誰かが呼んでいる。それは、自分の名前か、それとも違う誰かの名前か。
 一面、赤い。それがなんなのか、わからなかった。わかることと言えば、今手を繋いでいる『もう一人の自分』を守らなければということ。
 『もう一人の自分』の手が震えている。いや、もしかしたら自分かもしれない。この震えを止めたかったが、どうすることもできなかった。ただ、互いのぬくもりが離れていかないようかたく手を繋いでいた。
 目の前に、人が倒れている。先程まで、自分たちを呼んでいた人。もしかしたら親かもしれないし、近所に住んでる優しいおばあさんだったかもしれない。しかし、目をつぶされ、手はもがれ、足は引きちぎられてる姿は、今まで自分がともに過ごしていた誰かと一致しない。こんな人など知らない、知らない、知らないのだ。
 ドアが思いっきり開かれる。どうやら、自分たちがいるところは室内だったらしい。一人の男が、自分と、『もう一人の自分』を見つける。
 逃げられない。足に、力が入らないのだ。せめて、『もう一人の自分』だけでも逃がそうと考える。しかし、何も思い浮かばない。
 それでも、回らない頭で必死に考えた。これでも、この村の子供たちの中では頭がいいほうだったのだ。考え続ければ、何か出てくるかもしれない。
 ふと、『もう一人の自分』が動く。どうしたのかと思ったが、『もう一人の自分』は何かを隠し持っていたらしい。それを、勢いをつけて男に叩き込もうとする。
 しかし、男はわかっていたのか、嘲笑うように、『もう一人の自分』の攻撃を避ける。そして、勢いあまって倒れた『もう一人の自分』を蹴った。吹っ飛ばされて外へ出ていく。自分は、ただ見ているだけ。自分は蹴られていないのに、『もう一人の自分』が蹴られた場所が痛い気がした。
 もう、どうすることもできない。諦めが、支配してくる。ならいっそ、死んだほうが楽だ。
 男を見る。男は、面白そうに自分を見ていた。
 目を閉じる。もう、これで全てが終わるのだ。
 ――ごめんね、お父さん、お母さん。僕は、彼と一緒に逃げられなかったよ。
 願わくば、『もう一人の自分』が生きて逃げてくれることを。男が自分のほうを見ている間に、自分のことを顧みずに。
 男が、何かを振り上げた気配を感じる。このまま振り下ろされれば、全てが終わる。はやくきてほしい、いや、まだこないで。相反する気持ちを抱えながら、鈍い音が聞こえた。

 現在、メニュレイ国の情勢は不安定である。反軍組織であるレジエンテがいつ攻撃に出るかわからない。表面化されてないが、軍との小競り合いの報せがほとんど毎日くるほどだ。
 エルヴィン達は、街の見回りを強化している。怪しい人物がいないか、何か事件が起きないか入念に見て回る。国民の不安が少しでも取り除けるように、エルヴィンは尽力していた。
 エルヴィンの休みはほとんどない。みんな、不安定な情勢に不安を抱きながら働いている。隊長である自分が、ここで休むわけにはいかないと思っていた。
 そのエルヴィンの様子を、クリスはただ見守ってくれている。たまに、気遣って休むよう進言することもあるが、エルヴィンは仕事があるからと躊躇していた。
 休めるときに休むのが一番だ。しかし、それはエルヴィンにとって今ではない。みんな、それぞれ仕事を抱えて忙しいのだ。
「お前、最近休んでるか?」
 話し合いをしていると、突然ライナルトが声をかけてくる。眉間にしわを寄せながら、エルヴィンは大丈夫だと言い切った。ここで自分が休んでしまっては、何か取り返しがつかないことが起こりそうだからだ。
 ライナルトが何か言いたげな顔をしている。その顔を何度か見てきたので、エルヴィンはライナルトが何を言いたいのかわかってしまった。
「お前こそいいのか、彼女のこととか」
 何かを告げられる前に、エルヴィンはライナルトに言う。それに対し、ライナルトは困ったような顔をした。今それを聞いてくるのか、と。
「俺のほうは大丈夫だよ。今のところ、報せもないし彼女も元気だ」
 エルヴィンを安心させるようにか、ライナルトはにかっと笑う。つられるように、エルヴィンも表情を緩めた。
 そのエルヴィンの様子を見て少し安心したのか、ライナルトが片手をあげる。どうしたのかと訝しく思った。しかし、ライナルトは柔らかい笑みを浮かべてエルヴィンを見ている。
「じゃあ、俺は他のところに行くから。お前は、ゆっくり休めよ」
 その言葉に、エルヴィンは顔をしかめる。そんな悠長なことをしている暇はないのに。
 エルヴィンの考えていることがわかったのだろう。ライナルトは苦笑し、それ以上は何も言わずに去って行った。
 なんとなく納得がいかないような、なんともいえない気持ちになる。心配してくれるのはありがたいが、今のエルヴィンにとってはありがた迷惑であった。
 まだ夕刻である。食事をとる時間としては少々早いが、食べられるときに少しでも食べようと食堂へ行くことにした。

 まだ早い時間だからか、食堂にいる人は少ない。休憩にと食堂で休んでいるものや、何かを相談している人たちが少しいるくらいだ。
 エルヴィンは、夕食をとりながら食堂の様子を見ている。他に、何もすることもなかったのだ。
 ふと、忙しなく働いているクリスを見つける。日常と化したその様子に、エルヴィンはふっと笑みを浮かべた。
 しかし、ゆっくりしている暇はない。食べ終えた後は、エルヴィンは再び仕事に取り掛かる予定なのだ。自分ができることは少ないが、できる限りのことはしたかった。
 クリスのことをじっと見ていたからか、彼女と目が合う。そして、クリスはエルヴィンに向かって手を振ってきた。それだけで、なぜかこれからの仕事を頑張ろうと思えてくる。
 クリスに手を振り返して、エルヴィンはクリスが再び仕事に専念していくところを見守っていた。休む暇はない。クリスや、他の者たちのためにも、できることをしなければ。
 決意を新たにし、エルヴィンは食堂を出た。

 すでに夜も更けている。エルヴィンは、食事をとった後も休むことなく仕事をしていた。
 そろそろ休もうと部屋へと戻る。部屋には、当たり前のようにクリスがいた。
 そのことに、安堵する。彼女がいるということが、平和な日常のように思えた。
 クリスに、今日はどうだったかと聞く。ここ最近での、日課だった。クリスは、最初は特に何もなかったと答えるだけだった。しかし、今では今日あった出来事を楽しそうに話すようになっている。その変化が、エルヴィンにとっては嬉しいものだった。
 クリスの話しを一通り聞いた後、クリスはエルヴィンに仕事はどうかと聞いてくる。これも、いつもの日課だった。エルヴィンは、特に変わりなかったと答える。
 安心できる状況ではないが、大きな変わりがないことは不幸中の幸いとでもいうべきか。
 エルヴィンの返答に、クリスは複雑そうな顔をして、そう、とだけ呟く。なんとなくエルヴィンは不安になってくるが、それ以上何も言うことが思い浮かばない。
 しばらくの無言の後、クリスが小さくあくびをする。クリスの朝は早い。そろそろ寝ないと、明日の仕事に影響が出るだろう。
 クリスに、そろそろ寝ることを勧める。少し目をこすっているクリスは、エルヴィンの提案に素直に頷いた。
 小さく、クリスがエルヴィンのことを呼ぶ。どうしたのかと近づくと、服の裾を掴まれた。どうしたのかと思っていると、クリスは小さく笑っておやすみ、と言った。
 クリスが寝付くまで、エルヴィンは動かずに見守る。正しくは、かたまって動けなかっただけであるが。
 クリスの寝息を聞き、エルヴィンはすでに寝ているクリスにおやすみ、と返す。すでに寝ている少女に、安らかな夢を見てくれることを願う。そして、エルヴィンも休むために眠りについた。



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