部屋に戻ると、クリスが近づいてくる。どうしたのかと怪訝に思うが、彼女はお腹がすいたと言った。どうやら食事がお目当てらしい。目線は、エルヴィンの持っている食事に注がれている。
 彼の心情など知らず、近づいてくる彼女を見て何故だか心が落ちつく。しかし、それは気のせいだと気づかないふりをする。その理由を知らずに。
 クリスの目は変わらず食事に向けられている。無言で、早く食べたいと訴えていた。
 エルヴィンは、それを仕方ないとでもいうように食事を机に置く。そして無言で食べてもいいと促した。意図を理解したのだろう、彼女は朝食を食べ始める。静かな動作だった。
 ふと、エルヴィンは先程食堂で言われた言葉を思い出す。なんとなく、心に残る言葉。誰が言ったか。苛立たしさを覚え、思わず机を叩きそうになる。
 なんとなく視線を感じ、クリスを見る。すると、心配そうな顔をした彼女と目が合った。なぜそんな顔をするのか。
「そんな顔をすると、ご飯が美味しくないよ……?」
 それともお腹が痛いの? 遠慮がちに放たれた言葉は心配するもので。例えそれが別の意図を持っていたとしても、なんだか嬉しかった。そして、エルヴィンは小さく笑う。少女は、まだ心配そうな顔でエルヴィンを見ていた。
「大丈夫だ。俺は、大丈夫だよ」
 安心させるように、エルヴィンは少女に優しく言う。彼女にこれ以上心配かけないように。そして、冷めかけた朝食を少女とともに食べ始めた。

 誰かと一緒に食事をするのは久しぶりだった。それに気づいたのは食べ終わって食器を片づけているときである。
 隣を歩く少女は、食事の時と同じくしゃべらない。そういう性格なのだろうか。
 しかし、気まずさはなかった。どこか穏やかで、落ち着いていく。知らずに、安心感を覚えた。
 ほんの少し、彼女とともに過ごしただけなのに。心なしか、気分が浮上していく。食事を持っていくときとは違った。
 食堂に着く。相変わらず賑やかだったが、混雑な時間を過ぎたためか先程より人は少ない。しかし、エルヴィンは自分の足が重くなったのを感じる。浮上した気分が、再び落ちていく気がした。
 彼らはもう食堂にいないだろう。しかし、また自分のことを言われるのではないかと考えてしまう。
 いつもなら、仕方ない、あんなことを言うから仕事ができないのだと思う。しかし、今日は違った。それは、隣にいる少女のせいだろうか。
 そんなことあるわけないのに。そう思い直し、エルヴィンは考えることをやめてしまった。
 気が乗らないまま食堂に入ると、エルヴィンは先程食事をたのんだ料理人に声をかける。彼は相変わらずエルヴィンに対して怯えていた。エルヴィンはちらりと少女のほうを見たが、少女はこちらを見ていない。どこかぼんやりとした目で、辺りを見ていた。
 食器を料理人に渡し、食事の感想とお礼を言う。普段、エルヴィンがあまり口に出さないものだ。それに料理人は驚き、固まる。どうしたのかと聞くと、彼は思いだしたように動き出した。そして、大丈夫ですと小さく言うと、慌ててエルヴィンから離れて厨房の中へと消えた。
 その様子を何ともいえない目で見たが、それ以上は時間の無駄だというようにエルヴィンもその場を離れる。クリスは変わらずエルヴィンのほうを見ていなかったが、声をかけるとこくりと頷いてエルヴィンの後をついてきた。
 厨房を出た二人は、廊下を歩く。とりあえず、少女をどうするかだ。部屋に置いておくのでもいいが、逃げ出さない可能性がないとも限らない。また、年端もいかない少女が一日部屋に閉じこもっているだけだというのも精神衛生上よくないだろう。
 目的は、昨日も訪れた上司のいる部屋。昨日の上司の言では、彼女が目を覚ますまで面倒を見ろというもの。少女が目を覚ました今、彼女の処遇を決めてもらおうと思ったのだ。
 彼女は、これからどうなるかわかっているのだろうか。何も聞いてこないところは不思議だが、エルヴィンは特別気にすることなかった。

 部屋の前に着くと、エルヴィンは一息つく。いつも、この部屋に入るのは緊張するのだ。義理の親子ではあるのだが、義理であるからこそ、遠慮してしまう。気にしなくていいと言われるが、それでも気にしてしまうのは人の性か。
 扉を叩くと、返事が聞こえる。エルヴィンは失礼しますと声をかけると、勢いよく扉を開けた。
 中には、昨日と同じく書類整理をしている上司の姿。エルヴィンが部屋に入ると、彼は顔をあげて微笑んだ。
 シルヴェスターの嬉しそうな顔に、エルヴィンは何ともいえない気分になる。最近あまり顔を見せていなかったのだが、昨日と今日、続けて顔を見せるのが酷く恥ずかしかった。
「また今日も来たんだね」
 優しい眼差しでエルヴィンを見る義父に、なんだか申し訳ない気持ちになる。しかし、ここに来たのは理由があるのだ。エルヴィンはちらりとクリスのほうを見てから、正面を向いて話した。
「彼女が目を覚ましたので、どうしようかと思いまして」
 告げるエルヴィンに対し、シルヴェスターは目を細める。それは、この程度にも上司の指示が必要かという意味なのか、それとも子を見守る父のものなのか……。エルヴィンはわからない。しかし、どうしようかと考えているエルヴィンに、シルヴェスターは優しい声音で言った。
「彼女の面倒をみてあげなさい」
 エルヴィンは、一瞬何を言ってるのか理解できなかった。しかし、その言葉の意味がわかると、思わず声を出してしまう。どうしてなのか、と。
 驚くエルヴィンとは対照的に、シルヴェスターは優しく笑っている。そして、同じ優しさをもった声で、シルヴェスターはエルヴィンに続けて言った。
「しばらくは彼女のことを見ていなさい。これは、上司としての命令だ」
 ――そう言わないと、君は動かないだろう?
 最後の言葉は告げられなかったが、瞳が雄弁に語っている。確かにそうなのだが、エルヴィンは納得がいかない。意義を申し立てたかったが、シルヴェスターは命令と言った。彼から命令と告げられると、エルヴィンは従うことしかできない。そう、動くようになってしまったのだ。
 黙り込むエルヴィンに、シルヴェスターは苦笑する。反対してもよかったのに、それをしないことが少し寂しかった。
「今日は仕事はしなくていい。かわりに、彼女に必要なものを用意しなさい。それが終わったら、好きにしていいから」
 シルヴェスターの言葉に、エルヴィンはわかりましたと答える。休むことは伝えておくから、とシルヴェスターは言うが、エルヴィンは遠慮する。これは、自分の仕事なのだと。忙しい上司に、これ以上迷惑をかけたくないというのが本音なのだ。自分ができることは自分でしなければならない。もう、何もできない子供ではないのだから。
 これからのことが決まったが、そういえば少女のことを置き去りに話しを進めてしまったとエルヴィンは気づく。少女を見るが、彼女は何も言わずに無表情で話しを聞いていた様子だった。大丈夫か尋ねてみるが、クリスはただ大丈夫と答えるだけ。エルヴィンは、少女の言葉にそうかと返すのみだった。
 少女を連れて、エルヴィンは部屋を出る。丁寧にお辞儀をしていく彼に、シルヴェスターは手を振った。また来てね、とでも言うように。
 二人が出て行ったあと、シルヴェスターはため息をつく。願うのは、義子のこれからのこと。どうか、遠慮がちな彼の心の隙間を埋めてくれるように。また、心から笑ってくれるようにと……。



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