その後も、特に大きな事件は起こらず小さな争いが続いている。エルヴィンは、休む暇もなく仕事をしていた。
 今日も、街の見回りをしていた。そろそろ帰ろうかと思っていた。
 視線を感じて、振り返った先。そこには、ファウレン村での襲撃時以来の見知った顔がいた。
「元気にしてた?」
 ごく普通の、当たり障りのない挨拶をミエスはしてくる。穏やかに笑っているが、こちらは全く笑えなかった。
「どうしたの、そんな顔して」
 心配しているとでもいうような顔を、ミエスはしている。エルヴィンは、なるべく平静を保つように深呼吸をした。
「まさか、ここで会うとはな」
 精一杯、虚勢を張るように答える。エルヴィンの心情を知ってか知らずか、ミエスはくすりと笑った。
 ミエスを警戒する。少しでも怪しい行動をとれば、すぐ動けるよう、エルヴィンはミエスの様子を注意深く見ていた。
「そんな警戒しなくてもいいのに。今日は、兄さんには何もしないよ?」
 両手を挙げて、ミエスは何もしないとアピールする。しかし、エルヴィンはミエスの言ったことを信じられずにいた。
「まあいいや。そろそろね、時間が危ないんだ。だから、兄さんに宣戦布告をしにきたんだよ」
 ぞくりとする笑みを、ミエスは浮かべる。まるで、こちらを捕食するようなイメージを抱いてしまう。ミエスに気圧されていくのを、エルヴィンは必死に堪えた。
「そろそろ、彼女は返してもらうよ」
 信じられない言葉を、ミエスは言った。
 返してもらう?
 まるで、彼女は自分の物とでもいうような言葉。不愉快だ。彼女は、物ではない。
「ふざけるな」
 声が震える。それはミエスに対する恐怖か、それとも怒りか。エルヴィンは、知らずミエスを睨むようになる。
「そんなこと言われてもね、仕方ないんだよ」
 やれやれとでも言うように、ミエスは首をかしげる。その様子が、こちらを小ばかにしているようで腹立たしい。
 そして、何の前触れもなく。じゃあね、とミエスは言葉を残した後、その場からいなくなった。
 目を離していなかったはず。それなのに、ミエスはいなくなってしまった。
 嫌な予感を覚え、エルヴィンは急いで本部へと戻る。全速力で走っているためか、息が苦しかった。
 やっとの思いで本部に着く。食堂へ行って、はやくクリスの無事な姿を見たかった。
 なぜか、食堂に人が群れている。人をかき分け、エルヴィンは前へ進んだ。
 クリスはいないかと見回す。しかし、騒然とした食堂の中、少女の姿を見つけることはできなかった。
 近くにいたものに声をかける。彼は、驚いた顔でエルヴィンを見ると、簡単に先程食堂で起こったことを説明してくれた。
 信じられなかった。一瞬で、クリスが連れ去らわれたらしい。そして、クリスがいた場所に何か紙が落ちていたと。
 誰も、軍本部の食堂で堂々と人が連れ去らわれるとは思わなかっただろう。皆、騒然としていた。エルヴィンも、同じ気持ちだった。
 落ちていた紙は、その時食堂にいた第一部隊の隊長が持っているらしい。説明してくれた者に礼を言い、エルヴィンは第一部隊の隊長を探すことにした。
 第一部隊の隊長、スティーヴン・ウォーレン。シルヴェスターと同期で、現在も第一線で活躍している軍の憧れの的だ。それは、エルヴィンも例外ではない。
 緊張しながら、エルヴィンはスティーヴンを探す。会議などで会話をすることはあるが、だいたいが事務的なことだ。今のような、私用といって差し支えないことで話しかけることなどほとんどない。ただでさえ、今は忙しいのだ。
 それでも、エルヴィンは焦る気持ちを抑えることができないでいる。はやく、何かわかる人が、クリスがいなくなった手がかりが欲しかった。
「スティーヴン隊長!」
 見つけて、声をかける。自分でも驚くほど、迷いはなかった。
 エルヴィンの呼び声に、スティーヴンは振り返る。鋭い目つきに、エルヴィンは一瞬足を止めてしまった。
 灰色の長い髪を、前髪も含めて後ろで縛っている。薄い青の瞳は、氷を思わせるほどだ。どこか、雰囲気を含めて全体的に冷たさを感じさせる人だった。
「これはエルヴィン隊長。どうかされましたか」
 エルヴィンが声をかけてきた理由をわかっているからなのかはわからない。しかし、スティーヴンの余裕のある態度に、エルヴィンは気圧されていた。
「お忙しい中、申し訳ありません。一つ、聞きたいことがありまして」
 自然と、エルヴィンはかしこまった態度になってしまう。それは焦りからかもしれない。
 エルヴィンの様子に、スティーヴンはなるほど、と呟く。
「自分が拾った少女がいなくなったことが気になるのだろう」
 言い当てられ、エルヴィンは罰が悪そうな顔をする。私用で、忙しいスティーヴンの貴重な時間を取ってしまったのだ。エルヴィンは、申し訳なさを強く感じていた。
 黙ったエルヴィンのことなど気にせず、スティーヴンは更に言葉を続ける。その言葉は、どこか楽しそうだった。
「君の気持ちも、わからなくはない。私も妻子がいる身だからね、いなくなるということは悲しいことだ」
 スティーヴンは、エルヴィンの様子を面白そうに見ている。そのことに、エルヴィンはさらに身をすくめていった。
「さて、前置きはここまでだ。私が先程見たことを、貴方に教えよう」
 そして、スティーヴンはエルヴィンに自分が見たことを伝える。それは、先程聞いたこととほとんど同じ内容。食堂で仕事をしていたクリスが、一瞬にして連れさらわれたということ。
「そして、彼女がいたと思われる場所にこれが落ちていたのだ」
 スティーヴンは説明を終えると、持っていた紙をエルヴィンに見せた。何の変哲も無い、ただの紙だ。
「これは、恐らく貴方が持つべきものだろう」
 そう告げて、紙をエルヴィンに渡してくる。まさか渡されるとは思わず、エルヴィンは戸惑いながらもその紙を受け取った。
「俺が持つべきとは、どういうことですか」
 意味がわからず、エルヴィンはスティーヴンに尋ねる。スティーヴンは、肩をすくめると、困ったように答えた。
「彼女がいなくなった直後に男の声が聞こえたのだ。『エルヴィンによろしく』と」
 その言葉に、エルヴィンはハッとした。ミエスが、クリスを連れ去ったのだ。そして、エルヴィンに勝利宣言をしたのだ。
 やられた、と思った。前に引き続き、今回もミエスに動くのを許してしまった。悔しさを感じる。
「……ありがとうございます」
 ひとまず、スティーヴンにお礼を言う。スティーヴンは、気にするなとでもいうように片手をあげた。
「エルヴィン隊長。貴方はまだ若い。だからどうか、自分の好きに行動しなさい」
 スティーヴンの言葉に、エルヴィンは再び何も言えなくなる。その様子にスティーヴンは苦笑した。
「それを読んだら、私の代わりにシルヴェスターに見せておいてください」
 エルヴィンに頼みごとをし、スティーヴンは挨拶をして去って行った。これからまた仕事があるのだろう。エルヴィンは、スティーヴンが去っていくのを見送った。
 スティーヴンがいなくなったのを確認して、エルヴィンは渡された紙を見る。小さな紙に、何か文字が書いてあった。
『一週間後、裏手の庭に来て』
 自分とよく似た字だった。しかし、意味がわからない。何かわかりかけたような気がしたのだが、どうしてもわからなかった。
 これを、シルヴェスターに見せる必要がある。まだ彼は、自分の部屋で仕事をしているだろう。クリスが連れさらわれたことは知らされているはずだ。そのこともふまえ、この後どうするか聞いておこうと思った。
 自然と、足が速くなる。急いでいることがわかるのか、周りは遠巻きにエルヴィンを見ている。幸いにか、誰にも呼び止められずにシルヴェスターのいる部屋へと着いた。
 一息ついて、エルヴィンはノックした。中から、いつもの声が聞こえてくる。そのことに少し安堵し、エルヴィンは部屋の扉を開けた。



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