夢を見る。それは、懐かしいような、初めて見るような、そんな感覚。
 誰かが隣にいて、自分はその誰かと笑っていて。近くには、自分たちを見守る誰かがいた気がする。何故だか、自分にすら顔に靄がかかったようだった。
 隣にいる誰かが話しかける。聞こえないはずなのに、自分は何か答えている。なぜだか、自分の声も聞こえない。
 見えないはずなのに、そんな自分の言った言葉に対し、隣にいた誰かが笑った気がして。それが、なんとなく嬉しくて。でも、わからないのがなぜか無性に辛くて苦しくて。
 わかるのは、ただこれが幸せな夢で、現実には起こりえないことだということ。隣にいる誰かが、いつしかいなくなってしまいそうで。助けてと小さく呟くが、届かず。
 そしていつしか、意識は黒く塗りつぶされていく。隣にいた誰かを無くすように……。

 目を覚ますと、そこはいつもの自分の部屋。いつもと違うのは、自分が寝ているのがベッドではなく床であることだ。
 一瞬、自分がなぜ床で寝ているのかわからなかったが、ベッドのほうへ目を向けて納得する。今は、客がいるのだ。
 さっきまで、自分が何か夢を見ていた気がする。思い出そうとしたが、頭に靄がかかったようで思い出せなかった。
 起き上がり、体を軽く動かす。少しかたい体がほぐれていく。見ていたと思っていた夢も、体を動かしたことにより霧散していった。
 窓の外は薄暗く、日が出始めたばかりの時間帯。これからどうしようかと考えたが、とりあえず今ベッドに寝ている人物に声をかける。今日から、ここで働くことになったのだ。
 声をかけると、まだ眠たげな声が返ってくる。まだ仕事が始まるまでに時間はあるが、色々と準備は必要だろう。
 数分して、ベッドで寝ていた人物はもぞもぞと体を起こす。エルヴィンより小さく、細い体。寝るために着ている服が薄いためか、体格がよくわかってしまう。頼りなさを感じる体は、消えてしまいそうな儚さを感じた。
 ベッドから起き上がったクリスは、一度小さく頭をふるとエルヴィンへと顔を向ける。そして、やわらかな笑顔を向けて挨拶をした。
「おはよう、エル」
 不意打ちをくらったかのように、エルヴィンは驚く。彼に笑顔を向けてくれる人物など、基本的には友人であるライナルトか義父であるシルヴェスターくらいのものなのだ。その二人以外から向けられた笑顔は久しぶりで、エルヴィンはこそばゆさを感じた。
 しばらく何も言わなかったが、挨拶を返さないのは人として良くない。慌てて、彼女から顔を逸らして挨拶を返した。いつも以上にぶっきらぼうになってしまったが、今のエルヴィンには気にする余裕はない。幸い、クリスはまだ寝ぼけているためかエルヴィンの様子に気づかなかった。
 人と過ごしても不快とは感じない朝だった。それは、久しぶりに感じる快さでもある。彼女への気持ちの変化に気づかないふりを続けながら、エルヴィンは思う。この日常が、続けばいいのにと。しかし、そう思ったことをエルヴィンは数分後後悔するのであった……。

 食堂は、朝食の時間にしてはまだ早いためか空いている。しかし、同じ時間のいつもより人が多い気がした。その理由は、恐らく今日からこの食堂で働き始めたクリスのせいだろう。
 まだ少女から抜け切らない彼女が、男の多い職場で働くことになったのだ。興味本位で、どんな人物なのか気になっているのだろう。
 新人のため、クリスは先輩について仕事を覚えている。懸命に覚えていこうとする姿勢は健気だ。その様子が愛らしいのか、様々な人が彼女を優しく見守っている。
 そんな食堂の雰囲気に苛立ちを覚えながら、エルヴィンは食事に手をつけ始めた。こんなことで騒がしくなるとはどういう了見なのかと考える。ここは気を引き締めないといけない。どうやろうかと考えていると、誰かが声をかけてきた。
 見ると、そこにはライナルトの姿。手には、食事を持っている。いつもはもう少し遅い時間に食堂に来る彼である。どうしたのかと問うと、話しがあると返ってきた。
 エルヴィンの前の席に座ると、ライナルトは真面目な顔をする。いったい何事かと思うが、彼が言うまでは口を出さない。今のライナルトの顔は、まさに真剣そのものだった。
「実は、今度結婚するんだ」
 ライナルトの言葉に一瞬驚く。しかし、すぐにお祝いの言葉を言い、エルヴィンは友人の吉報を素直に喜んだ。
 ライナルトは、親がいない。それよりも、家族と呼べるものすらいなかった。そんな彼がエルヴィンと同じく軍学校へ入ったのだが、そこに至るまで、いや至ってからも苦労したのだ。普段飄々としているが、その内では様々なものを抱えている。その彼が、大切な友人が欲しかった家族という存在を手に入れるのだ。嬉しくないはずがない。
「よかったな。相手は、定食屋のあの子か?」
 尋ねると、ライナルトは素直に頷く。3年前、街の中心部にある定食屋で働いてる女性にライナルトが一目惚れした。告白して何度断られても諦めず、彼女が折れて付き合うに至ったのだ。
 少し寂しさもあるが、それでもライナルトの幸せそうな顔を見るとやはり嬉しい。
「一番最初にお前に報告できて良かったよ」
 エルヴィンにとってライナルトが大切な唯一の友人であるのと同じように、ライナルトもエルヴィンのことを大事な親友だと思っている。その言葉だけで十分だった。
「ところで、一つ聞きたいことがあるんだが」
 ライナルトが改まって言う。それに嫌な予感を覚えながらも、一応聞く。聞かなくても、勝手にライナルトは言うのだが。
「エルって女の名前だよな」
 そう言ってライナルトが目を向けた先には、勝手につけた愛称を呼びながら手を振るクリスの姿があった。
「なんでそれで呼ばれてんだ? もしかしてお前そういう趣味があるの?」
 さて、なんて説明しようか。痛む頭を抑えながら、エルヴィンは悩み始めた。

 夕方の時間だが、今は冬に近いためかすでに暗い。風も冷たく、四肢が冷えるのを感じる。はやく帰ったほうがいいだろうか考えながら、エルヴィンの足はしらず速くなった。
 朝は散々だった。初出勤のクリスの様子を見に来た同僚たちが、騒がしくて落ち着くことができず。そして注目されていることに気づいていないクリスに手を振って呼ばれたため仕方なく振りかえすと、まるで敵を見つけたかのような目で見られ。いつもとは違う、嫉妬の感情にエルヴィンは何ともいえない気分を味わう。
 幸いか、エルヴィンの普段の様子から近づいて話す人物はライナルト以外おらず。質問責めには合わなかったがまるで針のむしろのようだった。
 考え事をしていると、いつの間にか寮の前に着いた。そこからふと、誰かの気配を感じる。その気配からは、隠しきれないような殺気も感じた。隙を見せないように、エルヴィンは慎重に気配を探る。静かに近づいてくる何か。こちらが気づいているのをわかっているのか、その何かは動きを止める。
 不思議に思い振り返ると、そこには目を疑うような人物がいた。
「初めましてと言ったほうがいいかな、兄さん」
 まだ距離があると思っていたが、それはエルヴィンの真後ろ、手が届く距離にいた。それよりも気になることがある。兄さん。確かに彼はそう言った。エルヴィンには兄弟がいないはず。そう呼ばれる覚えもない。しかし、それよりも驚くのは……。
「どうしたの、そんな驚いた顔をして。もしかして、僕の顔がそんなにそっくり?」
 面白そうに話しかけてくる青年に、エルヴィンは何も答えることができない。ただ、目の前にいる自分そっくりの顔をしている人物を驚きの表情で見つめるだけだ。
「ところでさ、僕の話を聞いてよ。僕、今人探しをしてるんだ」
 無邪気に笑いながら言う青年に、エルヴィンはなぜか恐怖を感じる。しかし、青年はそんなエルヴィンの様子に気づいてるのか気づいていないのか、話しを続けていく。
「それで、色々なところを探してるんだけどなかなか見つからなくて。ところで、その探してるやつの名前、知りたい?」
 突然質問をしてきた青年に、エルヴィンは何も言えない。顔は笑っているのに、目は笑っていない。危険を感じる。いつもなら、危ないと感じたら自分から動くはずなのに。『あれ』が恐ろしい。動くことすらできない。
 そんなエルヴィンの様子がおかしいのか、青年はくつくつと笑う。そして、探してる人物の名前を告げようとした瞬間。
「エル、どうしたの?」
 少し遠くから、少女の声が聞こえた。



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