先程のやりとりを悟られないように部屋へ入ると、エルヴィンはベッドにいる少女の方へ近づく。そして、盆にのせた食事と水を少女に渡す。少女はそれを受け取り、ありがとうと呟いて食べ始めた。
 その様子を、エルヴィンは注意深く見る。食べる仕草は、どこか洗練されたもの。市井のものとは、どこか違った。彼女の正体はやはり貴族か、あるいは別の何かかと考えて、エルヴィンは目を細める。幸い、少女は食べることに夢中でエルヴィンの様子には気づかない。しかし、見てるだけでわかるほどエルヴィンは他人の造形等には興味なかった。
 彼女から何を聞こうか考えていると、少女は食べ終えたのか、空になった器とエルヴィンを交互に見ている。なぜ声をかけないのかと思ったが、遠慮しているのだろうと結論付けた。
「食べ終わったのか」
 聞くと、少女は一瞬驚いた顔をしたが、こくんと頷く。薄い緑色の目が、真っ直ぐにエルヴィンを見る。その瞳は、少し不安げだった。
 その目の意味を理解したが、エルヴィンは気づいてないふりをする。情にほだされてはいけない。それは、この仕事をしていくうえで必要なもの。感情を抑えてつけて、エルヴィンは少女に声をかけようとした。
「ここはどこ?」
 先に、少女が聞いてくる。当たり前だが、ここがどこだかわかっていないらしい。軍本部の寮だ、とエルヴィンが答えると、少女はそう、とだけ返す。少女は、不安が少し落ち着いたのか自分の手元を見ていた。
「それより俺も聞きたいことがある」
 エルヴィンがそう告げると、少女は再び彼のほうを見る。その表情は、どこか険しい。
「名前は、なんだ」
 尋ねると、少女は目を見開く。どこに驚く要素があるのだろうか。名前がないと、不便なのだ。
「聞こえなかったのか。名前を聞いている」
 再び聞くと、少女ははっとして慌てて自身の名を口にした。
「えっと、クリス。私は、クリス。あなたは?」
 今度は少女――クリスに問いかけられる。彼女の返答に違和感を覚えたが、自分も尋ねられたので答えねばならない。
「俺はエルヴィン・ハトソンだ」
 本当の名前では、ないのだけれど。最後のほうは心の中で呟く。実の両親も、本当の名前も、正しい年齢も、エルヴィンは知らない。15年前、彼は怪我をして倒れていたところを現在の元帥に拾われた。過去に、昔の記憶がないことに未練はない。ただ、覚えていないだけだ。
 少し考え事をしてしまったと思い、いつの間にか伏せていた顔をあげる。そこには、悲しげな顔をした少女がエルヴィンを見ていた。この短時間に、小さいながらも表情が変わる。少し、羨ましいと思った。
 どうしたのかとエルヴィンは尋ねる。しかし、少女は何も答えなかった。
 しばらく、無言の時が続く。二人は何も言わない。しかし、少女は無言の時を壊すように小さく口を開いた。
 エル。
 一瞬、何を言ったのかエルヴィンは理解しなかった。しかし、再び少女の口からエルというものが聞こえる。少女は、エルヴィンのことを変わらずじっと見ていた。
「エル。私はこれから、どうすればいい?」
 どうやらエルヴィンのことを言っているらしい。訂正するようにエルヴィンだ、と言うが、少女はエル、と言う。どうやら、気に入らないらしい。エルヴィンだ、と再び言うが、少女は変わらずエルと呼ぶ。押し問答を繰り返しても時間の無駄だ。仕方なく、好きに呼ばせることにした。
「あともう一つ、聞きたいことがある」
 今までの雰囲気を断ち切るかのように、エルヴィンは言う。そのエルヴィンの様子に、少女の体が再びこわばったのがわかった。
「なぜ、あそこにいた」
 正体を聞いても、はぐらかすだけだろう。先程の返答の様子から、名前も偽名だと感じた。こちらを信用していない。当たり前のことだ。知らずに連れ込まれた場所で本当のことを言えるわけもない。
 しかし、成人前の少女が偽名を言うのはなかなかできることではないだろう。もしかしたら何者かに追われてるかのもしれない。そう考え、エルヴィンは少女のことをしばらく様子見することにした。
 無理して答えなくていいと彼女に言うと、少女は安心したのか、小さく笑う。そして、ありがとうと言った。小さく、よく耳をすまさないと聞こえないような声だった。
「今日は休め」
 少女から目を逸らし、エルヴィンは言う。窓の外を見ると、すでに日は暮れていた。
 途中で仕事を放棄したことを思い出し、エルヴィンは苦虫を噛み潰した表情をする。今さら街の警備に戻っても、意味ないだろう。すでに、夜勤のものに変わってるはずだ。
 少女から何も反応がないことを訝しく思い、少女のほうを見る。すると、少女はベッドですでに寝息をたてていた。寝るのがはやいと呆れていたが、休んでいいと言ったのは自分だ。
 仕方ないと呟いて、エルヴィンは部屋を出る。今日はどこで休もうかと考えながら、廊下を歩き始めた……。

 次の日。仮眠室から出ると、エルヴィンは日課の運動を行う。走り込み、肌身離さずつけている剣で素振りを行う。毎日続けていかないと、体がなまってしまうのだ。日はまだ昇っていない。空気は、昨日より冷たい気がした。
 しばらく体を動かしていると、体が温まってくる。寒さは気にならなかった。そして火照った体を少し冷やしてから自室へ戻る。
 そういえば、なぜ仮眠室で寝ていたのか。部屋に入ってから思い出し、表情が暗くなる。ベッドでは、少女がまだ寝ていた。
「おい」
 一応、声をかける。すると、少女の目がすぐに開いた。
「おはようございます」
 そう言って起き上がる。まだ眠いのか、声が少しはっきりしない。そしてベッドから離れると、窓のほうへと行った。どうしたのかと思ったが、クリスはぼんやりした顔で窓を見る。外は、すでに日が昇っており明るい。
 しばらく彼女のことを眺めていたが、エルヴィンはもう少しで仕事が始まる。その前に朝食をとらなければならない。
「朝食を持ってくる。しばらくそこで待ってろ」
 クリスに言うと、彼女は窓から目を離しエルヴィンを見る。そして小さく頷いた。少女の様子を確認し、エルヴィンは部屋を出る。少女をどう扱えばいいのか考えあぐねいていた。

 食堂は、ちょうど朝食の時間帯なため人が多い。少し騒がしく、その中に入ることに気が引けた。エルヴィンは少しためらうが、意を決したように食堂の中へと入る。
 すると、今まで賑やかだった食堂は彼が入ったことにより静まった。まるでエルヴィンに怯えているように。
「おい、あの氷の鬼隊長がこの時間に食堂に来たぞ」
 しばらくして、声が聞こえる。それと同時に、食堂は先ほどと同じような騒がしさが戻ってきた。
「いつも早いのに、珍しい」
「今日こんな時間に来るなら、もっと遅くにすればよかったよ」
 そんな話が聞こえる。何故だか、彼らの言葉が酷く耳に響いた。
 気にしないようにと食堂の奥へと進み、一人の料理人を捕まえる。そして、二人分の朝食を用意してほしいと頼む。料理人は少し怯えているような気がしたが、よくあることだ。
 しかし、料理人は驚いた表情で二人分ですか、と尋ねる。もう一度二人分だ、と言うと、聞こえたらしい周りの人たちから驚きの声が上がる。エルヴィンは、それに不愉快な気分になった。なぜ、そんなにも自分のことが気に入らないのか。
 苛々しながら早くしろ、と料理人に伝える。料理人は、怯えた様子でわかりましたと言うと急いで厨房へ入る。エルヴィンは、浮上しない気分を抱きながら料理人が来るのを待った。
 しばらくして、出来上がった二つの料理を料理人が持ってくる。それを盆にのせ、エルヴィンは食堂を出ようとした。はやくここから出たかった。その時、誰かが何かを言うのが聞こえる。先程まで話しをしていたやつとはまた違うやつだ。その言葉がまたいやに耳に染みつく。気になっていた喧騒が、今では気にならない。それを言ったのが誰だか確かめる勇気も持てず、エルヴィンは唇を噛んで食堂を後にした。



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