誰に伝えるべきか悩んでいると、後ろからエルヴィンを呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、そこにはライナルトがいる。手を振りながら、こちらに近づいてきていた。どうやら、今近くにいるクリスを見て気になって近づいてきたのだろう。
「ライナルトか。どうしたんだ、今は仕事中ではないのか」
エルヴィンが尋ねてくるのに対し、ライナルトは頭をかく。そして、困ったように答えた。
「あー、夜勤明けだよ。これから休む。それより、お前の隣にいる子誰だよ? かなりかわいいな」
案の定、クリスのことを聞いてくる。エルヴィンは出そうになったため息をこらえつつ、ライナルトに呆れの目を向けた。しかし、ライナルトはどこ吹く風というように、エルヴィンの視線にを無視する。そして、そんなエルヴィンをよそにライナルトはクリスに自己紹介を始めた。
「俺はライナルトって言うんだ。あいつの友人なんだ」
いきなり現れた大男にびっくりしたのか、クリスは驚き固まる。しかし、気安く話しかけてくるライナルトに興味をひかれたのか、少し緊張しながらもクリスは自分の名前を告げた。
「私はクリス、です。よろしくです」
遠慮がちに放たれた言葉だが、どこか澄んだ声。耳に心地よく響いた。
ライナルトは笑うと、クリスの頭を遠慮なくなでる。いきなりそんなことをしていいのかと思ったが、少女は嬉しそうにそれを受け入れていた。柔らかく長い薄茶の髪が、少し乱れる。ライナルトは、いい子だな、と呟いた。
「こいつ、勘違いされやすい性格だけど、いい奴だから見放さないでやってくれ」
優しく告げるライナルトに、クリスは笑顔でこくりと頷く。それを見て、ライナルトは豪快に笑った。
その二人の様子を、エルヴィンは不機嫌に見る。邪魔をするならさっさといなくなってほしいと思うのだが、口にはしない。ライナルトには、何を言っても無駄だとわかっているからだ。
いつ終わるのかと待っていると、ライナルトはクリスの頭から手を離す。そして、これから寝るから、と言って二人に手を振って去って行った。クリスは笑顔で手を振り返す。対し、エルヴィンは苦虫を噛み潰したような、微妙な顔をしてライナルトを見送った。
「笑うんだな」
小さく呟いた言葉は、少女に聞こえたのか。エルヴィンのほうを向いた少女は、どうしたのかと尋ねる。エルヴィンは答える気はなく、気にするな、とだけ言った。そして、ライナルトが向かったほうとは反対方向を歩いて行った。
必要なことを終えて、二人は街を歩く。現在、エルヴィンは軍服ではなく質素な私服を着ていた。さすがに、仕事ではないのに軍服を着て街中を歩く気はない。公私は分けるものだとエルヴィンは思っている。
隣を歩く少女は、変わらずぼろぼろの服を着ている。まずは服からか、とエルヴィン考えていると、クリスはいきなり動き出す。止めようと思って手を伸ばしたが間に合わない。どうしたのかと思って彼女を見ると、近くにあるワゴンに吸い寄せられていた。
何かと見ると、そのワゴンには色とりどりの飴が売られている。形も様々で、シンプルな丸や星の他に動物の形をしているものがあった。
店員と思われる、初老の女性がクリスに声をかける。何か欲しいのかい、と聞く女性にクリスは何と言えばいいのかわからず、困ったように言葉にならない声を出している。
エルヴィンは、その様子を見ながらワゴンに近づく。クリスに声をかけると、彼女はワゴンから目を離してエルヴィンを見た。
何が欲しいかと聞くと、クリスは驚いた顔をする。欲しいのだろう、とエルヴィンは言うと、クリスは遠慮がちに兎の形をした飴を手に取った。
店員は、笑顔でよかったねとクリスに言う。クリスは、少しはにかみながらはいと答えた。嬉しそうに笑うクリスが、エルヴィンにお礼を言う。エルヴィンは、少し照れくさくなってクリスから目を逸らした。
そして、店員の女性にお金を渡す。女性は、笑いながら妹をかわいがってやるんだよ、と言った。
兄妹ではない、と言いかけてやめる。今の二人の関係を説明するのは、面倒だからだ。適当に返事をしながら、エルヴィンはクリスが飴を持っていない手をとってワゴンから離れた。
「いきなり動くな。危ないだろ」
クリスに注意すると、彼女は俯いてごめんなさいと反省の言葉を口にする。
「今度からは、ちゃんとどこに行きたいか言え」
一緒に行くくらいならする。そう告げたエルヴィンを、クリスは見る。何か変なことを言ったかとエルヴィンは思ったが、クリスは小さくありがとうと呟いただけだった。
適当な休憩場所に腰をかける。相変わらず街は賑やかだ。クリスは、飴を食べながら街行く人たちを見る。目は、少しばかり好奇心に輝いていた。
手持無沙汰なエルヴィンは、クリスの様子をただ見ている。しばらくは無言の時間が続いたが、なんとなく、エルヴィンは少女に尋ねた。それはうまいのか、と。
いきなり問われたクリスは、エルヴィンのほうを見る。そして、こくりと頷いた。言葉少ない少女だが、仕草でだいたいのことはわかる。なんとなく、彼女の行動が面白いとエルヴィンは思った。
少しクリスの様子を眺めていたが、彼女がおもむろに飴を差し出してくる。どうしたのかと問うと、クリスは食べてと言ってきた。
いらないと一度言うが、少女はひかない。一口、食べてほしいらしい。仕方なく、エルヴィンは一口いただく。飴の甘さが舌に広がる。ただ甘いという感想しか、エルヴィンは出てこなかった。
どうかと目で訴えてくる少女に、エルヴィンは素直に甘いとだけ答える。美味しくないのかと聞いてきたが、エルヴィンは別に、と返すだけだった。
少女は少し悲しそうにするが、すぐに立て直したのかそっか、と言うと再び飴を食べ始めた。
しばらくすると、少女はエルヴィンのほうを見る。どうしたのかと思うが、エルヴィンはただじっとクリスを見つめ返した。少し悩んだ様子であったが、少女はエルヴィンに向かってありがとう、と言った。飴のことだろう。
「初めて見たから、すごく綺麗で……。エル、ありがとう」
初めて見たという言葉に疑問を抱く。しかし、それは彼女がエルヴィンに笑顔を向けたことによって霧散した。それは、エルヴィンに柔らかな春の日差しを思わせる。礼を言われたのは久しぶりだった。それよりも、誰かが自分に向かって笑ってくれることが、ライナルトと義父以外でいるとは思わなかった。
そして、少女は再び飴を食べ始めてエルヴィンから目を離す。エルヴィンはクリスから目を離し、彼女と同じように街行く人を見た。純粋に自分に向けられた笑顔が久しぶりで、どうしたらいいかわからない。嬉しいと思ったが、ただ今はこの恥ずかしさを彼女に気づかれないようにしたかった。
少女が飴を食べ終えると、二人は再び街中を歩く。今度は、いきなりどこかへ行かないように手を繋いで。少女は、辺りをきょろきょろと見回している。人が多く、また背が高くない彼女は周りを見るだけでも一生懸命だった。
しばらく歩くと、エルヴィンはある店の前で立ち止まる。木の扉の前に、看板がかけられているだけの簡素なもの。扉を叩くと、中からどうぞという声が聞こえた。
扉を開けると、中には様々な布や服が目に入る。今流行の服から、色々な場面で使えそうなシンプルな布など、様々だ。
エルヴィンは奥へ行くと、店主と思わしき女性に声をかける。クリスはただ入り口で中を見ていたが、エルヴィンに声をかけられて彼の近くへ寄った。
適当に女性に見繕ってほしいと伝えると、エルヴィンはクリスを彼女に預ける。そして、二人してさらに奥へと消えていった。クリスは一度ちらりとエルヴィンを見たが、彼はただ見送るだけだった。
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