腕を引っ張る。状況が飲み込めないわたしは、口をぱくぱくとさせるばかりだ。

「飲んで忘れるの!」
「今日の主役はあんただよ! ……ってどうしたの? えっ泣いてる? 嫌だった?」
気がつけば、わたしは泣いていた。大粒の涙が止めどなく溢れてくる。
彼に振られても泣かなかったのに。

わたしは、今嬉しくて泣いている。彼女たちの気遣いと、優しさに触れて泣いている。

「違うの、違くて……っ」

「泣いていいんだよ」
そう言った彼女たちの言葉は、暖かかった。そっと背中に回された手は、優しかった。


知らなかった。言葉って温度があるのか。



まっさらな状態で、彼女たちとまた一から関係を築けるだろうか。
わたしは変われるだろうか。
彼女たちに見合う、優しい人間に、優しい友になれるだろうか。



あの白い男の子に、きちんと謝ろう。
優しい人間になれるだろうか。




彼らにとってわたしのことなど、他人事。
わたしにとって所詮彼らは、他人事。



END



[*prev] [next#]
[]





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -